番外編「冥加者」



夜も更け、死神が寝静まった頃────この男は今日の成果を報告に来た。




「京楽、これはまた遅い報告じゃの。どこぞをほっついていたか」


「やぁだナァ、山じい。ちゃんと仕事してましたって、ほら」



京楽は片目を瞑りながら証拠を突き付ける。
山本の広い机に山の様な書類が積まれた。



「───京楽」


「はい」


「日付がとうに過ぎてる気がするのじゃが」



今日は月の始め。
しかし、印を見れば確かにそれは一か月前の今日だ。
これだけ書類があるのは、ただ今までの溜まっていた書類を半分くらいかたしたといったところだろう。



しかし目の前の死神はしれっとした表情で踵を返す。
昔からそうなのだが、本気になれば彼は何でも出来る。溜まった今月の書類だって真面目にとりくめば
一日やそこらで片付くはずだ。
山本は彼の副官である伊勢の姿を思い起こして哀れな気分になる。



「そんじゃ、まぁ今日はこんだけで失礼しますよ」

「猶予は、明日までじゃ」




厳しい口調で咎めるように言えば、その途端京楽はふっと笑って両手を振った。




「ははっ、そんな剣幕しないで下さいよ、先生」

「これはまた昔のように拳固でも食らわせんと‥‥」

「げっ‥‥や、やだな、冗談ですよ、ジョーダン。‥‥‥多分」


ピクリ、と山本の白い眉が動き、いよいよ京楽は逃げるようにして出口の戸に手を掛ける。



「ろくに報告もしないうちに逃げよるか」

「いやいや、そういう訳じゃ‥‥。───あっ!そだ、報告といえば‥‥」



山本との距離は遠い。
しかしそれでもその声は確かに山本の耳に届いた。





京楽は戸に手を掛けながら、後背に言った。







「‥‥浮竹の奴、何だか企んでいるらしいですよ」







京楽のその白々しいまでに高く放たれた言葉に、山本は表情一つ変えずに静かにこう返すのだった。







「‥‥‥ちと、五月蠅くなりそうじゃの」




フ、と同感の笑みを漏らすとついに京楽は戸を開けて山本の部屋から抜け出た。
おそらくこの扉と後ろではうっかり逃したと師が唇を噛んでいるだろうが、まぁ自分はやることは
やったつもりなので気にしない。



「ふぅ、全く困るよ」



京楽は渡り廊下を歩きながらとっぷりと暮れた空を見上げる。
満月に程近い月が雲に見え隠れしながら、流れてゆく。



「‥‥‥」



不思議なものだ。この地上に風はあまり吹いていないのに、空の雲は早く流れてゆく。
月に照らされては白く輝き、過ぎれば周囲の青と黒に染められ闇に消えてゆく。



「‥‥‥まるで、─────」




唇がふとあの二人のことを口走ろうとした時、渡り廊下の向こう側から誰かの歩く音がしてすぐに口を噤んだ。





こんな夜更けに一体誰だろう。





急ぎの用で帰るのが遅くなった女性死神なら、肌寒い季節だしこのままエスコートして帰るのも悪くない。
それに、こんなに寂しい空の前で一人は哀しい。



そんなことを内心思いながら前を改めて見れば、道は二手に分かれていた。
交差する所で道はこちらの道につながっているからまず擦れ違うことは間違えない。




喜々としながら、闇から出て来る死神との接触を待つ。




「─────‥‥」



ギシギシと古びた廊下を渡り、次第に闇から相手の姿が浮き彫りになっていった。
深い黒から出てくるのは、白い色。随分と急いでいるのか足音をドンドンと立てて、
その色を揺らして近付いてきて────。





ついに姿が見えた。







「‥っ!‥‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥‥‥」




やや驚きに固まった瞳をしていたが、しかしすぐに自分から目をはなしてまた廊下を突き進んで行く。



決意に身体を固めた死神は、何よりも知っている死神、浮竹十四郎。





「─────」



擦れ違う時に香る、白丁花の芳しい匂い。
あぁ、やっぱり、なるほど、と京楽は笑う。


あの男、確かに顔はやつれていたが────瞳は爛々と輝いていた。
一瞬だけ見ただけだったが、彼の懐は膨らんでいた。




やがて、足音は去り、また周囲にはたっぷりと静寂が張り詰める。



しかし鼻腔を掠めては、消えない甘い匂い。



焼き付いて離れないのは、握り締めた拳。



削げた頬に、揺るがぬ色。










「───やれやれ、面倒だねぇ‥‥」








しかし、頭を片手で抱え、そう呟く京楽の様子は格段困っているとも思えない。



白丁花の風の中で深呼吸一つつく彼の口許は、何よりも楽しそうに笑っていたのだから。













※※※※※※※※






深夜────誰もが眠りにつく、明け方前の深い闇のなか、ただひたすら突き進んだ。


視界がふさがれるなら、霊圧で探れば良い。
夜戦用にと受けた訓練が、まさかこんな時にまで使えるとは思ってもみなかったけれど。



「なっ──!‥‥‥‥」



荒ぶる怒りの霊圧を潜ませて、精神を研ぎ澄ませて霊圧を探り背後から、後頭部を一突き。
意識を失いどさりと落ちそうになる身体を腕で支えて、静かに草上に置く。



長く広い研究所だ。
目的地まで網羅しているとはいえ、あまり騒がれるのは良くない。出来ることなら誰にも気付かれる
ことなく辿り着きたい。




「‥‥‥‥」



ちらりと門前をうかがえば少しは気が弛んでいるものの、比較的大人数がそこを守っていた。
流石に正面から突破するのは目立つと確信して、それならと庭から続く窓から侵入すれば良い。



途中幾人もの見張りを昏睡させ、ひたすら奥へと向かう。


なるべく音を立てずに、静かに息を殺して、手入れのされていない草道を掻き分け掻き分け前へ進む。




冷たく寂しい道ももう大半というところまで来ていた。




「‥‥‥‥」



そろそろだろう。
腰辺りまである伸びた草のなかで、特に邪魔なものを押し退けて、隣接する壁に窓がないかと探した。




「‥‥‥!」



漸く窓を見つけて、隠れるようにしてこっそり覗いた硝子の向こう側には、あの少女が目を閉じて
ぐったりと眠っていた。
初めて会った時以来少女が寝たところは見ていない。
その様子から推測するに、また何か残酷な実験をされたに違いない。





だけれど、もう、苦しまなくて良い。

泣かなくて、良い。

死に怯える必要も、無くなるんだ─────。




決意も新たに息を一つ吐く。
しかし、コンコン、と軽く窓を叩いても何の反応も返ってこない。
女性の寝室に無断で入ることはやはり憚られたけれど、これを逃す術は無い。

浮竹は、窓をゆっくりと開け放ち、そこから少女の部屋に入った。



涼しい風に、夜虫の鳴く声が絶え間なく続く。
それに溶かすように、少女に優しく囁きかけた。



「‥‥起きなさい」

「‥‥‥‥‥」



抱える準備をしながら、少女の頬に手を当てて起こす。
やがてぼんやりと目を開けた彼女は、いつものように呆然と前を見据える。

良かった、どうやらまずは拒否されなかった。



「‥‥‥」


そして次々と彼女と寝台を繋ぐ枷を外してゆく。
電機系の電源は落としてから丁寧に管を抜き取る。
しかしそれを含め全ての管は無茶苦茶な位置に刺されていたため、努力のかい無く血が流れ出る。
少しだけ我慢してくれと心の中で何度も繰り返し謝りながら、全ての管を外した。
改めて全身を見ると血が至る所から流れていたが、ただの実験体である少女の部屋には生憎、
代えの薄い着物さえなかったのだ。


仕方が無いと溜め息を軽くつき、そして今度はついに毛布を取り除けた。





眠たげに前を見つめる少女の背と足の下に手を入れながら、ふと止まって囁いた。




「逃げよう」





優しく、優しく、囁いたその言葉。
これはまたどうせ妄想だろうが、話しかけた一瞬、頷いたように見えて───────





彼女は、無言で浮竹の首に腕を回した。






「─────」





ごつごつとして、やせ細った皮と骨の腕。
しかし、触れる首筋から分かる。
それは確かに体温を持っていた。





「────行こう」





一気に彼女を持ち上げ、元来た窓から道を逆上る。



なるべく顔を自分の胸に近付けるように抱え込み、草で少女が傷つかないように細心の注意を払いながら進む。


段々と道が開けてくる。
出口は近い。




しかし────その時だった。





「いたぞぉおおっ!!!」

「────!?」




正面からする声。
あれだけ見つからないように注意していたのに───少しもたもたしすぎたか。


浮竹は舌打ちをしながら、身を低くして草の海に潜めて走り出す。
しかし怒声は確実に近くなり─────途端、浮竹の目の前に草を薙いだ刀の閃光がきらめいた。




「っ!」

「その様に身を隠しても、逃げられませんよ‥‥!」



獲物だと言わんばかりに口許をにやりと歪ませた死神は、立て続けに浮竹に刀を振り下ろす。
ひゅんひゅんと風を裂く音がすれば、その度に身を守る緑は闇に消えてゆく。


相手は平隊員とはいえ立派な死神で、こちらは少女を抱えて両手塞がりなうえ、体調も優れていない。
いくら隊長と呼ばれるくらいの場数を踏んで来たとはいえ、流石にこのままでは分が悪い。




出来ることならしたくはなかったが、止むを得ず、懐に手を入れる。
片手でなんとか少女を抱き上げ、もう片方の手で抜き出した小刀を翳した。



「っ」



すると、漸くその隊員や彼を囲む応援の隊員達も怯む────自分達が今、立ち会っているのは紛れも無い
十三番隊隊長なのだ、と。




「下がれッ!!」



好機とばかりに浮竹は叫ぶ。
片手で刀を悠々と構えながら、一分の隙も与えぬ様な凄みを利かせた眼光を放ち、開けた先へと進む。



しかし、ついに出口に差し掛かったところだった──────。



「待てェエ!!」

「!?」

「浮竹ェエエエ!!!」



門から怨嗟の叫び声を上げながら出てきたのは、騒ぎを聞き付けたであろう涅だった。
彼の手には斬魄刀が握られている。



間違えない、彼は────本気だ。




「無駄だ!彼女はここを出て行く!!」



しかし、知ったことではない。
間違えなく彼女はここにいてはいけないと悟ったから。



涅は浮竹と彼の抱える自分の実験体を見比べて、怒りを見せる。



「公式命令だと言った筈ダヨ浮竹!!いいかい、お前は今、十三隊に叛逆しているんダヨ!!いや、ひいては尸魂界ニ!!」

「それがどうした。彼女は、人間なんだぞ!‥彼女の能力が目的なら、四番隊に任せた方がましだ‥‥。無理な尋問が逆に
 彼女の脳を萎縮させてしまっているのかも知れない‥!」

「アぁあァ‥‥‥分かって無いヨ、分かって無いヨ、分かって無イィイ!!」




ガチャリ!!




徐に涅は、斬魄刀を持っていない方の腕を浮竹に突き付けて叫ぶ。



「人間!?それがどうしたはコッチの台詞だヨ。笑わせルナ!!」

「‥‥‥‥」

「お前は、虚が憎いダロウ!?卑劣な手段でいともたやすく命奪う奴らガ!
 お前は、土に生える草を踏み潰すダロウ!?今だってソウダ、お前は草を殺してイル!」

「‥‥‥‥‥」

「私とお前は一緒ダヨ!私も虚は嫌いだし、草を殺ス。違いなんて無イ。‥大体、今迄幾人の魂魄の犠牲で尸魂界が豊かに
 なっていると思ってるんダイ!?」

「‥‥‥‥っ」


確かに、矛盾しているのかもしれない、間違っているのかもしれない、我が儘なのかもしれない。
だが、彼女だけは何故か─────何故か、放ってはいけないんだ。



涅の罵声で怯むことなく、しっかりと前を見据えて涅の前を通り過ぎる。




「サァ、返すンダヨ!!!」




数十尺程離れてはいる。
この距離ではいくら手負いを抱えているとはいえ涅が走っても奪うことはできない。
しかし、涅は今迄向けていた手を大きく開き、腕の関節を強く押した。






───ザッ!!




妙な機械音と共に、途端飛ばされた涅の改造手────浮竹は飛びながら加速するそれを良く見定めて、
咄嗟に小刀で斬り落とす。





どさりという鈍い音を立てて手は落ち、暖かみのない赤がパッと地面に散る。





「‥‥‥‥仕方無いネェ‥‥」



まだ痙攣する手に見向きもせず、だが焦ることなく悠々と、毅然と浮竹は歩いた。
少女の血がぽたぽたと落ちて湿った草を掻き分け、踏み締める音が、涅のくぐもった笑い声の後の沈黙に続く。



ただ、規則正しい足音と夜虫の声だけが、漆黒の世界を支配していた。




ぴいんと張り詰めた空気。



誰もが動けずに、堅い表情をする浮竹と激昂の笑いを抑える涅、そして浮竹にひしとすがりつく、やせ細った血だらけの少女を
見比べて、動けずにいた。







しかし─────。








「────撃テェエ!!!」






狂ったかのような、怒声が響き────。






────パァンッ!











後ろで、何かが弾ける音が──────






した。










※※※※※





頭の中がぼやけていて、何が何だかわからない。
ただ、記憶に残るのは土の冷たさと、血の劈く様な匂い。
何があったかわからないけれど、分かるのは確実に天と地が逆転してしまったという事実。


確かに今迄、私は何かを知っていた。その良い証拠が言語だろう。私は確かに、言葉が分かる。
例えば、今目の前に落ちている────『赤』。



しかもさらさらと流れるそれ。分類されるべきは、おそらく『液体』というものだと思う。
もっと知りたいと思うのは本能からか、触れてみる。


ぬるぬるした感触の後にすぐ伝わる繊維のざらつく感触。
────赤くて、ぬるぬるしてて、暖かい‥‥‥これは、確か‥‥‥『血』と呼ばれるもの。



血は、どういう時に流れる?




‥‥‥そうだ。





何だか、『痛い』時だったような気がする‥‥‥。




「無駄だと言っている!彼女は此所に居てはいけない‥‥‥居てはいけないんだ!!」




あかい、あかい、ちが、




ぽたぽた。




あぁ、あかいあかい




あかいあかい




あかいあかい






あかいあかい、ちが‥‥‥





『女だ‥‥‥』

『ど、どぅするッ!?く、食うか‥‥‥?』



「撃テッ、撃テッ───!!目の前にいるのは、最早十三番隊隊長でも何でも無い、只の逆賊ダヨ!!
 ハハハハ、撃テッ、撃テェエ!!」



───カキィッ、カキィインッ!!




黒い人たちが、鼻息を荒くして私の身体を押さえ付けて笑ってる。


怖くて、怖くて、
声なんてでなくて、只震える私の腕に冷たい何かが当たってる。


その感触が何か分かった瞬間、激痛が走って。


でも、怖くて、怖くて、声なんてでなくて。


切り取られた私の肉を、目の前でクチャクチャと音を立てて食べられるのを見るしかなかった。





やっぱり若い女の肉は美味い、だとか、
もっと嬲(たの)しんでから食べよう、とか、
そんな会話が聞こえた。




「ごほっ、ごほっ‥‥‥っめろ‥‥!!撃つな‥‥彼女は、人間‥‥‥なんだ、只の、実験道具なんかじゃ………っ!!」




縛られて、色んな獣が私を妖しい光を湛えた瞳で見て来た。
彼らが何を言っているのか意味がわからなかったけれど、只分かったのは、
多分、幾人もの獣に犯されて、殺される、ということ。





それが、私の中にある、『血』の記憶。




‥‥‥ぽたぽた。





上から落ちてくる血を見れば、頭の中で、誰かが私を指差した。


ぼやけて霞んだ誰か。
分かるのは、私と同じ黒髪に、綺麗な着物。昔どこかで見た御伽話の中に出てくるような、そんな人。
顔も全身もぼやけている。
それなのにその人が無表情に何故か泣きそうな顔をしているのが分かった。
見えないのに、細かい部分まで手に取るように分かる。




何故、指を差すの?
貴方は、誰?




いつしか私とその人だけの白の世界。
あの恐ろしい罵声や暴力など消え去っていた。



力無くその人は首を振り、意を決したかのように顔を上げて、私に向けていた指を白の世界の水平方向に弧を描く。
すると、指先から切り裂くようにそこにはさっきの赤が映った。
同時に騒音。再び戻って来た何かを叫ぶ声と、何かがぶつかる音。



視線が赤に釘付けになる。
恐怖の対象でしかなかった、それ。


なのに、暖かいこの赤は、何だか違う気がする。



『──────』



その瞬間、あの人に目が行った。



あの人はまた、私を見ていたのだ。




そして、罵声の中、私に手を差し延べてきた。





こうして対峙するその人は、初めて会った筈。


なのに何故だろう、凄く安心する。


憎しみの安心───‥‥そんな気がする。



私は、その人の手を見ながら確信する。



きっと、この手を取ったら生きられる代わりに、戻れなくなる、と。



記憶を繋ぐ代わりに、全てを捨てなければならないということを。




そして、『自分』がそれを望んでいた、ということを。






「ごほっ、ごほっ‥‥‥ッ!!!」







降り注ぐ、血の流れ星。






誰かが 生きろ と言って、






私はその手を取った。













「ごほっ、ごほっ‥‥!うっ、‥‥ゲホッ!!カハッ‥‥ハァッ!」






光が消えて、漸く目が闇に慣れてきた頃────世界が、戻った。





ただ、その瞬間から記憶が消えてゆくのを感じながら────喀血するこの男に、全てを賭けて良いと確信した。





「彼女は俺らが───いや、俺が、守ってみせる──だから、誰も……誰も邪魔をするなっ!」





這い上がるどうしようもない憎悪と、生まれ出た親愛の情───記憶が無くなる瞬間、
それらを忘れないように、彼に抱き付いた。



強く、強く。



忘れてしまっても、この感覚だけは脳に染み付かせておこう。



これから背負うことになる重過ぎる記憶の代償を、この忘れていってしまう人間の脳に‥‥‥。






※※※※※※※






「ごほっ、ごほっ、がはっ、‥はぁっ、ハァッ‥‥うぐ───」



ついに浮竹は力尽きて、片足を尽きそうになる。
十二番隊はどんなに言っても、一向に攻撃の手を休めようとはしない。


守ると言うが、このままでは‥‥一体どうやって守ると言う?



気管を塞ぎ、窒息しそうな息苦しさの後に漸く込み上げてくる生暖かい塊。
身体がそれを拒絶して、咳をしたら漸く苦しみからほんの少しだけ解放される。
せめて少女にだけはかからないようにと気遣いながらも、どうやらそうすることすら叶う力すら残されてはいないようだ。
またすぐに気管を塞がれて、咳をして、血を吐く。
その息苦しさに頭が腫れ上がるような感覚に襲われて、ただでさえ破裂しそうなのに、少女を運ぶ脚に、少女を庇う腕に、
背中に、容赦無く打ち込まれる霊子の銃弾。
その繰り返しで、何も出来ずにただ立ち尽くすばかり。



結局は何も出来ないじゃないか。
浮竹は自分を笑う。


京楽が危険を侵してまで示してくれた水轍。
歩みきることを決意したのに、知ったのは変わり果てた花の色だけだったのか。




いやでも────‥‥これはこれで、良いのかもしれない。





力なく抱き合う、血塗れの俺達。
名も知らないこの可憐な少女が赦してくれるならば、最期くらい勝手な我が儘を言っても────。



俺の我が儘‥‥赦されざる我が儘は‥‥‥。









君を、護りたかった。
ただ、それだけ、だったんだ。













「─── 一人でカッコつけないでくれるかな、浮竹?」






口から止めど無く血が流れ落ちる。





無様ながらに垂れ流しながら、朦朧と見上げれば目に映るのは見慣れた桃色の着物。




「‥‥‥しゅ………すっ、……ッ!!ごほっ、……ごほっ!!」

「喋んない喋んない。喋るのは俺の仕事だろう?…お前は、その娘をしっかりと抱いててやんな」

「‥‥‥ゲホッ、す、すまな……ッゲホッ」






「あぁ───二度と、離さないように!」







浮竹が地に片足をつけながら少女を抱き締める腕に力を入れ直すのを確認すると、駆け付けた京楽は
悠々と斬魄刀を涅に傾ける。
涅は唇を噛み締めていた。





「京楽ゥウ……!貴様、余計な真似事ヲ!!お前も尸魂界に逆らう気なのカイ!?」


「マァマァ…、涅さんよ。あんまり怒りなさんなって。ちょっとした報告を持って来たんだぜ?」





報告?
涅の瞳が暗く光る。




「‥‥お前さんが好きな『コウシキメイレイ』‥‥。‥ちょいと変わるかも知れないぞ?」


「なッ……!?う、嘘ダ!!此所に書状だって在るンダゾ!?そんなの‥‥‥」


「明日になりゃ分かるさ」




くすりと微笑み、硬直する涅を尻目に京楽は少女を抱き動けずにいる浮竹の背に手を回す。
すぐにでも激昂し、それならばと何をしだすかわからない。



「そんじゃ、俺はこれで」




「こっノ‥‥‥!!!」






ギラリと涅は瞳を光らせ、何がなんでもかといわんばかりに斬魄刀を振り翳す。
同時に射撃部隊が霊子砲を構え、暗闇の三人に突き付ける。



「テェエーーーーーーッ!!!」






バンッ、ババババン!!!





掛け声と共に凄まじい銃声が鳴り響き、光と土煙が撒き上がる。





まるでその場は真昼のように輝いて、湿った煙が辺り一体を包んだ。









やがて、光の中から見えてくる白。
それは動くことは無く、蹲ったかのように落ちている。

涅はしめた、と口の端をゆっくりと上げた。










が。









「──────」









そこには甘い芳香を残す白の花束が残されていただけだった。














*************


















「確かに、了解致しました。このような大役、自分ごときが上手く処理しきれるかは些か不安ではありますが、
 精一杯最善を尽くしたいと思います」

「うむ。くれぐれも尽力願う」

「しかと、胸に。………では、失礼致します」




眩しい。
何よりも穏やかで希望に満ち溢れた光が、目が眩んでしまうほど、眩しい。




今、後ろには大きな“一”を戴く門が聳え立つ。
浮竹は続く廊下から見える限りの空を見上げて、笑みを浮かべた。
思わず浮かべてしまったそれは、この空と負けないくらいに晴れやか。


大きく息を吸って、朝独特の空気を味わいながら息を吐き出すと、ゆっくりと白の回廊を歩み始めた。



すると、少し行った所の角を曲がった所に、見慣れた姿を見つける。





「………おめでとさん!」





天空を映すような白廊下に背を預けてじっとしていたその男は、浮竹の顔を見るなりにっかりと笑ってそう言った。





「あぁ、有り難う」




くすりと微笑み返すと、その男は壁から背を離して浮竹が持ってきた白い書状に目を通す。


「なになに……。『零式未知能力の開発及び研究を護廷十三隊十三番隊隊長浮竹十四郎に一任し、
 以下名を『冥加者』と定義する。冥加者は目的遂行の為なら必要に応じ、四十六室可決次第実権を握る。
 冥加者は、零式を教育し具体的将来に於いて本界に奉仕させる目的を絶対目的とする。但し、以下の事を厳守す可(べし)。
 零式には何らかの方法を以ての一切過去を極秘。その為完全霊圧遮断区域からの一切脱出を不許可。及び、稀少能力所以
 現段階で零式を認知している者以外への存在露呈を不許可』。
 
 ………ありゃりゃ、これはまた随分必死なことだねぇ」





そう言って少し困ったような笑みを浮かべているのは京楽。あの絶対絶命の時に浮竹の元へ駆け付け、
瞬歩で脱出を幇助してくれた死神。




この男、いつも美味しい所を持ってゆくという性分がある。
今回もまた良い所を持っていかれて浮竹は少しばかり不服だったが、しかしそれであってこその親友なのだと再確認する。
理屈ではなく、事実があらしめるのだ。



「まぁ、良いんじゃないの。これ以上の待遇は無いだろうし」




二人、口許に満足げな微笑を浮かべながら天を見上げる。



「山じいも、今回ばかりはちょいばかり頑張ってくれたし」

「……………」



天を見上げながらのまま、京楽を見る。そんなことは聞かされてなかったのだ。
ただ、激しい抵抗に気付いた四十六室が態度を変えたのかと。
しかし確かに、考えてみれば尸魂界を制す四十六室がたとえ抵抗にあえどすんなりと態度を変えるのはおかしい。




「困るんだよ。尸魂界を守る担い手である軍隊の一部隊が上手く機能しなくなると。
 ……それに、出来の良い方の愛弟子が苦しむ姿なんざ、見たくないんだろ」




今更知らされた事実に驚いて目を見張る。そしてかみ締めるように、










「……あぁ……最高の……これ以上無い、処遇だ」










大きく息を吸い込みながら、抱え切れない大きなものをこの身体にせめてつなぎ止めるように。


ゆっくりと息を吐き出すと、今度は肩に京楽の手がぽんと乗っかった。




「……行って来いよ。もう引越しは済んでる筈だぜ?」



強く強く、厳かに頷く顔は口を真一文字に結んで、しかし微笑をたたえて、
そしてなによりも希望に溢れた色を滲ませていた。



ありがとう。



重すぎるこの感謝の言葉を残して、浮竹は廊下を歩み出した。




彼は今日、白鷺郭へ向かう。




少女が待つ、白い白い、続く世界へ。
















逸る、逸る。






疾る、疾る。






途中目に止まった花売りから、あの色を渡してもらって。



風に花が揺れれば、たとえ走っていても香る白丁の香。



まるで少年に戻ったかのように、馬鹿みたいに鼓動を逸らせて。





疾る、疾る。







まず会ったら、何を話そう?
それよりも無言で花束を捧げようか。


いや、それよりもまずはまた自己紹介から入ろうか?



いやいや──────……









思索が楽しい。

胸が躍る。

地を蹴る脚が弾む。





ただ生きて再た会えるという事が、こんなにも楽しく、愛しい。


生憎白鷺は白鳥ではないけれど、それでも囚われた籠の中の白鷺は雪割一華に乗って飛べる。
高く、遠く、何処までも。




そうだ、やっぱりそうしよう。




黒の陳腐な口伝ではなく、白の世界に飛び立つ魔法を捧げることにしよう。



続く世界に、馬酔木の風が吹いて伝わるだろうから。
だから、そうしよう。




確かに教育して役立たせることが使命ではあるが、それもいつかの話で取り敢えずは良いだろう。




時間は繋がっている。
まだ時間は十分、ある。
焦る事など要らない。






「─────」



あの夜からまた会う事を考えると何だか照れくさいから最初くらい格好つけようとして、
わざとゆっくりと郭の扉を開けた。


なのに、自分といったらやっぱりその手が震えていて。




軽く苦笑しながら、しかし顔は強張りながら中を見ると、広い玄関にはあの少女────



ではなく、従女が出迎えた。


この従女は自分が信頼出来るようにと自身が置いた浮竹家の者ではあるが、予想外の期待と直ぐに訪れた
落胆に呆れてしまう。

そして咳払いを一つ。



気を取り直して、少女が待つ最奥の部屋へ向かった。












手には三連花束。


馬酔木と、雪割一華と、白丁花。


そして胸には、白い紙を携えて。











「こちらに御座います」





いよいよ戸が開けられた。




この寂しい郭の中にも、眩しい日の光が降り注ぐ。





ついに開かれた光の揺籠。



恋に焦がれた認めた顔は、自信を持って穏やかだと言えた。


たとえ自惚れでも、自己満足でも、愚かだろうが何でも良い。






────ただ俺は、君を守りたかっただけなんだから。







「改めて、初めまして。今日から君の冥加者に任命された浮竹十四郎だ。君の能力観察と、身の回りの世話等、
 ・・・いろいろ担当することになった」








願わくば。








この少女に“今度こそ”、幸せな旅路が用意出来ますよう。








「君は流魂街に捨てられていた孤児だ。私達は君の斬魄刀の透視能力を観察する為に、まだ幼い君を保護し──
 この障壁の中で生活をしてもらうことにした」



そして、誓おう。



そのためなら、如何なる労力や努力も厭わないと。




君を守るその為なら、一番苦手とする嘘や猜疑にさえ。






「君は何も心配しなくていい。
 それに───寂しいのなら、私を親と思ってくれても構わない」









完全に君を欺いてみせる。







「・・・花束、持って来たんだ。それと………ちょっとした贈物が」









今、この決意を誓おう。








「名を、与えよう」








囲い、囚われた籠だといえども、それでも君は空を飛べるのだから。





君の名に、誓う。













「君の名は“”───君が総ての物に耳を傾け、総ての者が、君を愛すように」







「───……‥」







──良い名、だろう?」










ふわりと初めて微笑む君。
糸を断ち切られ、命を与えられた人形のようにぎこちなく、そして美しく微笑する君。





雪割一華の花が示すように、という名の少女が微笑んだその時、確かに、この世界に風が吹いた。







それが“嬉しい”という感情だと教える。




初めて彼女に教える感情が、“嬉しい”で良かった。















「うれ‥し、い……。じゅ、しろ‥‥う・・・」

















この小さな郭の中で、世界は、廻ってゆく。
















廻り、巡り、闇を打ち砕く、光輝く希望となる。






それはまるで、光る鳥。





真昼の流れ星。





青い天空を切り裂き、総ての道を照らす流れ星。
日の光に隠れながらの軌跡は決して地上の人々に気付かれはしないけれど、それでも。









それでも、君は輝く。









君の名は「」。




凪を運ぶ、現世からの小さな使者。





人類の、俺の、希望。







風の示すまま、望む儘。







従うよ。
罪業を背負うことになれど、君が望む儘。
罪の意識に苛まれることが深い煉獄から来る贖罪になるのなら、二人囚われた郭の中からそっと空へと飛び立とう。

















君の思う儘。





望む儘。


























─────ザァァア‥‥ザザン‥‥ザザ……ン………




跳ねる水玉。



塩辛くて、そして甘い。






「十四郎様っ、次はまた海に行きたいの!」




君と俺の記憶。





君の思う儘。




望む儘。














ああ







何処へでも、行こう









お前が望む、その場所へ。






























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お疲れ様でした〜。以上、異様に長い番外編でしたw
軽く連載7話分くらいありますね。


番外編B「冥加者」はキリリクの品にございます。連載キリリク有難うございます♪
チキンな私が「お蔵入りのお話があって・・・」という白々しいまでのアピールをしたところ、書いても良いよ!
というお許しをいただきまして書かせていただきました。
毎回本当にそうなのですが、こんなに長くなる予定ではありませんでしたよ・・・!長くて「遺書」くらいにしたかった
ので;


内容について振り返ります。


こうしてになったですが、結果浮竹の熱心な思いは悲劇へと向かっていってしまうのですね。
の幸せを追求するために「の望むまま」彼女の望んだことを叶えてきた浮竹隊長なのですが、
「遺書」ではそれを守れなくて(任務優先)喧嘩してしまい、結局浮竹が教えてこなかったことは連載本編において
藍染に教わることによって崩壊してしまうわけですしねぇぇ・・・。


四十六室の命令事情をしらないは藍染の元で知らされた事実を聞いて
「やっぱり浮竹は自分を利用しようと今まで教育してきたのか。だって出生の事実教えてくれなかったし」
とか思ってしまうのは仕方ないことで、浮竹をうらんでしまうのも仕方がないことになってしまうのです。

愛情の行き違い、すれ違い。しかもよく物語でありがちな「気付かずのそれ」ではなく「了解のうちのそれ」という。
アンビバレンスとアイロニー。うーん、興味アリなテーマです。


そしてこのお話の根本・・・何故そこまでしてを助けたかったのか?自責の念、というのは・・・
これからさき、初雪草編に明らかになりますのでお楽しみに。



「冥加者」は役職名です。
最初は「守護者」という名だったのですが、あれだけの存在を邪険にしていた四十六室が「守護」っていうのも
何か変な感じでやめました。
この連載で対比されるのは「藍染と(終焉・再生)」と「ギンと浮竹(守護者)」なので出来るだけ「守護者」が
よかったのですが・・・やっぱりヘンw


友達にもメールして良い名前を考えてもらいましたが結局浮かばず、ネットで色々調べていたらこの語を見つけました。
意味の中に「幸運な者」「裏切ったら罰を受けることを覚悟で加護される者」という意味があったのでこれに決定。


やっぱり四十六室はを邪険にしないとw
あ、と・・・マユリ様の扱いが唯のマッドサイエンティストでごめんなさいw
私的には彼はの姑みたいなかんじです(ええええ)えへ。
結局遺書の最後で人工海岸造ってくれますしね〜。結局マユリ様はを気にいってるんだと思います・・・?(あれ?)




なお、この物語は詩以外、明星様限定でお持ち帰り可能にございます。
こんな長ったらしい文章ですが、煮るなり焼くなりご自由にどうぞv



それでは、今回はここらへんで失礼致します。





日春琴