第三十三話「朔副虹」
音という音を飲み込まんとするような、深い深い闇。
ひゅうひゅうと、夏には似つかわしくない冷たい風が断続的に吹き荒んでいる。
颯爽とそのなかを突き進む少女は口を一文字に結び、無心のままただひたすらに歩いた。
かすかな霊圧を探って目指すのは、あの男の元。
彼女の歴史のなかで最も恨めしく、憎ましい存在である存在。
その存在にめぐり合った時、彼女の口からは何が語られるであろう。
呪う言葉か、引き止める言葉か、懇願する言葉か、・・・はたまた命乞いの言葉か。しかしそれが分かる人物は皆無だ。それも当然だ。
他人が分かる由もない。彼女自身も分からないのだから。
もう幾刻探し回っただろう。短いため息をついて見れば東のほうから段々と漆黒は藍色に染め替えられてきている。
早く、早く・・・見つけなければ。
彼の心の声や波動は完全に感じ取れない。
僅かな焦燥を胸に、しかしこの懐かしい、脳に染み付いた憎しみを頼りに手繰っていけば必ず出会えると信じていた。
ただ今この瞬間だけうぬぼれていいとするなら、それを『運命』と呼びたかった。
「――――――やはり、来たのだな。 」
地に堕ち逝く朔月の僅かな残光に、の抜いた刀が、輝いた。
【流星之軌跡:第三十三話「朔副虹」】
貴方の瞳が映す世界に、私は行きたいのかと自問する。
危険で戻れぬ無限の次元。その響きは陰鬱な理論で 私の視界を夢幻に飛躍させるのだ。
『恋は盲目』とは言うけれど、きっと私は望んでいない。
その跳躍は聡明的自発意識の廻に面していて、かならず納得無しには交わらぬ対極であるはずだから。
しかしその熱い源は何処からと、ふと虚無感に襲われる。
わからないというのが本音だが、わかるのはただ一つ、この覚悟。
貴方が黒翼を羽ばたかせる時は 私を消してから行け。
私はやはり この有限を捨て切れない。
・・・ああ、今、自覚する。
始めから貴方とはかけ離れていたからかもしれない、と。
しかし故に引かれあった、と。
絶対的無機質量と紅い月に吠える狼が、生まれる前から互いに引き合っている運命(さだめ)のように。
ここまでくると流石に、自惚れだと嘲笑われても仕方がないだろう。
かようなことに己の、たった一つの命を差し出そうとしている。
自覚している。
覚悟している。
だから貴方に刃を向ける――――――。
「あれを使っても尚死ねぬ、お前なら・・・仕方ない」
どうしようもなく怖いし、思わず刀は震えるけれど。
貴方の崇高な極地に、他人の暗い旅路を嘆かない。
私は只、貴方の明るい旅路を嘆いているのだ。
だから。
恐らく今私は、この世で最も静寂に満ちた表情で、貴方と立ち会っているのだろう。
しかし 幸いだ―――今夜は良いついたちの月夜。
闇に紛れて見えぬのだから尚更良い。色はこの際隠して良い。
そうして映した宵闇に、きっと、二人の真意が照らされているから。
光彩弾かぬ万物の宴が今 始まる。
「君を連れて行く訳にはいかないな」
「存じております。 なら」
「解えは、わかっているな」
ちらりと輝く朔副虹(ついふくこう)。この日になんと相応しいものかと、目を細めた高みの君。
照らす乱反射が、もう二人は浮世を跳躍しはじめていることを哀しく物語っていた。
「どうして見たいと思わなかった」
「笑止。 貴方にないものを守りたいからです」
そう言えば、満足気に貴方は笑った。
「悪くない幕開けだ」
くすりと微笑んだのだろうか。
推測の向こうに貴方の永遠が見えた―――
そんな気が、した。
――いつからだろう。
矛盾との焦燥に煽られて、どうやって世界を掴もうと、必死に手を伸ばし続け・・・
結果その究極的な方法として果てしない因果六道を守ろうと
契りを交わした双刀(ふたかたな)に、二人、声に出さずに、秘め事をしたのは。
結び付けたのはそれ。
裂くのもそれ。
しかし極限を破壊して 永遠を共有する
その、どこの書物にもしるされていない、高潔な道に飛躍させてくれるのも・・・確かにそれだった。
「行くならば、必ず私の心の臓を止めてからにして下さい」
「無論。 それでなければ、殺す意味がない」
どちらかの刃先が
どちらかの命の音を止めたとき
「始めようか」
「はい」
あぁ、そうだ
私は亜空の幸せ者になる。
道はついに跳躍し
二人は
無窮の精神界を歩むことになるのだから。
これが
『愛してる』
なんて言えなかった
愚かな私達の末路への
せめての餞なのだろう。
***
藍染隊長との決着は、本当に一瞬だった。
確かに通常の時間では『一瞬』だった―――しかし、それが走馬灯というものに形容されるように、ひどくゆっくりに感じられた。
私は迷うことなく隊長に切りかかる。悠然と刀を構えた彼の正面から得意の突きを繰り出し、しかし霊圧の変化から初撃など簡単に
かわされてしまうことを知り、脊椎反射で一歩後退する。案の定、先ほど戟を飛ばした場所には彼が振り下ろした鏡花水月が白く
光って、私をくすりと笑っていた。
『檄する時、人は誰しも気を放つという。幾ら熟達した達人といえど影の様に忍び、射殺す事など出来ぬ―――』
私の守りたい、限りのある世界。
脳裏にふと朽木隊長とのあの試合が浮かんで、心の中で感謝をした。
『お前の言う小さき轍とは、余程重いのか』
反芻する。
朽木隊長―――ああ、あなたも有限に嘆いていたのですね。
「剣の腕も、相当上手くなったようだ」
死を振りかざす偉大なる神の前で、私は決して一人なんかじゃ、ない。
私の背後には沢山の人々がいる。
『もしあんたがあたしを必要とした時はいつでも・・・あんたのところに飛んで行くから・・・ッ』
得体の知れない私をまるで妹のように愛し、陰鬱な心に生きる光を与えてくれた、松本副隊長。私は貴女みたいに強くなりたかった。
貴女みたいに、誰かの光になりたかった。
『お前、栄養失調らしいからな。 無理な減量とかは・・・控えろよな』
最初のうちは私に嫌疑をかけて警戒していたけれど、親しくなれば不器用にも気遣って下さった、日番谷隊長。私自身も初めは貴方の
ことを猜疑の瞳でみていたけれども、本当は誰よりも繊細で優しいことを知れば知るほど、この世界に光を見出すことが出来ました。
そして朽木隊長―――多くは語らぬも、貴方とはどこか似たものを感じて、その冷たい心に眠る確かな優しさを知った。
大丈夫。貴方の流る掟は貴方自身の奔流に近い将来必ず、破れるでしょうから。そして・・・あの女の子―――どうか、十四郎様の
愛す部下であるルキアさんを救ってください。たとえ、血が繋がっていなかったとしても、彼女は貴方の大切な肉親だから。
阿散井副隊長は、最後まで朽木隊長に理解を示す私を嫌っていましたね。でも、貴方は貴方でいいと私は思う。
いずれそれも、近いうちに・・・貴方の目的を果たすと思うから。この温度すら超越して、高遠なる月に貴方の声は、届く。
雄矢さん―――私は貴方を贄にしてしまったことを、今でも悔いています。貴方は本気で私を愛して下さった。なのに、私はその愛情
を、幻想という名の妄想で拒絶して、貴方をこの手にかけてしまった。今なら、話せば分かってくれたのかもしれないと思ってやまない
のです。
許してくださいとは言いません。ただ―――こんな私が願ってもいいのなら、もし転生をしたのであれば、その時はまた涼子さんと
出会って―――どうか、どうか、幸せに・・・。
卯ノ花隊長―――特秘事項である私の存在を気にかけるわけでもなく、怪我をした時は無償の愛で治して下さいました。私が謄本を
自分の命惜しさに盗もうとしていたあの頃も、常に私を気遣ってくださって―――感謝しても、しきれません。
山本総隊長―――実験中にあった私を人として扱い、四十六室に掛け合ってくださった恩恵は、今でも忘れません。その後も隔離施設で
日々死神の訓練を続ける私を勇気付け、そして特別密偵という使命を自ら与えてくださったことも。からっぽの私に存在理由を与えて
下さったのは、貴方でした。
『さん、さん―――』
・・・雛森副隊長。私が無限を拒絶するあまり、貴女を騙してしまって申し訳ありませんでした。貴女はこれから大変に辛い運命を
辿ることになるとは思うけれど、総ての真実が明らかになった時―――その時は、私を恨んで、そして呪って。その代わりに、藍染隊長
をその純白な思いで愛して欲しい。たとえ周囲からどんなに批判されようとも、貴女の愛する藍染惣右介が、偽りのそれであっても、
それでも、どうか。どうか、貴女は貴女の信じた正義に殉じて―――幸いを。
そう、皆皆―――あなたはあなたでいい。あなたは、あなただからこそ存在し、生き、そして素敵なのだから。
・・・そう、教えてくれたのは、
『 』
十四郎、様――――――。
この世界の汚い所を教えて下さったのが藍染隊長だったとすれば、十四郎様は綺麗な所を教えて下さった。
私がこの世界にとって危険で不安定な存在だと知って、四十六室から利用目的で育て上げる命令を受け―――その大儀と責任の元で
貴方はどれほどの哀しみと苦しみを背負って生きてきたのでしょう。この世界の汚い所を必死に隠して、それでも誰の子でもない異端の
私を保護し、慈しみ、愛してくださった。
そんな貴方を一度でも疑ってしまった私を、貴方の護る隊員を手にかけてしまったことを、どうか許してください。
そして、・・・最後に、もうひとつ。
許して欲しいことがあります―――。
『―――必ず生きて、帰って来い。 そうだな、そしたら今度は・・・現世の、本物の海に行こう』
私は貴方の守る儚くも美しく、そして愚蒙で穢れた世界を、愛し、そして護る。
なけなしの命を懸けて。
「怖いかい」
「・・・怖くなんて、ありません。 私はもう十分、愛され、生きました。 だから――――――」
私はこの短い時のなかで、いくつもの嘘をついた。
怖くないなんて嘘。生きたことが幸福なんかじゃなくて、本当の幸福は別の何かで、だからそれもきっと嘘だ。・・私の守る背後に、
貴方も加わっていればよかった。
「藍染 惣右介――――――・・・」
息をひとつ、大きく飲み込んで思考を切断した。
無我夢中で、しかし最後の一閃だけは恐ろしいほど心を無にして冷静に。十四郎様に教わった暗殺法を、私は目の前の身体に叩き込む。
何度か剣が交わって、そのたびに赤い火花が生まれて、そして闇に死んで。僅かに出来た間合いに詠唱を破棄した鬼道を叩き込み―――
心を空っぽに、全身の筋肉を弛緩させて煙の向こうにある影に、鬼道の爆風に乗せた刀を思い切り投げつけた。
指を離れる寸前、刀には手ごたえがあった。ぎっしりと引き締まった肉を穿つ、あの鈍い感覚―――。
やがて煙が晴れ、一枚一枚景色が流れ出してゆく。
まるで弓矢のように遠くに飛んでゆく刀―――それは藍染隊長の胴体をしっかりと貫いていた。
やがて刀は鋭い音をたてて、少し離れた所にある巨大な壁に突き刺さる。
藍染隊長の身体がどう、と、慣性に逆らうことなく音を立てて、そのまま壁に打ち付けられる。
そして、噴出した真っ赤な血が、白亜の壁に花を咲かせた。
ああ――――――・・・
ついに、消してしまった。
殺してしまったのだ。
私は、私の、この世で最も愛する者を――――――殺めてしまったのだ。
最後の夜から逃げ出せば、完全に空には届かず、だからといってこの手で息を断っても、空なんて掴めやしない。
だから、止めに来た。
そのはずだった、のに。
ああ、私はどうしてこんなに弱いんだろう。
紅の花を目に焼き付けて、視界が歪んだ。
おそらくそれは涙、だったと思う。
だけれど刹那にその花はまた別の赤で染め替えられた――――――。
藍染隊長との決着は、本当に一瞬だった。
私の後ろから背中を貫く、冷たく鋭い感覚。私の心臓から噴き出した鮮やかな赤。
その次にとん、と何かに支えられる感触がして、ついにどっと涙が溢れ出した。
刀を持っていない左腕で―――ぎゅっと切なく抱きすくめられる。
ごめんなさい。
宝石みたいに輝く海の水を、零れおつそれをとどめたくて、精一杯、一杯、腕を伸ばしたけど
もう、無理だ。
海は干上がって、完全に大地が露出してる。
もう、いいかな。
もう、頑張らなくても、いいかな・・。
もう、疲れたよ。
でも、本当は、諦めたくなんかないよ。
ごめんなさい。
弱くて、ごめんなさい。
ゆるして、ゆる、して、ゆるし て ・・ ・ 十四 郎 さ 、ま 。
は海に、 ご一緒 できぬ、ようです。
『 君の名は“”───君が総ての物に耳を傾け、総ての者が、君を愛すように。
──良い名、だろう? 』
(もういちどだけでも あなたに あいたかった)
――――――パキン・・・
頭のなかで、胸のどこかの鎖が破れた音がした。
それが何の音だったのかは分からないけれど、私はその時、本当に幸せだった。
「おやすみ、」
刀を抜かれて身体の均衡を失い倒れる寸前、藍染隊長は結った私の髪に笄を刺した。
視界の端で頼りない蒼の光がきらきらと揺れて・・・綺麗、だった。
どさり、と身体が床に叩きつけられる音がして、身体中を走るあらゆる痛みに、動く力など最早到底生まれなくて・・そのまま去りゆく
足音を耳に刻んだ。
途端何事もなかったかのようにしいんと静まり返る廊下で酷い耳鳴りがする。気道を傷つけられたか、生暖かい温度が逆流して、真っ赤な
血反吐を勢い良く吐き出した。穴の開いた胸からはどくどくと漏れ出している。次々と溢れ出してくる血液で塞がれてろくに息も出来ない。
熱い、寒い、痛い、苦しい――――――。
だけれど、あれだけ怖がっていた死は不思議と、怖くない。
それよりも、私の心を埋め尽くしていたのはやりきれないけれども、これ以上ない至福。
どくん、どくん、と音を立てて失われてゆく意識のなか、口許は満たされたように微笑む――――――。
(さよなら。)
ついに視界が真っ黒になった時、私はゆっくりと瞼を閉じた。
永遠を願うなら 一度だけ抱きしめて
その手から 離せばいい
私さえいなければ その夢を守れるわ
溢れ出る憎しみを織り上げ
私を 奏でればいい
優しく殺めるように
続
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*さて、ついにやってまいりました。
朔副虹編最終話、いかがでしたでしょうか。
*いやぁ、流石に暗いですね〜。
お話の流れ自体は共通ルート27話「断罪。」と似ている気はしますが、死へ向かうの気持ちが大分違っています。
27話は無限自覚はさほどしていないので、死ぬことはやっぱり怖いんです。最期まで浮竹隊長のもとへ帰りたがっていますが、
今回の話しでは藍染隊長を刺したあたりから無限自覚が8割くらいになっていたので、ほぼ完全に有限を捨てているんですね。
なので、海には帰れないと嘆いていたわけです。
本当にが浮竹の元に帰りたければ、生きながらえた時に藍染隊長を追わずにそのまま十三番隊へ帰還していればよかったのです
からね。
では浮竹隊長ルートではここはどうなるのか・・・?実はもう考えていますが、ご推測してくださると嬉しいです。笑
*が刀をふっ飛ばしながら刺した藍染隊長は、本誌でも出てきたあの幻の藍染人形だった、という落ちです。
どうしても私自身が、原作に夢主様が出ているかのような、原作と溶け込んだようなお話が好みなので、おこがましいですがそういう
設定を立てました。
しかし自身は鏡花水月の完全催眠下にはないのであの幻は本当は見えていないはずなんです。が・・・何故あの時だけ催眠状態
のようになってしまったのか・・・。これは以降特に言及しないつもりなので(理由はありますが)またまたご推測していただけると
嬉しいです。
有限に偏りがちだったですが、藍染人形を刺したときに「本当に愛していたのは、いつしか無限(藍染)だった」と気がつき、
後悔した瞬間に後ろから本物の藍染隊長に心臓を貫かれたという流れになっております。
*今回は珍しく、9割視点で書いてみました。・・私自身、こうやって誰か人物の視点で書くのが普通でも下手なのに更に下手に
なることを痛感致しました・・・とほほ。やはり元々が文書き屋さんではないので、無い力が浮き彫りにされますね。本当、小説を
すらすらとかける方は凄いですね。と、ぼやきになってしまいましたが。笑
最初は第三者の視点→心境詩→視点・・というかんじでしたが、いやはやもうなんか、言いたいことって上手く伝わりません
ね・・・。どうしても改行が増えてしまって読者様には申し訳ないです。
*余談ですが、この詩みたいな部分は、実はこの連載を始めるきっかけになった詩なんです。かれこれ4,5年前の文なので正直恥ず
かしいところでしたが、これはこのまま載せるほうが真に迫るものがあっていいんじゃないか、と思い、当時のものをそのまま転記
しました。
当時はコミックスで20巻が出たばかりで「ちょ、藍染様かこよすぎww」と思い、勢いのまま書いたのですが、それに元々の浮竹隊長
ラバーの性根を足していってこの連載が出来上がりました。この勢いだけで書いた詩にはどんな思いが詰まっているのだろうと、
冷静になって紐解いたらこんなグッログロのダークでシリアスな物語が出来ていたという・・・。笑
連載をやろう!と決めた後のテーマソング探しでCoccoに出会い「樹海の糸」に出会い、それのイメージを詩から変換した物語に肉付け
をしていきました。
なので個人的にこの話はとても思いいれがあるものになっています、はい。笑 若かったなぁ、自分・・。
*さて、次回からちょっとお話の味気が変わってきます。いよいよ流星之軌跡も中盤〜後半にさしかかってまいりました。
本誌ではなにやら藍染様が大変なことになっているようでちょっと怖いですが、まぁいずれそうなる覚悟は・・・できています、が。
やはり寂しいものですね。うん。う・・・ウルキオラァァ!(ノД`).・。←
ではでは。
5:55 2010/02/15 日春 琴
♪「樹海の糸」Cocco(「ベスト+裏ベスト+未発表曲集」、「ラプンツェル」等収録)