第三十五話「そして冥加者は天命に終止符を討つ -後編-」
時は少しばかり戻った昨日の朝のことである。
十番隊副隊長である松本乱菊は四番隊の詰所に資料を引き取りにきていた。最近の旅禍侵攻に対する被害状況や、虚討伐で自隊が負った
負傷者名簿などをまとめたものをどうせ暇をもてあましているのだろうと隊長である日番谷に命じられて、しぶしぶとやってきていたの
である。
最高機密である資料のために、隊長である卯ノ花がじきじきに資料を引っ張り出して、松本に渡す。卯ノ花が軽々しく持っていたものだ
から軽いものかと思って油断した。彼女の細い腕のどこにそのような力が隠れているのか・・・思わず膝を折ってしまいそうになる松本
は苦笑をしながら「どーも」と踵を返す。
「これで全部ですね? ・・・あーあ、まったくもうなんだってこんなに重いのよ・・・・・・」
と、その時だった。
急にバタバタという慌ただしい音が響いてきて、それはどんどんとこちらへ近づいて来るではないか。
何か火急の用なのだろうか―――思わず悪い予感に、二人は身を堅くした。
「う、うう、卯ノ花隊長はいらっしゃいますかぁ!?」
「は、はい」
最早突っ込むような勢いで隊首室に入ってきたのは十三番隊第三席である虎徹清音だった。相当慌てているのか、そのままの勢いを
抑えきれずに思わず卯ノ花の胸にぶつかって、ようやく止まった。そしてそのまま、卯ノ花の目に訴える。
「お、おい清音ちゃ・・・・・・っ!? らっ、乱菊ちゃん!?」
「あら、京楽隊長じゃないですか」
後ろからは彼女を追いかけてきたのであろう八番隊隊長、京楽春水が松本を見るなり顔色を変えた。
「ううう卯ノ花隊長、大変なんです! なんか女の子が血だらけでろろろ、廊下に・・・」
「ちょ、清音ちゃん、待っ――――――」
「『ナギテイス』という方が瀕死だって・・・隊長が・・・!!」
片言の役職名を脳内で変換した卯ノ花の顔が凍る。しかし、一番に反応を示したのは―――。
「なんですって・・・!?」
その聞きなれない役職名よりも、あの少女の名を耳にした、松本だった。
【流星之軌跡:第三十五話「そして冥加者は天命に終止符を討つ -後編-」】
緊張に満たされた部屋には、ただ虚しく何も知らない清音の息切れの音だけが木霊していた。
松本は自分の妹のように可愛がっていた少女が瀕死という緊張、卯ノ花は顔見知りの少女が瀕死だという緊張とそして―――何故かは
知らないがの存在の露呈禁忌を破ってしまったという局面に対する緊張。彼女同様に、京楽の心のうちもその二つで緊迫していた。
「・・・状況は」
その沈黙をいち早く破ったのは、このような場でも常に冷静でいられた卯ノ花だった。
確かにの存在露呈を破ったことに関しては気を咎めるが、松本に詰め寄る隙さえ与えられなければなんとか乗り切れると踏み、
何よりも現状確認を急いだのだ。
「は、はっ。 先ほど、浮竹隊長と共に銭湯に出かけました折の帰り道のことです。 私たちが東障壁に通じる廊下を通った際、
そこに女の子が血まみれになって倒れてて・・・それを発見した隊長は、四番隊に『ナギテイス』が瀕死であると緊急
伝令するようにとお命じになったのです」
「それで、京楽殿はどうして・・・」
「ボクは偶然、血相変えた清音ちゃんにさっきそこで会ったんだよ。 で・・・。 ・・・案の定、意味の分からない内容で・・・
門番に通せんぼされていたから、連れてきたというわけさ」
「そうですか」
珍しく言葉を選びながら話す京楽、そして自分の反応を無視するかのような卯ノ花の態度に、松本はどことなく不信感を募らせた。
そして目の前でああだこうだとの報告が交わされる中、あるひとつの疑問点にぶち当たる。そうだ、確か彼女の報告書には・・・
そうだとすれば、何故?そして何故一瞬必死になって止めたのだ?
「それでは、私は・・・」
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
「・・・・・・」
そそくさと刀を持って退室しようとする卯ノ花の後ろ背についに松本は声を荒げて疑問を口にした。
「・・・どういうことですか。 『ナギテイス』って。 私の知る五番隊所属のには、そんな肩書きなど無いはずです」
後ろを振り返る卯ノ花の表情は依然として変わらない。しかし、一瞬、一瞬だけだが京楽の表情が何かに固まったような色をして、
疑問は確信性を高める。それを目にして、松本は強い口調で今度は彼に詰め寄った。
「京楽隊長。 何故、を知っているんですか」
それは・・・と京楽は言葉を濁らせる。
「そ、それは・・・ホラ、ボクは女の子のことは全員網羅してるって――――――」
「嘘です! 彼女はまだ八番隊に対して未公開であるはずです。 は十三、四、五番隊という異動をしてきました。それも
ほとんど外に出かけることの無い雑用ばかり―――いくら京楽隊長とはいえ、目にかけるのは天文学的確率でしかありえない。
第一・・・何故、京楽隊長は私を見た時、一瞬清音に対して待ったをかけたのですか」
「う・・・・・・」
「それに、何故他隊の平隊員一人に対して、四番隊隊長である卯ノ花隊長自身が宛がわれるのですか―――こんな、ただでさえ
旅禍の騒ぎで人員が不足しているというのに。
・・・申し訳ありませんが、私には・・・。 ・・・何かを隠しているとしか思えません」
まくし立てるような松本の訴えに、再びその場はしんと静まり返った。同時に笠の下の京楽の張り付いた笑顔が消える。
卯ノ花は深い事情を知らないが故に、まるで彼の様子を観察するかのように凝視して、動かない。清音はなにがなんだか分からない
といった様子で肉薄する三人の様子をおろおろしながら見るしかなかった。
暫くの時間の後、何かに見切りをつけたかのように短いため息をつき、そしてそのままバッと身を翻した。
「はぁ・・・やれやれ、わかったよ。 ただ、これには『アノ人』の許可が要ることだからねぇ」
「京楽隊長!?」
すぐに見咎めた卯ノ花から声が上がる。特別密偵という役目上、存在露呈を何よりも禁忌とする彼女を思えば、京楽の行動は予想だに
しないものだった。一体なにを考えているのだと彼を睨めば、片手で軽く制される。
―――何か思惑があるのだろうか。その思案に時間を費やしたいところだがしかし、清音からの現状報告を聞けば事は一刻を争う
事態だ。彼女の―――異常霊圧を持ち合わせる彼女が死にでもしたら、一体この世界にどのような影響があるか計り知れないからだ。
それに―――卯ノ花の脳裏に、かつて亡くした自隊の庶務員と、彼を亡くした時のの泣き顔が浮かぶ。あの何かを諦めざるを得ない
といったような、安楽の場を失った彼女の泣き顔が。―――なにがなんでも、死なせてはならない。その言葉が心を突き動かす。
それに、これ以上は自分よりも内情に詳しい京楽のほうがうまくやってくれるかも知れない。卯ノ花は短く礼をして、それから清音に
連れられて例の廊下に向かった。
「それじゃあ、乱菊ちゃん―――ついておいで」
松本は笠を深く被りなおした京楽の表情を伺おうとするが―――その色は闇に隠されていて全く分からなかった。
***
一体どうしたものか。
山本は頭を抱えていた。いや、どうするも自分に決定権は何も無い。全ては上が―――中央四十六室が決定することだ。しかし、予想
できる最悪の場合を考えるとどうしても己の中の正義が首を擡げる。その最悪な筋書きに流石にそこまですることはないだろうと
自分で自分の考えを否定して、しかしどうしてもその悪い予感は払拭出来ずに、ただ静かに部屋を見回すことしかできない。
すると、大きな門を叩く音が響いて、予てから聞き及んでいた来訪者の訪れを悟る。
「――――――来よったか」
入ってきた者は厳粛な声にすぐに傅く。ただ、そのうちの一人はいつものように飄々として立っていたが。
いくら嘗ての教え子だとはいえ、こういった公式な場では礼法を遵守せよとは教えたはずなのだが…そんな暢気のもとれる思考がふと
過る。それは今から追求される状況を想像した故の逃避なのかもしれない。
「十番隊副隊長、松本乱菊です。 恐れ多くも総隊長・・・単刀直入にお尋ねします。
彼女は――― 一体、は何者なんです?」
松本のことだからずばりそのものを訊くだろうとは予想していたけれど、あまりにも直球すぎだ。京楽は少し驚いて、それから山本に
ちらりと目配せをした。まるでそれは「どうします?」と訴えかけているようだ。しかし、山本は何も答えない。
一方、松本は京楽について来いといわれた先がまさか総隊長の自室だとは思わなかったが故に、やはり何か重大なことが隠されていると
緊張に身を堅くする。だが、こうも何の反応もなくては思わず焦ってしまわずにはいられない。
「は何者なのですか・・・そして彼女に一体何があったのですか? もし――――――」
松本はそこまで口にして、ある交換条件を思いつく。
少し卑怯な気はするが、それでも彼女について知りたい。たとえそれが禁じられた・・・過去に自分が想像した―――彼女が大罪人
だったとしても、それでも、彼女のことが知りたかった。
「もし、あの子が何かの事件に巻き込まれたのだとすれば・・・少しばかり、心あたりがあります」
これは正直、嘘だった。
心あたりがあるといっても、ただ彼女が誰かに自傷行為を強要されていたり、もしくは彼女が死を望んで一度は自殺未遂を起こした
ことくらいしか知らないのだから。しかし、たとえ総隊長である彼を騙してでも聞き出したかったのだ。
彼女の隠された過去を知れば、彼女があそこまで苦しみながら「生きたい」と叫んだ涙の理由が分かるような気がしたから。
「・・・どうすんの、山爺」
「ふむ・・・まぁ、仕方ないの」
「・・!?」
「そんなに知りたいのなら、教えよう。 松本副隊長よ」
――――――意外だ。
あんなにも規則に厳粛な山本が、こんなにも簡単に教えてくれるなど。いくら交換条件とはいえ、その真偽を確かめることなくして
何故?
京楽も松本と同じく耳を疑った。仮に、自分と同じ想像をしているとして、それでも推測の域を出ないうちに―――上の命令無しに
そんなにも簡単に教えてしまっていいのだろうか。少し迂闊なのでは―――そうは思えど、総隊長のことだからなにか思惑があるに
違いない。少しの不信感と共に、京楽はひとまず呼吸をおいて、静観に徹した。
その暴露に何か薄気味悪さを感じずにはいられないが、山本は話してくれるというのだ。余計な詮索はひとまずおいておいて、松本は
彼の説明に集中した。
「あの子――― は、この尸魂界護廷十三隊の特別密偵じゃ」
そこで―――松本は全てを知った。
は、元々この世界の人間ではなかったこと。
彼女は元々、現世で須藤という、至って普通の、平凡な高校生だったということ。
しかしある日突然、原因不明の事故によってこの世界に『生きたまま』飛ばされ、北流魂街第八十地区『更木』に召喚されたこと。
異常霊圧を有するは暴走し、総隊長と浮竹が彼女を止めに入ったこと。
原因は不明だがその結果、彼女は「人間でも、虚でも、また死神でもない」不完全な魂魄になってしまったこと。
そのまま異常霊圧とその特殊な存在を持ち合わせているが故に十二番隊の実験体となって死に瀕したこと・・・しかし彼女が実験の
衝撃で記憶を失ったことを好機に、異常霊圧暴発を恐れた中央四十六室は彼女に恩情を刷り込ませ、偽りの過去で洗脳し、近い未来
彼女の能力『超千里眼能力』を未来に利用することを命じたこと。
そしてその洗脳教育者を、浮竹に命じ、彼女の将来受けることになる役目の性質上、隔離施設『白鷺郭』に監禁したこと。
彼の教育は何よりも優秀で、誰よりも純粋な『』となったはまんまと「自ら」死神になることを志願したこと。
血の滲むほどの努力の末、ようやく最近特別密偵として潜入捜査を開始して―――その矢先に、何者かに心臓を貫かれたのだと。
「そんな―――・・・あんまりよ・・・」
全てを聞き終わった松本はぽつりと呟いた。
「そのって子がこの世界に来たのは紛れも無く、この世界のせいでしょう? 原因が分からないとしても、その不祥事を隠蔽する
どころか、死ぬような怖い思いさせて・・・それで飽き足らずに洗脳して利用した・・・」
京楽と山本は何も答えない。ただただ、松本の悲観に暮れる声に耳を傾けるだけだ。
「これでもし、が目覚めなかったら・・・彼女は役立つことが出来なくて申し訳ないと思って死んでゆくだけじゃないの。
あの子はそういう子よ・・・。 それは浮竹隊長に育てられたからじゃない、自身がそういう子なの。 数日の間だけだった
けど、一緒に生活してきた私には分かる。 は、馬鹿みたいに純粋で、だから何でも無理して、自分ひとりで背負い込む・・・」
「乱菊ちゃ―――・・・松本副隊・・」
「こんなの・・・こんなの、おかしいわよッ! 中央四十六室も、それを黙認する護廷十三隊も・・!」
「松本副隊長ッ! 言動を謹んで・・・」
「総隊長、教えて下さい! は今どこにいるんですか? あの馬鹿な娘、今すぐにでもひっぱたいて起こして来ますっ!」
「・・・・・・・・・」
「何故、教えてくださらないのですかっ!? の存在露呈を禁忌とするなら、それはもう教えてくださったではないですか!」
怒りに涙を打ち湛えた瞳でギッと見上げられ、しかし山本はそのまま表情を微動だに変えず、ただ静観するだけだ。
それなら―――先ほどの話しにあった隔離障壁郭『白鷺郭』に向かうだけだ。その途中にいかなる障害があったとしても、それを
打ち破ってでも彼女に会いにいくだけだ。そして純粋にぼける脳を揺らすくらいにひっぱたいて、そして何が何でも目覚めさせてやる。
山本のがんとした沈黙に業を煮やした松本はついに踵を返す。
「――――――待てぇい! 松本副隊長!」
「っ!」
「山爺・・・!?」
―――ガタンッ
ようやく山本が席を立った。
久方ぶりに見た我が師の狼狽する姿を目にして、京楽は目を丸くする。だが―――確かに自分も先ほどから気になってはいたのだ。
あんなにも規則に厳しい山本なのに、何故いとも簡単にの秘密を暴露してしまったのか。それは京楽にとってみればなにか
『大切な何か』を護るために、いわば『囮』や『餌』といった情報を渡しただけのような白々しさを感じた。
そして今―――松本が白鷺郭に向かうことに対してあんなにも過剰に反応をしたのか。松本の言うとおりだ。の秘密をばらした以上、
その秘密を知った彼女が隔離施設へ向かうことはそんなに危険ではないはず。
もしや―――自分が予想している以上に、何か山本はの状態について知っているのではないか。
京楽はそこまで思い至って、最早松本を止めようとはしなかった。
ただ、初めて焦りをその深い皺に滲ませる山本の次の言葉を待つ。
しかし―――ついに山本から語られた新事実は、悪い予想をはるかに凌ぐものだった。
「は―――あの子はもう二度と、決して、輪廻転生出来ない身体になってしまったのじゃ」
二人の表情が、瞬時に凍りつくのが分かった。
「そ、そんなこと―――」
「そう、普通ならありえないことじゃ。 全ての魂魄は、死した後は霊子に分解され、この世界の一部になった後、再び現世に再構成
されるのが万象摂理。 普通なら、ありえないことなのじゃ」
その何か含みのある言い方に京楽はハッとする。そうだった―――彼女は『普通』ではない。
「先刻卯ノ花隊長から知らせがあってな。 原因は不明・・・じゃが、転生完全不可能というのは紛れも無い事実。 恐らくは、あの子の
異常霊圧に今回の殺傷が何らかの影響を与えたためなのじゃろうが・・・」
二人とも、言葉が出なかった。
そして、山本に告げられずとも「完全絶対安静」である必要性は理解できた。頭で理解は出来たが、しかし、どうしようもない哀しみが
松本と京楽に突き刺さる。
「この報告はもう四十六室にしておる。 そんな状態のあの子に最早任務続行は出来まい・・・明日には、辞令が下るじゃろう・・・」
暫くの間、再び沈黙がその場を満たした。
京楽も予想だにしなかった現状を聞かされて、何も言えなくなってしまう。先ほど―――松本をここに導いたのは紛れも無く、山本
と同じ予想をしていたからであるが、しかし―――それは彼女が瀕死が故に暫くの間任務を放免されることくらいだった。まさか、
二度と転生できずにただ朽ち果ててゆく運命になっているなどと、誰が予想できただろうか。あまりの衝撃に、ただ心臓がきりきりと
締め付けられるような痛みを味わうしか出来なくなってしまう。
そんななか、哀しみの空白に言葉を零したのは、ぼんやりと呟く松本だった。
「先ほど・・・私が言っていた『心当たり』ですが・・・。 もしかしたら、誰かに脅されていたのかもしれない」
「・・・なんだって?」
「の任務は潜入捜査―――その最中に、は何か重要な秘密を知ってしまって・・・命を握られていたのだとしたら?
・・・でも、・・・」
「ちょっとちょっと、乱菊ちゃん。 要領を得てないよ。 きちんと説明してくれるかな」
思わず考え込んでしまって周囲に気を回せなかった自分に軽くため息をついて、松本は口を開いた。
「ああ、すみません。 あの子はついこの前、ウチの隊長に錯乱して切りかかってきたんです。 でも、あの子はその時既に誰か
『死神』を殺害した残留霊圧を纏ってて・・・そして、すぐに気を失ってしまったので私たちは同胞殺害の可能性を疑い、捕縛
したんです。 しかし翌日、衰弱して眠るあの子の様子を見ていたら、明らかに誰かに付けられた傷痕がまざまざと残って
いて・・・」
「そんな・・・」
「その後、嫌疑は晴れたんですけど。 一時期は「死にたい」と自殺未遂を起こしたこともあったり、自傷痕が刻まれてたり・・・
保釈された後も、その傷は増える一方で・・・でも彼女は「なんでもない」といって、ただ・・・私を心配させまいと、
にこにこ笑ってて・・・」
最後で涙ぐみ、思わず言葉が詰まる松本に近寄り肩を撫で、落ち着かせながら同時に京楽はある一つの演繹を始めていた。
松本の言っていることが正しいなら確かに、「が何か秘密を握った故に、誰かに命を握られていた」という考えは辻褄があう。
しかし、五番隊でそのような人物がいるのだろうか?いや、そんな人物は皆無だろう。・・・だとすれば、他の隊か何かか。
そこまで考えて京楽をはじめ、皆の演繹は止まった。―――元々、そのような人物を探し出すために放たれた特別密偵、だった
のだから。彼女しか分からないことを自分たちがいくら詮索してもきっと、無駄だ。
「でも・・・」
涙に声が震えている。
それはの過去と現実、そして未来に対する切なさが故。しかし何も出来ない自分に対する怒りが故。
それでも松本は、ある一つの希望を見出し、口にする。
「任が解かれたら―――は、もうこんなに辛くて怖い思いをしなくて済むんですね。 それに、長い年月を経れば・・・いつか、
転生不可能の件も解決策が出てくるかもしれないですし・・・・・・」
その松本の言葉に二人の心は少なからず明るくなった。
そうだ、いままで何のために彼女は働いてきたのだ。こんな状態になるためじゃない、神はそこまで見放しはしないだろう。
それにこの世界には優秀な研究員や死神は沢山いる。任を解かれてゆっくりとしているうちに、命が終わるその前にまでは何か打開策
のひとつやふたつ、見つかっているに違いない。
それならば、その方法を発見することに精力を注ごう―――この時、三人はそう胸に強く誓った。それが、今まで彼女を身勝手に拘束、
利用してきた自分達が彼女に出来る、せめてもの償いになるならばと。
今更の贖罪に彼女は激怒するだろうか。そう思いはするが、きっと―――悲しいくらいに優しいはそれでも笑って赦すのだろう。
きっとまた、「私が勝手に、この世界の綺麗さを証明したかっただけだから」などと、なんでもない笑顔を見せるのだろう。
ああ、そんな彼女を今すぐにでも救い上げたい―――。そう逸る鼓動を今は抑えて、ただただ彼女に下る命令を心待ちにした。
そして――――――その夜のことだった。
「走尸行肉ノ徒、凪呈スヲ暗殺セヨ」という、予想だにしなかった令状が中央四十六室から下ったのは。
***
「―――ふざけるなッ!!」
ガァン、という鈍い音が、がらんと開けた白鷺郭に響き渡った。浮竹に胸倉を掴まれた京楽は、硬い石で出来た壁に打ち付けられて
背骨が悲鳴を上げたのが嫌でも分かった。
しかし依然と冷酷な眼差しで見つめる京楽の瞳が、浮竹の激昂の色に支配された瞳を映す。途中松本は涙を散らせながら制止に入るが、
それをもさせまいと射殺す眼光で睨まれ、思わずしり込みしてしまう。
「何故だ!!」
瞳を逸らしたかった。理不尽な命令に憤りを隠せない親友の眼差しは、己の抑制していた正義まで焦がしそうで。
だが、決して逸らしてはいけないと思った。友の怒りは、なによりも自分の心の代弁。そして己の若き心の写像。なれば、絆を交わした
仲であるが故に受け皿になってやらねばと、どこか躍起になっていたからだ。
「がっ・・・、が、一体なにをしたというんだ!?」
ぎりぎりと死覇装が締め上げられて、息苦しさに思わず顔が歪む。
それすらも気にならないのか、浮竹はただ、怒りを露に怒鳴り散らす。
「は、何故か急にこっちの世界に連れられてきて死ぬような思いをしてきて、そして記憶を失うまでに恐ろしい実験をされてきた!」
その白い髪を乱しながら、言葉が途切れるたびに京楽の服を握り締める拳に力が入る。
「異常霊圧が一体なんだというんだ―――彼女の何もかもが『異常』なものなどないッ。 それは俺が一番分かっている!
彼女と辛苦も、幸せも、共にした俺が、誰よりもッ!」
おいおい、二晩に近い間ろくに睡眠もしないで、衰弱しきった身体の一体何処に、こんな力が残っているんだ―――京楽はまっすぐに
受け止めながら、そんなことをぼんやり思った。
「彼女はそんな不当な扱いをされても、それでも我々の―――彼女を疎んじ利用する我々の―――役に立ちたいと自ら死線に立つこと
を志願したんだぞっ!」
もう、そんな瑣末なことくらいしか頭に思い浮かばなかった。
「俺達の為に、元々決して多くはない霊圧を無理やり搾り出し、過剰とも呼べるほどの、血を吐くような努力をしてきたっ・・・!
そんななかでも常に周囲の人間には気を配り、たとえ郭のなかに閉じ込められていても何の文句も言わなかった・・・!
ただ――――――」
始めて浮竹の言葉が詰まった。
そして、血が滲むほど握り締められていた手のひらの力は、ゆるゆると失われてゆく。
「ただ ――― はッ! は、ここで、生きていただけだ・・・・・・ッ」
宙に中途半端に浮いていた京楽の身体はようやく地に下ろされ、そのまま浮竹はやり場の無い怒りを込めた拳を、彼の胸に
叩き付けて、そして遅れてやってきた涙を、先ほどまで握り締めてくしゃくしゃに捩れた着物に滲ませた。
何度も、何度も、―――「何故だ、どうしてだ」と言わんばかりに。
「彼女が一体・・・いったい・・・何をしたというんだ・・・?
一体、この世界に、何の罪を犯したというんだ・・・?
何故、彼女が傷つかねばならない・・・?
何故・・・『役立たず故に“暗殺”せよ』などと・・・言えるんだ――――――・・・・・・」
ああ、なんて様なんだ。
大の男が、そしていい歳した女の子が二人揃ってこんなに泣くなんて。
だが、あいも変わらず京楽の瞳はぼやけることはない。ただ、喉の奥が焼けるような憤怒ややるせなさでそれらが完全にせき止められて
しまっているだけに過ぎない。二人が涙に暮れて路を外れるのであれば、それを正すのは自分であろうと―――令状を山本に託された
時から、決めていたから。
しかし―――今までの浮竹と、そしてのことを誰よりも見ていた京楽の心は僅かに震えた。
理性では抑えきれないほどの、何か―――迸る感情の突風が、凍結していた唇を確かに、動かした。
「お―――“俺”だって、」
ああ、本当、なんて様なんだろう。
「俺だって、おかしいと思ってるさッ・・・!
ちゃんの異常霊圧に衝撃を与えることを恐れて四十六室は、お前に彼女の保護を命じたのに、今更処分なんていう
ところもおかしい! ましてや・・・」
ボクが珍しく声を荒げているから、二人とも驚いてるじゃないか。
「ましてや転生不可なんて、まさに異常霊圧に衝撃が影響しているとしか思えないんだよッ!!」
・・・そこまで言い終わって、はっと京楽は我に返った。浮竹が何か、目を丸くしている―――そこで、ようやく卯ノ花は彼に
転生不可の件を伝えてなかったのだと知る。
しかし漏れ出した感情の吐露は何よりもの決意への叛逆で、この状況にどうすればいいのかと自暴自棄になりたくなるが―――
怒りをぶつけるかのようにして、松本の持っていた刀を勢い良く奪い、そのまま浮竹に突きつける。
「けどな、それが四十六室の命令なんだ! 暗殺期限は今日夜が明けるまで―――決定事項なんだよッ!」
ずい、と進めれば、浮竹は改めて目にした剥き身の刀の、白の冷たさに恐れおののいた。
「冥加者は、四十六室決定事項には決して逆らえない―――だからこその『冥加を授かりし者』だろうッ!」
――――――罵声がぴたりと止まり、やがて外界の音が入ってくる。
涼しくなった夜空に謳うのは鈴虫で、優しい風がその歌声をそっと運んでいる。まるでこんな悲惨な状況など無関係だと哂うように。
「ちゃんを、冥加者として保護すると決めた時から・・・覚悟していた筈だ。 浮竹――――――」
弱弱しく呻く京楽の言葉を耳にして、それでも浮竹の足が、手が、動くことはなかった。
なんとも気味の悪い不協和音だ。松本のすすり泣く音と、の拍動を告げる無機質な声だけが、高い天井に何度も反射している。
浮竹は刀から目を離した。
何故そんなことをしなければならないとでも訴えるかのように、の眠る透明棺に目を落す。
すると―――ふと、京楽は持っていた刀をすっと下げた。
「・・・ま・・・―――・・・そうだろうと、思ってたさ・・・・・・」
「きょ、京楽隊長・・・?」
松本が京楽の豹変振りに、思わず顔を上げた。
先ほどまで浮竹に冷酷なまでに命令を強要し、刀を突きつけていた彼が―――今は刀を下ろして、なんと笑っているではないか。
一体、何が何だかわからなかった。ただ―――
「お前さんが大事なちゃんを暗殺なんて、出来るわけないよなぁ・・・。 ・・・・・・うん、決めた。
ボクもこの命令も、おかしいと思ってたしさ。
―――そう。 四十六室がおかしければ―――直訴すりゃいいんだよ。 もっとも、大きな賭けになるし、ボク達の立場も
危なくなることは間違いないけどね」
京楽はもうの命を危険にさらすようなまねはしないということだけは分かった。
彼の微笑に確信した松本の表情は明るくなる。
なんだ、彼は浮竹の、に対する気持ちや覚悟を確かめていただけなのか。
「驚かせちゃってごめんね、乱菊ちゃん。 ちょっと、こればかしは譲れなくて。 でも―――山爺同様、規律に厳しい浮竹が
きちんとちゃんのために反抗する覚悟を確認したかったんだよ」
「な、なな・・・。 お、驚かさないでくださいよ・・・! も、もう・・・!」
安堵した途端、涙がどっと溢れてきて、京楽は慌てふためいて彼女に華模様の懐紙を渡した。
そして依然顔を背けている浮竹のほうを見る。
―――あまりにきつい試練だったのか。いくら覚悟を確認するためとはいえ試したかのような自分の行動に機嫌を損ねてしまった
のだろう。彼は頑なにの方角を見つめて、こちらを振り返ることはなかった。
「おーい、浮竹。 ごめんよ、そういうわけだからさ。 ボクも悪気があってやったんじゃないし、何よりも二人のためだったからさ」
間延びした、いつもの口調に戻って浮竹の大きな背中に喋りかけるも、しかし彼はいまだ何の反応も示さない。
これはまずいことをしたかな、と思いつつも、だがそれはきっと彼らに必要なことだったのだからと自分を納得させて、そして浮竹に
近寄る。彼ももういい大人なのだから、いい加減機嫌を直してこちらを見てくれればいいのに。
まあ、振り向かなければ無理にでも向かせるだけだ。
ついに待ちきれなくなって、肩をぐいと引っ張った。
「おおい、浮竹さんよ―――」
その時、京楽は浮竹の瞳が眩いほどの青い色を反射していることに気がついて、同時に異変に固まった。
「・・・きょう、ら、く――――――」
「浮竹・・・? ――――――ッ!?」
一瞬、だった。
油断して弛緩していた手のひらから、先ほどまで突きつけていた短刀をもぎ取られる。
刹那見えた表情は、激しい憎しみに捕らわれたかのような鬼神の如き表情で、しかし、どこか自分の意思ではないといった―――
どうにかしてくれ、とでも哀願するような表情で。
しかし彼は、そのままの勢いで眠る箱をこじ開け―――背後にきらきらと蒼く光る笄が、まるで浮竹に何かを叫んでいるようか
に見えた。
訳も分からない自分達に何も出来るわけがない。
の風前の灯火の生命を維持していた、蓋が開く。
ぶちぶちと、配線がちぎれて真っ赤な液体が飛び散った。
ただ、このままでは「いけない」――――――
「浮た――――――・・・!!」
そう思って、ようやく動き出した身体は、一歩、浮竹には届かなかった。
「うぁあああああああああああああああ!!」
―――――― 十四郎様。
ありがとう。
―――――― いま、会いに行くから ・・・待っててね。
惣右介。
蒼の光子は、そうして弾けた。
追憶の初雪は、夏に降る水端の羽衣。
流星の軌跡は、夏を殺す涅槃の終焉。
冥加を授かりし者。天啓を与えし者。愛されたかった者。
刃が空虚の心臓に達するまでの、微小時間
逃れられぬ罪業の原点へ、物語は回帰する。
無知のうちに繰り返されるのは罪だ。
其れを転覆せんとする大儀こそは罰だ。
認められぬ存在が、人に恋焦がれた。
野望を燻らせる人は、その存在を愛した。
ただ、気付かなかった。
ただ、気付こうとしなかった。
ただ、生きたかった。
ただ、愛されたかった。
だから私は、あの日の君に、言おう。
『 それでもそなたは、美しい 』
続
********
*はい―――35話でした。いかがでしたでしょうか。文字数多くなってしまってすみません・・・!
そしてこうなってくると語彙の少ないこと少ないこと・・・。似たような表現ばかりですみません。もっと文才がほs(ry
*何度もブログとかで言っていたのですが、本当になんか、ここまで暗い話にしようとは思っていませんでした・・・!
ただ、が刺されてすぐに過去編に入りたかったのですが、しかし「もし、負傷したを発見したのが浮竹だったら?」
と思った時に「これは・・・ある意味ウマー!」と思い・・・いや、結局自分のせいじゃんorz
まぁ、それなりに意味はちゃんとあるのですが。
以前話していた「おかしさ」については京楽隊長が言ってくれましたね。「異常霊圧を危惧した四十六室なら何故、今更処分を
命じるのか?」ということです。・・・これも、まぁ、原作を知っている方にはもう理由なんてバレバレなわけですが。
なら何故―――四十六室はそれを命じたのか。そこに「あの方」の慈悲があります。「同時に三人の願いを叶える」というのは
結果的にこうなったというわけです。主にそのなかでも、「浮竹の手にかかって死ぬ」というのはに対するものなんですね。
はい。
*魂魄は転生するというのは公式設定資料集より。なのですが・・・最近原作ではただ霊子に分解されて吸収されて終わり的な
ことが書かれていて、結局SS界の設定が良く分からんのです。なのでそこはぼかしつつ、「転生する」という事実にしておき
ました。ほんと、鰤って後付けが多(ry
*さて、最後にもありましたように、次回からようやく“本当の”過去編である「初雪草編」が本格的に始まります。今までのは
あくまでもイントロでした。
次回以降はまた藍染隊長が沢山出てきますので、藍染ルートを心待ちにしてくださっている方、もう少々お待ちいただければと
思います。
*それにしても鰤の映画3作目の内容を今更知って、微妙にこの連載の核に話しが似ていてびびっちょる私です・・・。
ていうかクリソt(ry
しかも最近ちょっと藍染隊長が何故悪者になったかとか想像してしまって、それを考えるとこの連載の設定自体が壊れて
しまうのでびくびくしております。
最後に夢主様が原作にいたっぽいような辻褄あわせという名の最終兵器は考えておりますが・・・それでもちょっと不安。笑
*ではではー!
2:55 2010/03/05 日春 琴