第三十八話「黎明を刷く」







が藍染の研究棟に来てから、丸一日ほどが経った。




「おい」

「は、何でしょう。 様」

「この書物は何だ」

様・・・・・・」



最初の間はまるで死んでしまったかのように眠っており、起きたと思ったらこれか。藍染は偽りの仮面を被りながらもため息を
つきたくなった。彼女は目覚めてからというものの手当たり次第、自分の身の回りに置いてある本を手に取って読んでいた。その
様子は最早「読み漁っている」といった方が的確で、読書には慣れているのか、もの凄い勢いで読んでは次へ次へと本を新しいもの
へと変えていった。
しかし一体何が面白いというのだろう。ここには年頃の女が読むような本は置いていない。元々研究の目的のためだけに建てたここ
にあるのは難しい論理をまとめた論文や、あらゆる学術書だけだ。
彼女がまた新しいそれを見つけてばさばさと中身を振っている。そんなことをしては古い文献などすぐに頁が抜けてしまうという
のに。


「それは我々、死した魂がどのように霊子によって構成されてゆくのか記した学問書です。 ・・・それも様にとっては
 つまらないものと愚考致しますが・・・」


昨日、平子に渡された書類の二冊目に走らせようとした筆を置いて、しまったと内心思う。彼女はよく下等教科書に載っていること
などには精通していたが今までの言動から察するには恐らく、自分達の世界―――『死後の世界』や『現世』のことは全くといって
いいほど知識は無かったはずだ。自分としたことが常識のものとして『死した魂』や『霊子』といった言葉を使ってしまった。
ああ、説明しなければとは思うがしかし、意外にも彼女は「そうか」と納得してその本に熱中していた。


「なんだ?」

「あ・・・いえ。 失礼ですが、よくこちらの『専門用語』をご存知であらせられる、と思ったのです」

「ああ。 先ほどの書物に書いてあったぞ」



思わず言葉を失う。
先ほどの書物?・・・今彼女の寝台の棚に無造作に置かれているあれか。
しかし確か、彼女は自分が一冊目の最後の書類に判を押した時に読み始めたものでは。それもなかなかに難解な論理を記した本で
あるはず。確かに二冊目の書類全部に一度目を通していた時間は結構あったけれどその短い間に内容を即座に理解、及び把握した
というのか。


「死した魂は今の我々の元。 とうの昔のことだから私に生前の記憶は無いが、私もかつてそうやってこの世に産まれたのだろうか。
 ・・・ま、どうであれそういう事実が存在するのは・・・なんだか幸せだな」


読解速度に驚いている自分にも目もくれず、新たな本に耽っている。

これはもしかすると、想像以上に厄介な存在かもしれない。

今のところ霊圧はあまり感じずとも、先日のようにまた霊気を乱す力をいつ発揮するか分からない。あれが偶然だったとしてもその
未知の力、侮るわけにはいかない。
その上、このいわば『学習力』・・・。初対面の時こそ『無知』と判断し、消した推測が再び息を吹き返す。このままでは王族に関
する本を見られた時のみが危険では最早無くなる。何故ならこの世の真理が、正義が何かを理解した時にもし自分の実験記録を読ま
れでもしたら恐らく彼女は・・・。


演繹に藍染はほんの僅かながら、焦った。
一刻も早く催眠にかけなければ―――。


「ん、机上にあるそれは何だ」


物思いに耽っていると途端、ぱっと目を離してなにやら自分のほうを興味津々に見つめてくる。何かと思ってみて視線を辿って
みれば、たどり着いた先は昼用にと持参していた食べ物だった。


「ああ、これは煮物と握飯ですよ。 今朝方、出かけるときに部下が差し入れて持たせてくれたものです」

「ほうほうなるほど、美味そうだな」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・召し上がりますか?」

「ありがとう、惣右介!」

「・・・・・・」


瞬時にして輝いた目と、急に何の気兼ねなく呼ばれた下の名に、内心で大きなため息をつくのだった。





【流星之軌跡:第三十八話「黎明を刷く」】




それから食事にしようということで、藍染は書類を片付けたあとに準備を始めた。一方はというと、藍染が荷の紐を解いて配膳
やら用意やらをする間は再び学術書を読み耽っていた。
流石は王族、食事の準備等を手伝うどころか、ましてやしたこともないのだろう。熱心に本を読む彼女の横顔を軽く睨みながら着々
と支度をしてゆく。



「お待たせ致しました。 お食事の準備が出来ましたよ」

「ああそうか、悪いな」



そう言ったはいいものの二つ返事で、しばらく時間が経った後、丁度きりのいいところまで読み終わったのだろう。ようやく本を
ぱたんとたたんで、のろのろと寝台から足をおろす。思えば彼女が寝所以外の場所に足を下ろしたのはこれが最初か。行動範囲を
広くすることは出来るだけ避けたいが、まあそんな悠長なことは言っていられないだろう。それに―――完全催眠に落とすために
はできるだけそうなってもらわなくては逆に困るのだから。
ひたり、と彼女の裸足の足が床に着き、足に力が籠もったその時だった。



「―――あっ、」

「!」



何かに躓いたかのように急にがくんと彼女の足が折れ、前につんのめった。
これには流石の藍染も驚き、反射で均衡を失って倒れようとする彼女を抱きとめる。



「あ、ありがとう・・・・・・」

「いえ・・・。 お怪我は召されませんでしたか」

「ああ、大丈夫だ」



一体何事かと思って彼女の足元を見れど、躓くような障害物は何も無い。念のためと思って手を支えて補助しながら、ゆっくりと
席に誘導してやる。もしかして塔から逃げた時に怪我でも負ったかと思えど邂逅の日に身体を確認した時、脚には何も無かった。
ただ―――脚が異様に痩せ細っていたくらいか。あの塔に長い間居住していればそうなるかとは思えどしかし、王族が何故わざ
わざそのようなことを。


「おおー、まこと香ばしい良い薫りだな」

「・・・・・・」

「なんだ、急に黙って」

「いえ、御脚(みあし)のほう、何か具合がよろしくないのかと思いまして」


自分も席についてそう言えば、今まで皿に盛られた煮物を覗き込んでいたの目が急に上げられる。眉は少々潜められており、彼女
の機嫌をそこはかとなく損ねてしまったのだと悟る。


「ぬ、主には関係なかろう」

「いいえ。 もしお怪我か何かご病気でしたら一大事です。 すぐ薬師か医――――――」

「黙れ!」

「っ・・・」

「あっ・・・」


無論演技なのだが―――びくりと顔をこわばらせた藍染の顔を見て、はしまったという顔を浮かべた。



「す・・・・・・すまぬ・・・。 だが・・・とにかく、気にしないで欲しい。 少し、生まれつき筋が弱いだけなのだ」

「そうでしたか。 それは・・・御可哀想そうに」



―――そんな訳ないだろう。


本当に生まれつきに筋肉が脆弱であれば、虚から逃げた後に長時間彷徨い続けるなど出来るわけがない。生まれ持った病を
隠れ蓑にして上手くごまかしたつもりだろうがそんな陳腐な嘘など最初から皆無に等しいもの。

一体何を・・・何を隠している? 何を・・・庇っている?

藍染の心眼がすぅ、と細められた。


「の、のう、惣右介。 食べて良いか?」


しかし絶対零度の双眸で見透かそうも、のその一言で現実に引き戻されてしまう。箸を危なげに持ちながら、わくわくした
ような、無邪気としかいえないような目線をこちらに向けてきている。
どうぞ、と許可を発すれば箸は一目散に煮物の人参を捕らえた。―――王族ともあろう人間が、そんなに煮物が珍しいのか。
・・・まぁ、このような平民が食するようなものなど口にしたことは無いといったところか。反吐が出る。


「惣右介は食べぬのか?」


ふと、箸が止まる。物を飲み込んでから口許を懐紙で拭う所作はいかにも高貴な生まれといったところか。そんなことをぼんやりと
思いながら、藍染は軽く笑った。


「生憎、部下は一人分しか用意してくれなかったので」


そんな藍染の様子を見て、はおもむろに食卓を見回した。そうか、確か藍染は言っていた。自分の存在は『研究大成の障害に
なる』と。故に周りの人物には教えていないのだろう。
それならば失礼した。霊力がある者―――死神は腹が減る生き物だというのに。


「食え」


ずい、と陶器の皿を藍染に向けて押す。が、


「ああ、いえ、私は大丈夫です。 この研究棟に籠もっている時は研究に没頭しすぎて、食事を取ること自体を忘れている時すら
 あるのですから」

「・・・そうなのか?」

「ええ。 ですから、私のことなどお気になされませんよう」


にこりと優しい笑顔で語りかければ、おずおずとしながら再び箸は動く。自分の主張は気丈にも曲げない彼女だったが、この何日間
ものあいだは食事を取っていなかったのだ。いくら微少な霊力しかもっていないとはいえたまらず腹が減ったのだろう。遠慮
がちにだが、すごすごと皿を手前まで戻し、黙々と煮物をつついている。


「なら、少し休めばいい。 先刻から主は休まず仕事をしておるではないか」

「ああ、それも大丈夫です。 様がお休みになられているあいだに沢山、休息は取らせていただいたので」


―――そんな危険なことができるか。

心の中で何度目になるかわからない毒を吐く。

休むということは即ち、その間の行動を監視しないということだ。特に先ほどからの様子から推測すると、もしかすると実験記録
を見られただけで策謀が明るみに出てしまうかもしれないという可能性が出てきたというのに。そんな危険度の高い行為などする
わけがない。だからこうして彼女と生活をともにして見張っているのだから。



「・・・・・・・・・・・・・」



会話が途切れ、夏独特の暖かく湿った風が窓から入ってきた。どうやら昼をまわってから風が強くなってきたようだ。周囲に置いて
あった実験の結果をまとめた紙束が風にあおられて今にも飛びそうになっている。これはいけないと思って、藍染は急いで窓を閉め
に行った。


「おお、なんだ惣右介」

「っ!」


しまった、何か書類が既に飛んでいたか―――?
そう思ってバッと背後を振り返ると、




「外に随分立派な庭があるのだな。 あの日は暗い上にそれどころではなかったから、すっかり気付かなかったぞ」




―――幸いなことに、そうではなかったようだ。心のなかで安堵のため息をつきながら、藍染はまたあの偽りの笑顔を貼りつける。



「立派・・・ですか?」



丘の上に建っているこの研究棟の庭はすぐ崖になっていて、そこには枯れきった植物が無造作に散らばっているだけなのだが。
決して広くはないし、虚や魂魄の血で穢れきったこの土壌には花などはおろか、雑草すらも生えていないのに何を言っている
のだろう。


「ああ、立派じゃないか。 あれも何か名のついた植物なのだろう?」

「――――――」


全く、知識があるのかないのか・・・。
窓からみえているそれは全て、元は緑色を湛えていた草花が萎れたものだというのに―――それ自体が何か、生きている植物
だと信じているのだろう。・・・確かに、彼女の元々の知識から推測すれば下等教科書程度の知識しか持っていなかったのだ
から、それも納得出来なくはないが。教科書には植物の成長こそ書いてあれど、そのあとの末路など記載されているものなど数
少ない。


藍染にしては珍しく、何か、最早訂正する気も起きなくなってきた。


しかし―――一方で彼の口許は笑う。いや、これは確かに好機なのだと。
そして彼はすぐさまある一つの提案をする。


「そうですね・・・。 もし様さえ宜しければ、食事を終えたら庭に出てみますか」

「い・・・いいのか?」

「はい。 ここは辺境の地ですし、もとよりそういうお約束でしたし・・・それに、庭くらいなら誰の目にも触れないでしょうから」


遠目から見ても彼女の顔が、ぱあっと明るくなったのが分かった。
この何日間で分かったことだが、彼女は異様に「知識」に餓えている。吸収対象はそれがたとえなんでも構わないというように。
先の学術書にしろ、あの食事にしろ、何もかもが対象になっていた。まるで何もかもが新鮮だというようだ。

そしてある仮説に行き当たる。もし今まで自分が感じてきた印象が正しければ―――もしかすると、彼女はあの塔・・・
『野萵苣宮』に閉じ込められていたのではないか?

―――だが、やはりそこまで考えてそこから先が止まる。もし、閉じ込められていたとして・・・王族に何の得があるというの
だろう。・・・彼女に曖昧な知識しか与えず、脚を自律不能までにする得が、一体何処に?
彼女が何か罪を犯した故に隔離されることになったのか。確かに彼女は王族居住区に「戻れない」と言っていた。しかしそれ
ならば何故、王族は彼女に中途半端に物を与えていたのだ?第一、何故、隔離する場所をわざわざこの世界にする必要がある?

何もかも途中まで勘ぐれど、その先を欠いていて苛立ちを感じずにはいられない。

藍染が心のうちで静寂なる眼光を光らせていることなど露知らず、は彼からの提案を嬉々として受け入れ、笑った。


「ありがとう、惣右介!」


やはり憚らず下の名で呼ばれることに違和感を覚えるけれど、とりあえずそんなことはどうでもいい。
色々考えたいことはあるがしかし今は―――ただ、彼女を罠に嵌めることだけ考えるべきだ。



感謝すべきは此方だと、珍しく藍染は心の中でほくそえみながら、彼女の食事が終わるのを待つのだった。












*********

*さて、38話でした。

様はお馬鹿なのではありません。一応。笑
 まだネタバレはもう少しの間、出来ないのですが何かの事情で初等知識しかないので、しかし本は読みなれている
 のでお勉強して少しずつ常識をつけているのです。
 登場させるお料理を何にしようかと思って、クック○ッドをおもむろに開き、そして検索していたらリアルにこっちのお腹が
 音を立てました。笑
 本当は・・・豆腐持たせたかったんですが。笑 あまりお弁当にあわないなぁと思いまして。笑 
 
 ちなみにこの研究棟には、今はあまり生活用品は置いていません。この研究棟は藍染さんが副隊長になる何年か前に
 建てたため、仕事もあるのでそんなに住み込みでないのです。ただ、この先の展開によっては変わってきます。

*藍染さん、黒いです。すごく、腹が。笑
 こう、に傅きながら心の中では残酷な思索を燃やしているという設定にすごく、個人的に萌えるんです。笑
 初期もそんなかんじでした。藍染の心の中がわかって、口では従っておいて心のなかでは毒を吐いている。しかし
 自分の心なんて自分のように相手にはわからないから悔しい・・・みたいな、やはり書いていて楽しかった思い出が。 

 ただ、とちょっと性格が違いますからね。もちろん、生まれもですが。笑
 はいつか、彼の本性を知るときは来るのでしょうか。


*ではではー



2010/03/15 日春 琴