第三十九話「遁水鏡は嗤ゐて」



無垢に踊った魂の枯渇は 確かに喉を潤した。

摂理をも軽々しく超える 下等な種族

されど遠ざかれば遠ざかるほど 寂光の引力は増してゆき

そして私を捉えて離さない

何ゆえだともがくが それをもお前は見るのだろう

お前のその瞳を歪んだ柘榴で 殺めてやりたい

哀れめばいい 精々 この私を

さすれば私はお前の視界を死海に染めて

その  光さえも悉く 奪ってやる

貴様になど決してくれてやるものか

嗤っていろ 遁水鏡 ――――――。









【流星之軌跡:第三十九話「遁水鏡は嗤ゐて」】










王族らしからず、『庭へ出てみよう』という提案ひとつに顔色を変え、昼餉をあわててかきこんだはそのままの
勢いで庭に向かった。しかしやはり途中で、筋に力が入らなくなって倒れてしまいそうになるものだから、藍染の
助けを借りながらなのだが。それでもなんとしても出たかったのだろう。容赦なく、支えている手に体重をかけながら
前へ前へと身を乗り出してゆく。


たった寂れた庭だというのに一体何にそんなに惹かれるのか。王族の考えていることはまったくわからない。


これでもし、今すぐにでも彼女にこの園が『枯渇した植物の死に果てた姿だ』とでも教えればどのような反応が返っ
てくるのだろう。
おそらくいや絶対に、悲しみにくれるに違いない。
だとすればいつかすべての、万象の真実を彼女が知ったとき・・・彼女はどうなるのだ。そう考えるとどこか、背筋に
心地よい虫唾が走った。

ああしかし、これは最後のお楽しみだ。まずは彼女からありったけの情報を仕入れなければならない。


「おい、開けろ」


期待に胸を膨らませているは逸る。支えているほうの手はそのままに、藍染は目の前の扉を開け放った。
すると想像したとおり。


「わあっ・・・!」


彼女の反応に、藍染の目は柔和に歪む。目を子供のようにきらきらさせて・・・彼女の横顔はまるではちきれんばか
りの感動で溢れていて、なんともその後の『御愉しみ』が一層際立つからだ。同感や共有など、自分と彼女のあいだ
に成り立つことなど皆無い。そう思えば、すべての苦労は最後のひとつのためへの布石とすれば何にでも耐えられ
るような気がした。



「すごい・・・すごいな、惣右介!」

様、そのようにはしゃがれては・・・」



支えられていた手を無意識に離して、は夢中で死んだ草の海を掻き分けてゆく。放っておきたいのは山々だが
ここはあくまでも偽らねば目的は大成しない。やれやれとため息をつきながら彼女の後ろを遅れて付いていった。



「だって不思議に思わぬか? この葉や茎はすっかりからからなのに、こんなにも背高く成長しておるのだぞ」

「はぁ、」

「それにな、ほらっ、あそこ―――」



興奮を抑えきれないといったような面持ちで、は草の奥を指差した。だがこの園を占める初雪草は確かに彼女が
指摘するように、萎れているはずなのに背丈は異様に高いために、互いが互いの邪魔をして視界が悪い。一体何を
見つけたというのだろう。そう思って指の先をたどってみるが、やはりそこには同じ茶褐色の残骸しか見て取れなか
った。
すると彼女は業を煮やしたのか、



「ほれ、こっちだ」

「っ!」



いきなり藍染の手をがしりと掴んで、そのまま奥へとぐいぐい引っ張ってゆく。不安定な均衡を手越しに味わいながら
それならば自分がなんとか均衡を保とうと四肢に不自然な力が入ってしまう。ゆらゆらと揺られながらたどり着いた先は、
藍染が想像だにしなかったものだった。




「ここだ。 なんというか、いじらしいな。 周りの元気の無い草のなかに、こうしてまた新たな生命が芽吹いておる」





 何 故 だ 。





藍染の茶の瞳が意思とは関係なく揺れる。

ここは不浄の地。ありとあらゆる憎しみや悲哀がしみ込んだ飽和地帯。そんな土地に今まで植物など枯れこそすれ、
新たな萌芽など決してなかった。動物は何かを忌み嫌うかのように去り、鳥は互いを食らって姿を現すことはなくなった。
浄化作用を失った山の奥から流れてくる水はいつだって濁っていて、夕焼け時には真っ赤に輝いてまるで血の川
のような有様で。そのような頽廃しきった土壌で、新たな命が生まれることなどない。

呆然とその様子を見れば、まるで彼女の慈しんだ指先から、乾燥しきった葉に潤いが満ちていくような気すらして―――
一体何なのだと、目の前の女に初めての焦燥を覚える。



「おかしな葉だなぁ。 確かに葉なのだろうが、まるで花のようだ。 なんという名なのだ?」

「・・・・・・・・・」



この女は王族。何もできないくせして下界の事情など知ろうともせず、ただ日々のうのうと粗末な命を食らう『種族』。
もっとも自分が憎み、射抜くべき相手。



「おい、惣右介。 聞いておるのか」



それなのにこの得体の知れない存在は一体何者なのだ。
もしかすると―――『何も知らない』のは自分のほうなのではないか?憎しみがゆえに『知を得ようとしていない』のは
彼女ではなく、まさか―――。


そう思えば思うほど、目の前で無邪気にはしゃぐ女がどこか異形のモノに見えてきてしまう。
名をという女・・・貴様は一体何者だ。



「おい! 一体どう―――・・」



思索に耽っている藍染に対し、いよいよ何か不思議に思って詰め寄ったその時だった。






―――ガサガサガサ・・・!






「!? な、何だこの音は・・・!」




何か遠くから物凄い勢いで大型の動物がこちらに迫ってきている音がする。そして、同時に野萵苣宮が倒壊したあの日
の記憶が蘇って、『逃げなければ』という本能がしきりに働いた。が、しかし頭とは裏腹に体は莫大な恐怖に支配されて
いて凍ったように動いてくれない。あの塔にいた時とは違い、一応視界は開けているもののこう背丈の高い草ばかりで
埋め尽くされていては相手の姿を正確に捉えることもできないし、第一逃げようとしてもそのような空間はあまりない。
あの尋常でない足音を聞く限り、足の弱い自分では逃げ切ることはおそらく不可能だろう。ただただ、あの塔にいた時の
ように音がこちらに来ないことだけを祈りながら、息を潜めて、微動だにできなかった。



一方―――藍染の口元は微笑に歪んでいた。




(ようやく来たか)




音が響いてくる方向からするとさほど遠い位置ではない。先日あらかじめ洗脳下においた虚が、あとは自分が事前に命令
していた行動を起こしてくれさえすれば。薄気味悪いこの女をも、我が手中に落とすことができるのだ。
一言も言葉を発せずその場で立ち尽くすを助けるそぶりも見せず、ただただ彼女と同じく、固まる。


「ひっ・・・!」


―――ようやくは視界の端に虚の姿を認めた。あの時とは違うモノだったが、それでもあの異様な巨体を持ち、独特
の仮面のようなものをつけた姿を見れば同属なのだろうと判断はついた。だからといって何もできない。自分には武器など
一切ない。どうしよう、と思って、でも身体は言うことを聞いてくれなくて気持ちばかりが焦る。どうすればいい。
ただ見つからないことを祈るがしかし―――視線に気づいたというのだろうか。あの仮面の奥の瞳は何かを探しているかの
ように見回したあと、の目をぎょろりと捕らえた。
むき出しの白目が、彼女の四肢を恐怖のどん底に突き落とし、ついに彼女を支えていた力という力は抜けきった。

へたり込み、ただただ硬直するの眼前に、ついにあの虚は大きな音を立てて飛んできた。
もはや悲鳴すら上げる余裕などなかった。虚の大きな口が裂けて、鋭い牙がむき出しになる。暗黒を飲み込んだような喉奥
に白い光が渦巻いて、一体それが何なのかは知らないが本能的に『殺される』と知覚する。そんなことをしたってどうにもなら
ないことなどわかっているのに、それなのに反射で顔を伏せてしまう。


―――と。


視界が真っ白な光に染まる瞬間、あるものを目にしてはとっさに庇った。



様ッ!」

「っ!」


さあ、そろそろか。


藍染は地面に伏せ、後ろ背に虚を見上げるの姿を見て、ようやく腰に挿していた己の斬魄刀を抜いた。そして、続けざま
に瞬歩での眼前に立ちふさがり、解号を告げる。


「砕けろ、鏡花水月――――――」


途端、虚が放とうとしていた光の束は終息した。それどころか、何かを見失ったかのように挙動不審ともいえるほど、周囲を見回
している。一体何が起こっているというのだといわんばかりの彼女の視線を背中に感じながら、藍染はそのまま刀を虚の胸一線に
薙ぐ。
すると相手は何の抵抗をする間もなく、斬られた場所から真っ赤な鮮血を吹き上げながらどう、と轟音を立てながら草の海
に沈み、そしてぼろぼろになって空気に融解していった。

はあまりに一瞬のことすぎて、あの化け物から漏れでた臓物に恐怖を感じる暇も無く、ただ唖然と口をあけるしかなかった。


「お怪我はございませんか、様」


そう優しい瞳で振り返る藍染の顔は、あの化け物の返り血がじっとりと滴っていて―――初めての恐怖を感じた。


「あ、・・・ああ」


目線をあわせていられなくて思わず、後ろを振り向いていた顔はうつむく。
と―――そこには。


「あっ・・・」


先ほどまで唯一、芽吹きかけていたあの草が、からからに干からび変わり果てた姿がむなしく横たわって、死んでいた。


「―――様」

「・・・・・・・・・」

「・・・この土地はもとより不毛の地。 先の戦で最早ここに生命は芽吹かぬのです。 貴女様のせいではございません」


背中越しでも分かる彼女の失望に、藍染は心の中で満足気に笑った。

彼女が見ているその姿は、実は、違う。

藍染の瞳には今も確かに、鮮やかに芽吹く碧の草が映っている。しかし、彼女にはそうは見えていない。
これこそが、彼女が手中に落ちた証拠だと―――鋭利な眼光をたたえながら、目は歪む。


「・・・すまぬ・・・・・・すまない・・・」


白く細い指が、汚れることは厭わないのだろうか。ただどうしようもなく土を掻いて彼女は悲観にくれた。そんな彼女の様子を
横目に見ながら、あくまでも感傷的に藍染は先ほどついた刀の血を懐紙でぬぐう。といっても一撃で倒した故に、あまり染む
ことは無かったけれど。


「・・・それがあの化け物・・・確か、虚といったか。 そいつを殺めたのだな」


てっきりまだ変わり果てた草の姿に感傷にひたっているものと思っていたが、気がつけば彼女はこちらを見ていた。切り替えが
早いということなのだろうか。それとも―――?
藍染はよくわからない女の思考に再び疑問符を反芻させながら、鋭い光を反射する刀を彼女の目に触れるように立ててやる。


「この刀は鏡花水月と申しまして―――相手に幻覚を見せて相打ちをさせたり、油断させたりし、そこに初檄を打ち込むという
 作用があるのですよ」

「そう・・・・・」


初めて見るその形や色に、思わずの興味は奪われる。緩やかに曲がるその身は銀色に輝き、細くなっている刃の部分は
いかにも切れ味がよさそうで固唾を呑んでしまう。そちらとは反対側の、丸まっているほうに手をあてて触れてみれば、ひやりと
冷たく、硬い。そうすればすぐに『危険です』と咎める声が聞こえてきたけれど、気にしない。
なぜなら―――。




「それなら、可哀想だな」



こんなにも可憐で、しかし気高く壮美しい。まるで芸術作品のような美しさを持っているのに、生まれ持つ役目がなんとも哀れで、
しかしその効能がある故に、なんとも切ない。相反する使命、偉大なる矛盾のなかに存在するその身を、慈しまずにはいられな
い。


「こんなに綺麗なのに、戦う運命を持つ。 しかしその能力のせいで、使命は完全という意味では果たせぬ。 この刀は、本来の
 己で戦いたいと思っているというのに」

「・・・しかし、お言葉ですがこの能力のお陰で、相手側も、無論こちら側の被害も最小限に収めることができるのですよ」

「それは人間側の勝手な言い分だろう。 刀は、そう思ってはおらぬ。 刀の使命は『斬ること』だからだ。 それが対虚だろうと、
 対人であろうと関係なく、絶対的な存在理由はそれ以上でも、ましてや以下でもない」


まさか、とは思いながらも得体の知れない何かをに対して感じていた藍染は、思わず己の刀を見た。夏の熱く白い光を刀身
に反射したそれはまるで、彼女に同調するかのように嬉々として微笑んでいる気がして―――。再び不可解ななにかが気道を
這い上がってきて、彼女の触れていた剥き身の刀をまたもとの鞘に勢いよく戻した。本人はつまらないとでも言いたげだった
が、そんな瑣末なことは関係ない。彼女の感情を読み解くことは利用以外に何も価値などない。
だが―――先ほどの思索が頭をよぎる。『何も知らない』のは自分のほうなのではないか?憎しみがゆえに『知を得ようとしてい
ない』のは・・・。
そう思えばあまり彼女の内面をないがしろにすることはできない。

距離をとりつつ、しかし気味の悪く虫唾の走るの心を探らねばならない。信用が無ければ、彼女の高くそびえる警戒と矜持を
瓦解することはできず、究極的な目標は達成できないからだ。
心底嫌いな相手を理解しなければならないという事実に、藍染は苦虫を噛み潰したような苦渋を味わった。



そして日は、今日も変わることなくふけてゆく。



今までのところの計画はすこぶる順調だ。大した研究の禁忌が暴露されることなく彼女を催眠状態に落とすことができ、信頼も
徐々に深まってきている。
予想外、というよりかはむしろ気持ちがわるいのは、彼女のひととなり。
異常とも呼べる学習力、記憶力、適応力。そしてなにか―――すべてを見通すかのようなあの澄み切った瞳と、この飢えた土地に
吹き込む命の息吹。ありえない事象をもあり得る事象へと変化させる力。王族にはそのような力があるというのか、それとも彼女自身
の能力なのか、はたまた偶然なのか、それはいくら藍染でも分からない。
しかし色々と疑問がわくことは多かったが、もう彼女は完全催眠に落ちたのだ。危険な書物もなにもかもの中身をまやかしにすり
替えた今、彼女がどういう力を持とうと、最早関係のないことだ。

故にこれからは毎日監視する必要もなくなる。
自隊のことも気になるし、明日からは席を空けることもあるだろう。それに今現在自分の代わりをさせている部下にでもここに張って
もらえば直接自分が嫌いな人間の機嫌取りをすることもない。それはその者に任せればいいことだ。
そして付け入ったその隙に―――王鍵のありかを聞き出せればあとは始末するだけのこと。問題は彼女を捜索している王族が
彼女の死を聞いたときだが、それも鍵を手に入れた後であれば問題ない。この世界の死神を始末し、その後に王族居住区域に
侵攻すれば彼女のことなどかまっている暇などないだろう。自分の身がかわいいことは万象における摂理のようなものだ。


そう、すべては滞ることなく順調に―――藍染の計画通りに物事は進んでいた。
一方、再び寝台に戻ったは眠りに落ちるまでずっと、あの枯れてしまった草がある方向を見ていた。



すれ違う、などという線上にすら立たない二人の夜は、今日もこうして終わってゆくのだった。




























**************


*39話でした。ついに完全催眠にかかってしまった様です。とは違い、催眠状態に陥りましたはい。

*いやぁ、個人的にこの二人を書くのが楽しいです。ただ、の特殊性に驚く藍染というのはなんか想像しにくいのですがね;
 いや、だって、本誌でも藍染隊長が「なん・・・だと!?」状態になったことってないじゃないですか(笑)
 だからちょっと、まぁ、藍染(副)隊長も『若い』ってことで許してくださ・・・ああっ、石投げないで!

*なぜ藍染さんが王族を取り潰したいのかはやはりまだ本誌でもバレがないので分からないので、何か過去捏造はしたくないの
 ですが、この章では王族への従来の恨み(原作)に上乗せするというかたちで、王族に対する憎しみを描いていきたいと
 思っております。
 あれほどの行動力をもった人間を突き動かすモチベーションって一体なんなんでしょうねぇ。早く過去バレしてほしいですけど
 それは死期が近いってことなので、本心ではそうなってほしくなかったり。笑


*最後に、どうでもよいですが、途中、藍染さんの「・・・・・・・・」とかいうあきれた表情は(¬_¬)って顔を想像してくださると
 ちょうどいいですよ!笑
 ・・・あと、最近藍染エンディングを変更しようかと思っています。今のままだとちょっと浮竹エンディングに比べてちょっとインパクト
 といいますか、救われ方といいますか・・・それがあまりにも惨いかな、と。
 皆様が藍染エンディングに求めていらっしゃるものがどのようなお話なのかによって変えたいなぁと思っています。
 なので、拍手やメールなどでお気軽になにか、リクエストでもありましたら送ってくださるとうれしいです。それでも送りにくい方も
 いらっしゃると思いますので、あまり反応がなければアンケにでもしますね。うんうん。

*次回、ちょっとした変化が。
 ではでは!






8:20 2010/03/15 日春 琴