第四十七話「無花果―悲劇の始まり―」








誰かを助けたい。



そう願うことが、悲劇の始まりというのなら、



一体何が、喜劇と悲劇の境界を定めるというの。



私は世界を救いたいとか、大仰なことなんて望んでいない。




ただ、目の前の命を、そして連綿と連なる存在証明を、助けたいと・・・そう思っただけなのに。




それが後の世に、大罪と罵られるなんて。






ねえ、誰か、教えて。






―――いつからヒトは、『生きること』をどうしてこんなにも、難しくしてしまったの?











【流星之軌跡:第四十七話「無花果―悲劇の始まり―」】









苦しみに喘ぐ虚は、なりふり構わずに身悶えて咆哮を上げる。音の速度を軽く超えて、衝撃波となって二人を容赦なく
襲った。



「ウ・・・グゥ・・ウウウウア・・・・・・! ガァアアアアッッ!!」


「ど、どうした・・・!?」



いくらが心配な声に悲壮な声を投げかけても、こんなにも大きく発達している耳には微塵も声は届いていないらしい。
何の反応を返すこともなくただ身をあちらへ此方へ折りながら、ひしとしがみついているなど目に入っていないか
のようにぶんぶんと、身体を捩って―――
さすがにこれ以上は待てない。危険だ。藍染はいよいよ意識を目標に集中させる。が、



「縛道の―――」

「だっ、駄目だ惣右介!! やめろ!!」



詠唱破棄し、縛道名を口にしようとした寸でのところで、再びしがみつきなおしたは後ろ背に藍染に必死な形相
で哀願した。
最早一刻の猶予も許されない状況だというのに、何をまだ暢気なことを言っているのか―――藍染は最早怒りを隠す
ことも出来ずに、わずかに声を荒げた。



・・・! お前には役立ってもらわねば、積年の苦労は水泡に帰す。 ―――何、その虚は殺しなどしない」



鬼道で意識ごと緊縛するだけだと説得を試みるが、これは全くの嘘だ。一度反乱を起こした者は容赦なく切り捨て
なければ宿願など叶うわけもなく、今までいつだってそうして生きてきた。だがここは彼女があくまでもこの虚に執着して
命を危険に晒すくらいなら、そのくらいの嘘はつかなけらばならない。
しかし、こちら側の本意を知ってか知らずかあくまでも彼女は否を叫び続ける。



「だから、駄目だと言っている! 待て、待ってくれ・・・! この者は今、何かを伝えようとしていて・・・・・・!」

「まだ斯様な世迷言を叫ぶか。 いい加減―――・・・!」

「後でどの様な仕打ちも受ける! だからっ! ただ、少しの間・・・待ってくれ!」


まるで自分の価値を完璧に把握しているようだ。
藍染の意識の視線がぶれる。は彼の鬼道を邪魔するかのようにぴったりと虚に抱きつき、照準が上手く定まらない。
このままでは虚と共に彼女まで巻き込む危険性がかなり高い。
だが彼女の言うとおり、虚は先程のように誰かを攻撃することは最早念頭にないというかのようにただもがき苦しんでいる
だけだ。
しかしそのうちその行動にが巻き込まれないという可能性は無い。

仕方ない―――。

彼女はこうと思ったら、決して信念を曲げない女だ。藍染は再度、いつでも縛道を放てるように機会を伺い、霊圧を燻ぶ
らせながら様子を伺うしかなかった。掌を不完全なかたちでもって蠢く影にかざしながら、半身引いて、双眸を細める。




「落ち着け・・・! 何を言おうとしているのだ・・・!?」




様々な声がごちゃまぜになって、の耳に波及する。振り払われる脚に力を入れてぐっとこらえて、身体を支えて
必死にそのなかから聞き取れるあの声を探した。




(・・・る、しい・・・! ああ、さ・・・・・・ち、・・・ァ・・・! どこに・・・い・・・・・・だ・・・!)




―――あと少しで聞こえる!




の鼓動は高鳴り、しかしありったけの意識を最大限集中させて、目を閉じて探る。



(・・・ああ・・・ッち、さ・・・・・・! どこに居るんだ・・・・・・!)


「!!」



すると悲願は叶ったのか。そこそこ年端のいった男の声が、微かだがはっきりと―――の耳に聞こえた。それは
間違いなく、先程から聞こえていたものと同じ声で。
バッと顔を上げて、仮面の奥の双眸を見つめながら声に応えるかのように、必死に語りかける。



「ちさ・・・? 『ちさ』という者を、捜しているのか?」



(あ、あ・・・・・・! そうだ、そう・・・・・・俺は―――娘を・・・まだ幼いあの子を・・・捜して・・・・・いる・・・・・・)



「そうか、お主には・・・家族がいるのだな?」


(ああ・・・・・・可愛い俺の・・・娘・・・・・・!)



大皿二枚分くらいはありそうなその血色眼(ちいろまなこ)は、仮面の奥でとても寂しそうに揺れていて。大切な
なにか、片割れを失くしてしまったかのようだ。
そうか、この者にとっては、その『ちさ』という家族―――娘が、何よりも大切な存在なのか。


大きな眼球からぼたぼたと落ちてくる涙の雨を頭からかぶりながら、ふと、は己のうちに眠る皮肉に小さく
笑わずにはいられなかった。


こういう時は、脳裏には自分の両親の顔が浮かぶのだろうが―――にそれは、無かった。
顔も見たことも無い親のことを、どうやって思い出せばいいのだろう、と。
心では身を切るような切なさが、二重奏になって襲ってきて、胸が苦しくなる。




「・・・くっ・・・ぅ、・・・!」



だが、なかなか言うことを聞いてくれる虚ではなく、特に家族という単語を出すと苦しみはなおのこと加算される
ようで、の思考はさえぎられる。
なおのこと身体の均衡はなかなかとりにくくなってしまう。




「お、落ち着いて・・・どうか、落ち着いて話してくれ・・・! 大丈夫、私はお前に危害を加えないから・・・!」



ぎゅ、と抱きしめて、この心からの願いが通じればと強く、強く願った。



(お・・・・・・お、れは・・・)



歯は食いしばっていないと激しさを増す衝撃で舌を噛んでしまうかもしれない。代わりにうんうん、と心の中で
相槌を打ってやりながら、は暫し虚の―――否、『彼』の言葉を待ってやった。





一方――――――




「・・・ッレ、ハ、―――オ、れハ・・・・・・お、俺は・・・ぁ―――!」


「・・・っ!?」



刹那、様子を伺っていた藍染は眉根を寄せた。
は確かに彼女が言うとおり―――何者かの、そう、今目の前で苦しみに喘いでいる虚―――である筈の者と
会話をしており、その声は今―――己の耳に、入ってきたからだ。


同様、藍染もまた、微動だにせず彼の言葉を待つ。


「俺は・・・・・・俺は・・・、アイツを殺せば娘を・・・・・・助けられると・・・・・思っていた。
 ・・・あの子の寂しさで埋め尽くされた心を。
 それはいつのまにか憎しみに変わって、俺は落ちてしまった・・・」


声がきちんと理性を取り戻してゆくと同時に、再び段々と抵抗がやんでくる。安心させるかのように、あやすかのように、
は両腕一杯に抱きしめて、背を何度も撫でてやった。
思わずそうせずには居られない。鮮明さを増してゆくほどに、声には身を切り刻むような切ない音色がまじっていたから。
心が伝わるなどというありえない現象が起こるわけがない。だが、今は不思議と彼の悲壮に満ちた心が触れている腕や手、
胴体から、全身へと染み渡ってゆくかのようで、叫びだしたくなるくらいに、切ない。

しばらくそのままそうしていれば、彼もようやく冷静さを取り戻したのか、ゆっくりと独白を始めた。



「普段から嘘ばかりついてたから、自分の気持ちにもいつしか嘘をついちまってたみたいだ」



自嘲するかのように三日月を描く口も、先程の禍々しい大きさから、通常の死神のそれと同じくらいに小さくなってゆき、
異常に発達していた肩は骨ごとばきんばきんと音を立てながら収縮してゆく。



「だから・・・これは罰だ」



つい何刻か前までは研究棟の半分はあった巨体はとうとう、藍染くらいの背丈まで縮み、そこで止まった。


「憎しみに支配され、本懐を忘れてしまったことへの。
 本当はあの子を、娘を護りたかった――――――・・・・・・たったそれだけのことだったのに、弱い俺は
 憎しみの傀儡になってしまったんだ」



落ち着きを取り戻した彼の身体は最早虚としてのものではない。全く、普通の人間魂魄と同様の風体に
変化していた。
ただ―――彼は顔に先程まで付けていた仮面を未だ貼りつかせて、爪は人間のそれとは明らかに違い
異様に発達していて、肩甲骨からは巨大な雲鳥のような豊翼が突き出し、下肢には獣のような尻尾が
伸びていたけれども。




は―――抱きしめていた腕を放して、今度はそっと、仮面に触れる。




ただ、娘という家族の身を案じ、痛いくらいに愛す彼と、そんな彼を待ちくたびれているであろう娘の気持ちを思って。


うらやましい、羨望、嫉妬・・・そういう類の気持ちではなく、ただ―――


叶うことのなくなってしまった幸せを、叶えたいと切に願って。






―――・・・触れる。






白く可憐な掌が、仰々しい陶器のようなそれを暖かく包んだ瞬間―――パリン、と無機質な音を立てて
それは砕け壊れて、地面に落下する。
そして、代わりになのだろうか―――心臓付近に空いていた孔が、其の者の肉で瞬時に塞がれた。









「・・・・・・ありがとう・・・・・・」



「―――――――――」







砕けた仮面の下の額にも違わぬ、大きな十字傷の文様。仮面に刻まれていた刻印は素顔にも捺されていて、
まるで彼がこの十字そのものを背負っているかのよう。逃げられぬ業のように、深く深く額から始まり、頬を通って
首まで伸びていて。
仮面の奥で揺れていた寂しげな瞳は今、仄かな月光に彩られてきらきらと輝いていて、そこから零れ落つ透明な
滴は寂光に縁取られて、素直な心では綺麗だな、と思った。だがその壮美とも形容できる美しさは、その孤高さ故に、
危うい光を燈しているかのようにも思えて。難しい感覚に、ぎゅっと胸が摘まれるのがはきとわかる。しかし何かを
言おうにも言えなくて、ただ仮面が外れた男の素顔を見上げるだけしか出来ない。すると刹那、茶の双眸から涙を一筋、
零して―――名も知らぬ『彼』は黒翼を羽ばたかせて、はるか彼方へと飛び去っていった。























「行かせてよかったのかい? 彼(あれ)は見た目こそ死神と遜色ないが、間違いなく心を亡くした虚―――『破面』だ。
 強い情念は狂気となって娘を殺しに行くかも知れない」


「・・・・・・・・・」




漸く戦闘体制を解いた藍染はカチンと音を立てて鞘に刀を納めながら、に試すような口ぶりで問いかける。
しばらく彼女は黙っていたが、やがて、名知らずの彼が飛び去っていった方角を未だ見続けながら、ぽつりと呟いた。



「私は父上と母上の愛情を・・・・・本当の意味で知らない。
 だからこそ、あの者の家族への真摯な愛を護りたかったのだ・・・」



人が生きるのは、『生きるため』。個の存在証明―――そこに善も悪もない。
きっと彼には、証明の在りかが、遺してきてしまった娘にあるのだ。そんなあたりまえのような、しかし奇跡のように偉大な愛情を
手助けしてあげたいと思ったのだ。
ただ、他人の幸福を願ったのだ。



しかし――――――藍染の言葉は、まるでそんな思いは悪だとでも言おうとしているかのようで・・・。




「渇きを知ってしまった魂をなんとか助けたいと―――誰かの幸いを願うことは、そんなにも愚かなことなのか」




少し離れた後方にいる藍染は何も応えなかった。



・・・もし、藍染の言うとおりになってしまったら・・・・・・娘は、悲しむのだろうか。
とうに死した、愛す人が蘇ってまた再会を果たす―――それを嘆き悲しみ、個を奪われるような人間は、果たしているのだろうか。
容は違うが、輪廻転生した魂魄が、再び家族のもとへ帰ったとして・・・悲観に暮れる人間など、いるのか。
そうは思えど、その答えに簡単に否は突きつけられなくて・・・は複雑な心境で、ただただ虚空を見つめて祈るしかなかった。







( どうか、どうか――――――幸せになってくれ・・・・・・ )





七色の風に吹かれるの背後で、無言を決め込む藍染は眼光鋭く思考を廻らせていた。





それは当初から疑念だった―――の特殊な能力についてだった。




霊圧は微塵にしか感じられないのに、霊子を含む大気―――霊気を震撼させる力。類稀なるほどの美麗さ、即把握・演繹能力の
異常発達。幽閉され、いくら娯楽が制限されていたとはいえ、それだけでは逆に脳は退化するはずなのだ。それなのに彼女の
叡智は正の方向にしか向かない。
いや、それだけならまだそれほど能力に注視するに値するほどではなかった。


だが今回あの現象を目の当たりにして―――そうせざるを得なくなった。


稀代の天才・浦原喜助が開発を続けている『虚と死神、相互の境界を破壊する』能力を有するという『崩玉』。
虚とまともに会話することですら普通の死神には不可能である筈なのに、それ無しにはいとも簡単に虚から死神を―――
否、『破面』という新たなまがいものの兵器を作り出した。
一度虚に飲み込まれてしまった魂魄の心は真の枯渇・絶望を味わい程なくして完全に破壊される。特に先刻のような階級の高い大虚であれば
巨大な自我を前に、飲み込まれた心はひとたまりもなく消滅する。そして虚無を埋めようと再びその捕食を飽きることなく続ける。そうであるのが
万象の摂理の筈。
なのに彼女は万象の壁を容易く越えて、一度心を亡くした虚に再び心を与えようとしている。虚である烙印であるあの身体に開いた『孔』も塞がれて
いた。あの孔は虚に落ちた魂魄が失った心そのものであり、仮面を彼女が破壊した時に埋まったのを確かに見た。
―――だがまだ全体の様子は虚の名残を残している。・・・ということは未だ完全に心を取り戻したわけではない。
では―――心を失った破面が再び心を取り戻した時、一体何が起きるのか。未知なる事象に、流石の自分も好奇心というような、嫉妬とも
呼べるような、ただ純粋な興味がとめどなく滲み出てくるのを感じずにはいられない。
そしてこれは彼女の能力かはわからないが、『完全催眠状態にある筈の虚は何故、この場所を発見できたのか』。それも大きな
研究対象になるだろう。一人で居住していた時にはそのような現象は確認できなかった。とすれば―――が起因とも考え
られる。なぜならば、彼女は今まで唯一、完全催眠状態から回復した者だからだ。彼女のその特殊性をもってすれば、あの虚
がここを発見できたということも考えられる。まさか、彼女が虚と結託しているとも思えない。





・・・の能力は偶然だと思っていたが、いや、これは、しかし―――。






( 『偶然は必然のもとに作り出す』―――・・・か )






―――これは私の行動理論ではないか。



なれば、という女自身に眠る必然性を探ってみる必要があるか。
王族へ取り入る札だけではなく、その力が解明出来さえすれば、にもまだ更なる利用価値が生まれる。




寂しげにぽつりと在る、の背を見つめながら、そう心の中で至極冷静に藍染は何度も呟くのだった。
































**************

*タイトルからして仰々しいですね。第四十七話でした。
 タイトルは「無花果(いちじく)」イチジクにも漢字があったんですね。素直に驚きました。

 さて、このタイトルでご想像つくかたは沢山いらっしゃると思います。
 アダムとイヴが口にした「禁断の果実」。これはリンゴという説が一般的ですが、私はイチジク説を
 とっています。単にひねくれ者なような気もしますが。笑
 宗教を学んでいて、文献にそういう記述があったので私にとって禁断の果実=リンゴという方程式
 で認識はされていないのです。
 イチジクは学校にも成っていて食べさせてもらったりで色々と馴染み深い果物です。個人的に。
 特に干しイチジクなんて甘くてつぶつぶしてておいしくて、最近ではドライフルーツとしてもメジャー
 になってきていますよね。って話それた!

*今回は次回以降にむけての未来暗示のようなタイトルで置いております。いよいよ八千代編らしくなって
 きました。
 
 両親の愛情に飢えているは、家族愛の深い虚半魂魄に同情し、なんとか助けてあげたいと心より
 願いました。すると呼応するかのように身体が変形して―――ついには破面を製造しました。
 礼を言って彼はどこかへと飛び去ってゆきますが、一体これから彼は二人の行く末にどのような
 影響を及ぼしてゆくのでしょうか。

 一方、崩玉無しに虚と死神の境界線を越えたに対し、ますます藍染は「何者だ」といぶかしみます。
 全ては偶然の事象か、もしくは=純粋・無知の塊ゆえの特殊性だ、と軽くあしらっていた藍染でしたが
 いよいよそんな陳腐な精神論だけでは済まされない事象を目の当たりにします。
 そして、何故完全催眠をかけているはずの土地に幻覚に陥っているはずの虚が入り込めたのか・・・
 ここも藍染の注目点になってきます。
 
 さて、八千代編、一体これからどのように展開してゆくのでしょうか。
 次回、ようやく浮竹隊長サイドになるので、浮竹隊長の出番を心待ちにされていた方々には朗報に
 なると思います。

*ではでは。



0:23 2010/05/20、1:55 2010/09/09、4:14 2010/11/27 加筆修正  日春琴