第四十九話「早咲きした赤」
何かを信じていれば、裏切られたときの衝撃は大きい。
俺は信じていた。 信じて疑わなかった。
流魂街の奥の奥にある小さな村で、愛する妻と娘と、三人で・・・決して裕福ではないけれども
金では買うことの出来ない至上の幸福を味わい、ひっそりと生きてゆくことを。
何故だ。
ああ、神よ。
もし本当にこの天の向こうにいるというのであれば、我々がどのような罪を犯したのか
それ故にこのようなひどい罰を受けなければならないのか教えてくれ。
到底納得は出来ないであろうその理由が欲しい。
信じていた幸福を容易くも裏切れる理由が、欲しい。
そんな理由、返ってこないなんて、わかりきっているけれど。
虚しさと行き場のない憎しみが溢れて黒空に漂う日々。
こんなちっぽけな生にも、まだ価値や意味があるというのなら、それはただ千沙のため。
だから、絶望の深淵に突っ立つ。
俺はあの日、決めた。
俺は、最初から嘘ばかり吐いて、誰も傷つけることなく、生きてゆこうと。
【流星之軌跡:第四十九話「早咲きした赤」】
それは吐く息さえ瞬時に凍る、一際寒さが際立つ冬の夜のことだった。
流魂街の東方に位置する村、日酉村はどこからともなく急襲した虚の軍団によって襲撃された。心や魂に飢えた虚は
そこにいるのが非戦闘民であるのにも関わらず容赦なく喰らい尽くした。もともと虚というのは飢えを満たすことができれば
それが何であろうが無差別に喰らうものだ。そんなことは嫌なくらいわかっていて、故に男は家族を連れて必死に逃げた。
男―――相馬八峰は、妻である相馬佳代(そうま かよ)とまだ幼い我が子、千沙を連れて近くの丘まで逃げようと試みた。
だが無常にも、虚の襲撃の勢いは止まることはなくむしろ加速して、ついに避難を開始した相馬家の住居へと襲い掛かる。
建物は倒壊し、その下敷きになって半身を虚に千切られた佳代は内臓を撒き散らしながら逃げろと叫ぶ。その凄惨な光景に
八峰の足は思わず止まるが、佳代の頭上に現れた虚の影を目にして千沙を連れて逃走を再開する。
逃げる八峰の腕のなかで泣きじゃくる千沙の声を出来るだけ抑えるように抱え込んで、ただただひた走る。流れてゆく景色
には業炎に焼かれる家屋、人、そしてあちらこちらで食される力無き近隣住民の姿。途中、親を失い、はぐれたであろう
千沙と同じくらいの年の子が泣き喚いている姿を見かけるが、放っておく。彼らはすぐそこの路地で音を立てて血肉を啜って
いる大虚にあと寸分で喰らわれてしまうだろうが、だが、そうしなければ、きっと自分たちが死んでしまう。
最愛する佳代が命をかけてまでも助けてくれたこの命、無駄にするわけにはいかないのだ。
酸欠に意識に靄が掛かろうと、喉が引きつり、過呼吸で肋骨が軋む激痛を感じても、足を折りそうになっても、死体にけ躓い
ても、それでも八峰は走った。
霊圧や武器を持たぬ己の無力さ、誰をも助けられず、ただ周囲の人間を囮にして逃げるしかない卑劣さを奥歯でぎりぎりと
かみ締めて味わいながら、何故を呪いの言葉のように幾度と無く繰り返して。
やがて視界の端に馬酔木の腕章を巻きつけた黒い死覇装を身に纏う軍勢が映ってようやく八峰は逃げ切ったのだと知る。
気がつけばあの戦禍は小高い丘の眼下にあって、自分たちは日酉村の外れの丘に逃げ延びていたのだ。
貧乏なあの村に街灯など無く、夜はまるで世界に日酉村など存在していないかと錯覚するくらい闇に溶け込んでいたのに
今だけはその光が消えてゆく村そのものの最期の命の燈しだといわんばかりにぎらぎらと輝いて、村のありかを叫んでいる。
滲む視界で煌く紅蓮は地獄の釜のようで、その中には塔のように聳え立つ何十もの大虚が今も魍魎跋扈していて、こんな
遠くに居ても漂ってくる人肉が焼ける獣臭さや死臭に思わず身を折って嗚咽する。
腕を開放すれば千沙は佳代のもとへ駆け出そうとするので、それを押さえ込んでいると救援に来た死神にやがて保護された。
後で聞いた話によればこの戦いは、通常の虚とは違う、改造を受けた虚の軍勢が突如異常発生し、近くにあった日酉村を
襲撃し、そこにこの地区を管轄していた護廷十三隊の五番隊が救援にきたのだという。
戦争難民が集まる難民収容所へ連れられる際、後ろ髪を引かれながら目に移した八峰の村は、どこかにあるという地獄その
ものような様相で。その中にはまだ妻を奪ったあの虚が立っている。だが今、奴の額には大きな十字傷が出来ていて、心の
奥で様見ろとあざ笑う。しかし自分は誰かが作った傷をただ笑うだけで、結局自分では何も出来ぬ事実に臍を噛んでその場を
後にした。救援に行ったあの隊の中には隊長格である死神もいたようだから、奴らの命ももう長くは無い。
穏やかという心そのもののような存在だった八峰のなかに、黒々と猛々しく燃える憎しみが芽生えた日だった。
その後、生き残った僅かな村民は護廷十三隊が仮設置してくれた難民収容所へと住まいを移すことになった。いくら護廷十三隊
の生活必需品の配給はあれど、この辺境森奥の東の地での越冬はなかなか難しい。霊圧を持たない魂魄に食べ物は不要なので
格段飢えは問題にならない。むしろ何が問題なのかというと防寒一言に尽きた。実際、十三隊は防寒具を補給してはくれたが
それでもこの寒さの前では無意味なこと。極寒にとって少なからず負傷している者の体力を急激に奪うことなど造作も無いことだった。
怪我を負っていない者でも無論難民ゆえにどこへ働きにいけるわけでもなく、ただただどこかの村が彼らを受け入れるのを日々待ち
わびるしかない。
日に日に数を減らしてゆく仲間の姿を見て、寒さに凍えて萎縮した脳で八峰は「ああ、死ぬのか」とぼんやりと思った。難民を受け
入れてくれるほど余裕のある村などこの周辺に無いことは今まで日酉村で暮らしてきた自分が一番、痛いほどに知っている。体温を
せめて留まらせた腕の中で眠る千沙の顔を見つめてそう思えば、この原因は一体なんだったのだとまたあの日の悪夢が蘇るのだ。
ガタガタと音を立てて質素な毛布に包まり、この雪をも一気に蒸発させるような激しい憎しみが胸のなかでごうごうと音を立てて燃える。
しかし何も出来ない。その飽くなき悲壮循環に声すら上げる体力も段々なくなってきて、ついに八峰は昏倒してしまう。
朦朧とする意識のなかで、その時―――誰かに呼ばれた気がして、八峰は徐に首だけ上げて前方を確認する。
すると、腕のなかにいた千沙はいなくなっていて、代わりにそこには今は亡き妻、佳代が立っていた。ああ、ここは確か死後の世界のはず
だが、黄泉の国は存在していたということか。最早かじかんだ脳はまともな解答をはじき出さず、ただ何かにすがりつくようにふらふらと
手を伸ばす。
ああ、千沙を連れてこなくてよかった。佳代の下へ逝けるなら、逝きたい・・・連れて行ってくれ。
そう思って最期の力を振り絞り、彼女の足に触れた。その瞬間に、再び世界は真っ暗になって、八峰は今度こそ本当に死んだのだと
覚悟する。
だが、再び前方からやってくる眩いばかりの光に目を細めてやり過ごすと、ぱちりと開いた瞳が映したのは腕のなかですやすやと眠る
千沙の頭で。そうか、まだそう簡単には死なせてくれないか。諦め、乾いた微笑が喉からくつくつと漏れ出す。そうだ。あんなにも
沢山の命を見殺しにしたんだ。そうやすやすと死なせてくれるはずがない。
涙を流そうとすればすぐにそれは氷となり、体温を奪ってゆくから流したくても流せない。唇を血が滲むほどに噛んで、千沙の眠りを
妨げないように悲しみを殺す。だがあまりにも切なくて、やるせなくて吐きそうになって声が出そうになるから、八峰は徐に空いていた
右手で己の口を塞ごうとする。
その時だった。
何か、重いものが右手に掛かっていたことに気がついたのは。
急なことに涙は引っ込み、何かと右手に注視する。だが千沙をあくまでも起こさないようにとまずは掌で転がしてみると、かちゃかちゃ
いう金属音が響いてきて。まさかと思ってソレを引っつかんで眼前に持ってくればそれは八峰が想像したとおり―――
数多の死神が帯刀するという、斬魄刀そのものだった。
まじまじと見つめてみると、それはかすかに蒼い光を帯びていて冷たく光っている。しかし普通の魂魄などにこのような霊圧のこもった
刀など与えられないだろう。そう思って意識を過去に飛ばしてみる。そして―――間もなくして八峰は思い出すのだ。
現世のときには当たり前のように感じていたであろう『空腹』という感覚を。
そういえば、難民収容所に住むようになってから何週間かして、おかしな感覚を身に覚えていた。それが空腹だなんてとうの昔の
ことすぎて忘れていたけれども、それでも今になってわかった。
自分は―――死神になれるのだ。
八峰の心の内に、すぐにあの日の惨劇が浮かぶ。
そうだ・・・これはきっと、あの村の怨念、そしてなによりも―――佳代の思し召しだ。
村の皆も、佳代も・・・あの虚を俺に殺してくれと言っているんだ。
そうだ・・・やらねば。
力を持った今―――・・・・・・俺はもう無力なんかじゃない!
それからはもう無我夢中だった。
寝ぼけ眼の千沙をたたき起こして、まだ夜もあけぬうちに八峰は難民収容所をひっそりと後にした。片手にはしっかりと
復讐を遂行できる武器を携えて、無言でずんずんと進んでいった。
目指すは瀞霊廷にあるといわれる、尸魂界唯一にして最強最古の軍隊、護廷十三隊――――――。
朝日がようようと昇り始めた頃、始業の準備をし始めた浮竹のもとに、とある人物が飛び込んできた。ここは外れとは
いえど仮にも護廷十三隊の十三番隊隊舎だ。まだ朝早くで皆気が緩んでいるとはいえ、外で警護にあたっている門番
を突破できるとは思わない―――浮竹の緊張の糸は瞬く間にぴいんと張られる。
浮竹の目の前に飛び出してきたその男の形相は異常とも呼べる姿だった。顔は土黒くなって痩せこけ、頬は殺げて
身体全体を構成しているしっかりとした太い骨組が分かってしまい、逆にそれがなんとも哀れだ。髪は何日間も洗って
いないのだろう、ぼさぼさで、身に纏っている着物は裾がもともと一体どこにあったのかわからないくらいまでに裂けていて、
縒れていた。
しかし一際目を引くのはそこではない。
無論、その貧相な格好も目に留まるが、その様子とは似つかわしくないくらいに彼の目がぎらぎらと輝いていたのだ。
それは必死に生きようとする獣そのもののそれだ。それに加えて、見慣れない彼は普通の魂魄であろうと判断はつくものの
しかし、今はまだ身体の奥底に充満している濃密な霊圧を感じ取って、一体この者は何者かとさすがの浮竹も身構える。
一触即発の中、二人は何もしゃべらない。
ただ浮竹は相手の動向を見定めるかのように、鬼道を放てるように心の中で意識を集中させてゆく。
だが、次の瞬間徐に男は土に額を押し付けるようにして、土下座をした。
「失礼を承知のうえで申し上げます! 私は流魂街の遙か東の村、日酉村出身の相馬八峰と申します。 先日起こった
虚の襲撃により、戦争難民に認定され・・・難民収容所で生活を送るうちに、霊圧が降りて参りました・・・!」
浮竹がそのまま聞いた話はこうだ。
男が住んでいた村は虚の突如の襲撃によって一夜にして廃墟と化し、なんとか妻を犠牲に子と二人逃げ延びた。
しかしその後の収容所での暮らしは日に日に死を先延ばしにしているだけのようなもので、それは生き地獄のようなもので。
そのなかで死ぬ覚悟を決めた瞬間に亡き妻の亡霊を見、気がついたら霊圧を帯びた自分は斬魄刀を持っていた。
今から統学院に通うことも考えたが、身内や知り合いに当然死神なんているわけのないただの魂魄だった男はその道を
諦めた。それに、今から統学院に通っていては『遅い』のだ。
そして、あれこれ悩んだ挙句思いついたのが今回の潜入。誰の管轄する隊まではわからなかったが、とにかく誰でもいい。
誰でもいいから、組織を束ねる役割を担っている人物のところまでたどり着けたら、きっとなにかが開ける。風の噂でも
聞いていたが、護廷十三隊を束ねる山本という死神は相当情に厚いと聞いていた。
もしここに来る前に捕まったらどうしてたんだ。話に上がった娘とやらも共々、投獄されていたかもしれないのに。
浮竹は最早呆れたような声音でそう問う。もしかしたら今迄の話は全て嘘なのかもしれないが、しかし浮竹の第六感はこの
男に明らかに『異質な才能』を感じていた。故に、聞かないわけにはいかなかったのだ。
すると相馬という男はまっすぐに浮竹の目を見つめ、なんと『潜入くらい出来なければ死神としてここで働かせていただけ
ないでしょう』と言い放った。
なるほど。浮竹はようやくこの男がここに来た理由がわかった気がした。
とにかく、俺には時間が無い。早くここで力をつけて、娘を守るのに十分な力を付けたいんです。そしてその言葉は浮竹の
予想と見事的中した。
しかしここで己の情に流されて、どこぞの馬の骨とも知れぬ者をそうやすやすと招き入れるわけにはいかない。・・・それは
相馬八峰が反逆の意思を持つ危険因子であるかも知れないということではない。もし仮に彼がこの護廷隊に入れたとして
その先、きちんとこの者はやってゆけるかどうかという懸念があったからだ。
特に、八峰のようにことを急いでいる者というのは危険だ。それに―――先程この男は娘を守るための力が欲しいと言って
いたが、どうもそれだけではないような気がしてならない。あの必死な目は娘を守るためだけに開かれているわけではない。
もっと別な、そう直感的な激情が隠されているような気がして。
短い考慮の沈黙の後、終に浮竹は一つの予想にたどり着く。
「着いて来なさい。 どうするか決めるのは、あの方次第だからね」
なれば―――数多の犠牲の上でようやくつなぎとめてきた一つの命を無駄に散らせるわけないはいかない。浮竹は復讐に
塗り固められた八峰の心をただひたすらに憂い、重い腰を上げた。
実際―――その男、相馬八峰は特殊な存在だった。
浮竹が案内したのは一番隊舎に住まうこの護廷隊の総括―――山本玄柳斎重國の元。厳かな空気に包まれる隊首室で
山本はかすかに目を開き、目の前の死神の卵に眠る才を探る。そしてたどり着いた解はそれ一言に尽きた。
通常、代々死神の血筋を受け継いできている者以外で、つまり至って平凡な魂魄に霊圧が降りるのは幼少期と相場が決まって
いて例外は無い。人間年齢に換算すると零歳から二十歳位までに死神としての力に目覚めるのが理だ。
しかし八峰は違った。三十ももう折り返すか折り返さないかの時点での覚醒。それだけでも異質であるのに、彼の中に眠る
霊圧はむせ返るほどに濃く、重厚で、しかし鋭利な刃のように鋭く、荒々しい。身体全身に分散しないで一点に熱く留まるその
力はまるで、今まで抑圧されていた霊圧の蛇口を勢いよく捻ったような怒涛の勢いで渦巻いているかのようだ。
この力を放置しておくのはもったいないし、それになによりも―――危険だ。流石、優秀な愛弟子のことはある。恐らく浮竹も
そう判断してここに彼をよこしたのであろう。
そう冷静に観察しながら、八峰の上ずった声で理由を片手間に聞く。
さて、どうしようか。
ひとしきり話を聞き終わった後で、しかし山本の応えはもう決まっていた。
我々は相馬八峰が一人前の死神となるまで一切の干渉はしない。それは具体的に述べれば統学院のように特に人員を
割いて教授することはないということだ。しかしそれでも、雑用からでもよければ―――他人の技を盗んで、一人で強くなると
約束するならば、特別に入隊を許可しよう。
願っても無い好待遇をあの有名な死神から課されて―――感動のあまり、八峰はその後彼が部屋を出るまで感謝の言葉と
涙が止まらなかった。頭を、地面にめりこんでしまうのではないかと思うくらいにしっかり押し付けて、少し離れたところから
見ても彼の大きな背が震えているのがわかる。
そんな彼の様子を見て、浮竹は心から彼の幸いを喜ぶと共に、ある一つの決心をする。
復讐のためだけに振るう剣は何の役にも立たない。それでは折角数多の同胞の犠牲の上で手に入れた斬魄刀も、ただの
殺人剣になってしまう。死した彼らは果たして八峰にそのような剣を振るう復讐の狂人として生きて欲しいと望んでいるだろうか。
いや、そうではない。彼らの死は確かに八峰に生きるための力を目覚めさせた。そしてそれは先程述べた理由からではない。
決してそうではなくて。彼らは、きっと彼に生きて欲しいから、大切なものを守るための剣を与えたのだ。
それに気がつくまで―――彼は自分が監視していなければ。
このままでは折角の大切な命が憎しみに押しつぶされて、いつか簡単にへし折られてしまう。
「相馬君―――君は私の隊が引き受けよう」
そして、相馬八峰は浮竹十四郎率いる、護廷十三隊十三番隊に入隊することになったのだ。
八峰はとても真面目な死神だ。
そのよりどころになっているのは無論、彼に遺された唯一の宝である娘との生活のためであろう。そして彼の判断
は間違っていなかった。浮竹が八峰からの報告の後、日酉村襲撃戦の難民収容所の現状を確認してみれば、それは
散々なものだった。飢餓で死ぬ者は少なかったが、死者の数はちょうど八峰があの収容所を抜けてからというものの、うなぎ
のぼりに増していった。それは不運なことに記録的な大寒波が集中的にその地域を襲ったが故で、それまでの生活で体力を
削られていた身体でとても耐えられるものではなかったのだ。つまりは結局、難民を受け入れる体制が整わないまま、あの場に
残されていた生き残りは全滅したということだ。八峰によれば、自分より先に収容所を脱出した者もいたそうだが、身分の知れぬ
難民がどこぞの村、もしくはこの精霊廷に流れ着いたという報告は聞き及んでいない。
その事実がより一層、八峰の真面目さに拍車をかけているかのようで、彼はどのような雑務にも何の文句も言わずに取り組んで
いた。いやむしろ、何か用を頼むと申し訳ないと謝られたくらいだ。
『そんな簡単なことにも気が及ばず、すみません』と。彼は山本に言われた『護廷十三隊は一切関与しない』という規則にぴったり
と則っているのだ。故に、浮竹がなにか仕事を与えればそれに罪悪感を募らせてしまう。
娘との生活を何よりも守りたいという強い意識はびしびしと伝わってくるが、一、六番隊ならまだしもそれは浮竹の性に合っていない。
こればかりはなんとかならないかと思って注意をするも、また謝られて―――
それは慇懃無礼というものだ、もう謝ることは金輪際無し。謝ったらこの隊から追放するぞ、と脅しをかけるまでに至ったくらいだ。
そうしてようやく、その命令、そして隊にも慣れてきたということもあって段々と態度は柔和なものとなっていった。
しかし、それほどに娘との生活が大切なのだ。その熱心な愛情には、心の底から関心するものがある。
だが―――その生真面目さの裏で、常に懸念することは先述したとおり、『復讐に対する熱心さ』だ。確かに、席官に上り、更にその
上を目指すことは生活の豊穣を約束するものになる。だが、果たしてそれだけで、あのような血の滲むような訓練や、誰もが辟易する
雑務を率先してこなすであろうか。
特に気がかりなのは、斬拳走鬼の訓練の時だ。彼は常に何事にも熱心だったが、なによりも目を爛々と輝かせて熱心に聴いていたの
は虚を殺めるための講義だった。無論、講義だけではなく実践や訓練のときは執拗に的を狙う。その的に何かの幻覚をまるで見て
いるかのように、何度も何度も、同じ箇所だけを至極冷徹な視線で突き刺す。
八峰は二重人格などという病はわずらっていない。至って普通で心身共に健康な魂魄だ。医学的にそう証明されているはずなのに
しかしその様子を見ているとそう疑いたくなるくらいに、八峰は『豹変』するのだ。疑っている自分だからこそそう思うのかも知れないと
思って、自らの腹心である志波海燕にも注視してもらったが、やはり彼もその危うさを指摘した。
加えて気がかりだったのは、隊に慣れてきてからじょじょに現れ始めた性格だった。
彼の現在の異名にもなっている『空纏』―――つまり『嘘吐き』。最初は何をするにも真面目で嘘などつけなくて、浮竹にとがめられる
こともあったくらいなのに、力をつけ位が上がれば上がるほどに仲間は増え、交流が増すにつれて嘘の数は増えていった。それは
部下に対する彼の至って普通なあしらい方なのかもしれないが、最近はあれだけ素直だった浮竹に対しても、そ知らぬふりで嘘を吐く
ことが最早日常になってきていた。
復讐と、嘘。
この二つに直接的な因果関係があるとは言い切れないが、どうしても浮竹にはその二つには切っても切れない関係があるようにしか
思えなかった。
しかし向けられる快活な笑顔は、その核心に迫ろうとする浮竹をいつも遠ざけるのだ。彼は太陽のような笑顔を浮かべながら、部下
たちの言葉を得意の嘘や冗談で受け流す。豪快に笑うその幸せそうな笑い声に、もしかするともう復讐の影など消え去っているのでは
と思う。そんな彼にあえて過去の因縁を持ちかけ、蒸し返しても返って状況を悪くすることになるかもしれない。
そうこうして浮竹がためらっているうちに彼は数多いる先輩隊士たちを押しのけ押しのけ、ついにはあの志波海燕すらも圧倒して
副隊長の座に就くことになったのである。
その事実に心から喜びつつも浮竹の懸念がなくなるわけはなく、むしろ増す一方で、心労は増えてゆく。
その実、至極簡単なことだ。
聞き出せばいいだけのこと。しかしそれだけのことが過去の悲惨さゆえに、重く、辛い。
それに聞き出したとして、その答えが「肯」だったらどうする。憎い敵を討つために強くなって、そしてそれを果たしたい。
そう乞われたら。その行為自体が罪だ、と、論破できるだろうか。いいや、むしろ。だが、しかし―――。
・・・浮竹は、なかなか聞け出せずにここまできてしまった。
だが、ついに今日という日に―――浮竹は何度目かわからない嘘を吐かれて、そのことを示唆する場面に出くわした。
大体毎年、一日ずらしてこの時期になると彼は休暇をとるのだ。この日には何かが隠されている。そう思わないほうがおかしい。
そして今年も、また―――。
「・・・・・・どうして着いてきてしまったんですか、隊長」
重たく育った曇天からはもう抱えきれないといわんばかりの冷たい雨が音を立ててその場を物悲しく彩っていた。
単色の世界で、真っ赤な曼珠沙華だけがやけに目に焼きついて、思わず目を細めてしまう。
その先にある切り立った墓標には、いつか聞いた彼の妻の名が刻まれていた。
振り向くことなく呟く彼の大きな背中は、やはり暗い影が包み隠しているような気がした。
続
****************
*49話でした。ちょっとオリキャラの紹介が長くて、皆様お疲れではないでしょうか。すみません・・・!
夢というもの、いや、二次創作というものは単純明快なのが一番だと思うのですが、どうしても私の性分
だとうだうだ長くなってしまうようです・・・。
自分が設定がしっかり(?)とした長編にどっぷりとはまりたい性格なので、それが出ちゃっている気がしますが。
長い間我慢して、我慢して、我慢した先にある見せ場でのカタルシスがなんとも大好きなので・・・。笑
こう考えると私はドMなのか、そうなのか。ほう←
*相馬八峰とその娘、相馬千沙の今迄の境遇がメインでした。
ありがちなお話ですね、これまた。
早く海燕さんと八峰のからみ(え)が書きたいです。個人的に。あ、性的な意味でなくてですよ、もっちろーん。
浮竹隊長が正直、八峰にここまでしてあげる必要なんてないのですが、絶対にこんな境遇の人間見たら隊長は
放っておけない、むしろ率先して面倒を見て厄介ごとを抱え込みそうですよね。個人的に浮竹隊長はそんな
イメージです。
隊長らしくないけど、そこが、隊長という器なのだろうなぁ、という。ああ、本当にこんな上司いたら理想ですね!
*さて、次回、浮竹隊長、八峰たちに詰め寄ります?
ではでは。
3:01 2010/09/08