第五十四話「火群」



 ――――――人は誰しも、炎を燈すのだ。
 ――――――そしてその勢いはとどまることを知らない。
 ――――――一度燃え盛りだした炎を鎮めることは、宛ら我執を捨てることのように、甚だ難しいことである。




【流星之軌跡:第五十四話「火群」】




・・・・・・・・・どこだ、ここは。






ふわりふわりと、頭に靄が掛かっているかのように意識が安定しない。触覚もなんだかあいまいで視界もぼける。
・・・・・・ああそうか、先程検査と称されて惣右介になにやら怪しげな薬を飲まされたっけ。惣右介は睡眠薬だ
と言っていたけれども本当にそうなのか怪しいところだ。
いや、待てよ。本当に・・・いや、そもそも検査に何故睡眠薬が必要なんだ?

不満や疑問がふつふつと沸いてくるが、寝たままの体勢で目を開けていると不思議なことに次第に意識がはっきりとしてきた。ようやく
周囲を見回してみるとなにやら『ここ』には惣右介もいないし、あの研究棟の無機質な白い天井もない。普段睡眠状態になっているとき
にこんなにもはっきりと動けることはなかったから、ここはどこか意識の部屋の一部なのかもしれない。
だからといって別に不安になることもない私は、むしろこれは貴重な体験なのではないかと感じて、それならばと嬉々として起き
上がってみた。


・・・うん、身体はいつもと変わらない。手を握って、そして開いてを繰り返しても何の変化もないし、いやむしろいつもよりか身体が軽い
気すらする。


何かないものか。
そう思って周囲を見回してみれば、そこは真っ白な空間だった。今まで寝転がっていたはずなのにどうしてだろうか。今まで私は自分が
横たわっていた場所を意識はすれど色を感じることはなかった。だがあまり気味のいいものではなかった。その色は白は白であるがかなり
薄かった。つまり―――かなり透明に近い色だったのだ。どこまで行っても何に捕まることもできそうにないその無味・無限を孕んだ色は
あまり気持ちのいいものとはいえない。

おおい、まだ終わらぬのか。退屈と変な不安で気が狂いそうだ。こんなところ早く出してくれ、惣右介。
そう思ってなんとなく遠くを見やってみる。


私は目を疑った。


パッと目の前に突然、映写機か何かによって映し出された映像が流れ出したのだ。
そしてそこに映っていたのは――――――



「お前・・・主、は――――――・・・!」



・・・先日私が・・・『創りだした』破面だった。


思わず画面に釘付けになる。
何故ならば彼は、あの話題の娘と一緒にいたからだ。



「・・・あ、ああ・・・」



吸い込まれるように見入っているうちに、何故かは解らないが、心が躍る。そうだ、最早第六感的に確信するしかないが
それでもはっきりと解る。確信する。いいや、絶対にそうだと巡る血が囁く。
この心の高鳴りは間違いなく、あの破面と―――彼の心のありかである娘の心のそれと等しい。

無音声ではあったが、映像から、そして心から、蕩けるような幸福が伝わってくる。太陽のような、甘い菓子を食べている時の
ような、優しく暖かい時間、ありとあらゆる充実・・・それが彼らの幸福のかたち。

気持ちは完全に破面の心と重なっているのだろう。空虚で飢えて飢えて枯渇しきっていた身体に空いた孔が、幸せによって
完全に埋められてゆく――――――満ち足りる。私は虚になったことがないが故に心の枯渇がどのようなものなのかは解らない
けれども、そんな気がした。
身体の異常な、尻尾のような部分も何もかもが、満ち足りて―――消えてゆく。


よかった。本当に、よかった・・・!
彼は無事に娘を探し出し、心の安寧を取り戻せたのだ。私のやったことは決して、無駄なことではなかった。だって、こんなにも彼は
幸福だ。普通の魂魄と何の差異も感じられない。身体的特徴も、内面も。彼らによって不幸になる者など誰もいない。



だが次の瞬間、私の心は何故か途端に凍りついた。
いいや―――正確には私の心が重なっている、破面の心が、か。



ああ、幸せだ。そう思っている。この破面は。
渇望から解放されているが故に、もう何も欲しくない。敵対意識も、攻撃する意識も、憎しみも毛頭ない。
全く、これっぽっちも。
・・・・・・なのに、どうしてだ。どうしてか、焦燥感だけが心を覆い尽くしてくる。




「!?」




そして、今までなかったはずの音声が急に映像から爆音で―――響いた。




「君は―――『お前』は堕ちてしまった」




え、と喉の奥で私の声が弾けた刹那。



「―――うッ・・・うっ、ああっ、あっ、あ、あ゛ぁ゛ぁ゛ッッ!!!」





痛い!痛い!
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、


痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!






身体が脳天からそのまま手で引き裂かれるような激痛に襲われた。
先程ほっこりと暖かくなった心だけがありかを未だに主張しているのにも関わらず、全身からさあっと血が抜けてゆき、体温は急降下してゆく。
だが身体を確認してみても血など一滴も流れていないからこの感覚はきっと幻覚なのだろう。
だがしかし、まるで本当に血が抜けていっているかのように意識が朦朧としてくる。


「なっ・・・何故、だッ!!」


寒気と脳を揺さぶる激痛に両腕に爪を立てて耐えながら、睨み、叫ぶ。
映像では―――ぼけてしまってはいるが、あの破面が何者かによって粛清の刃を向けられている場面が映し出されていたのだ。



「まっ、待てッッ!!」


刃を向けている張本人は残念ながら隠されてしまっていて見ることができない。しかし何故だろう、私が創った破面と、その心のありかで
ある娘の姿だけは映像がぼやけていてもはっきりと意識することが、視覚することが出来る。
瞼が幻の失血によって閉じてゆく。薄れてゆく意識のなか無我夢中になって、その何者かに伝われと喉を目一杯開いて叫んだ。


「ようやく彼は娘と出会えたのに、それなのに『堕ちたから粛清する』とはどういうことだ!?
 彼はただ家族と幸せに・・・一緒にいたいだけッ。 お前に敵対意識なんて微塵も思ってない!」




「『お前』は堕ちてしまった」

「『お前』は堕ちてしまった」

「『お前』は堕ちてしまった」

「『お前』は堕ちてしまった」

「『お前』は――――――」



  堕

  ち

  て

      し ま っ た 。




壊れたかのように、音声はしつこくそこの部分だけを繰り返し繰り返し再生する。
最早私の意識は様々な感情によって埋め尽くされて、しかし一つの感情だけで今の私は動いていた。
何だ、この感情は。




「『堕ちた』とはどういう意味なのだ!! ・・・応えろっ・・・応えろ!」



錯乱する。
はしたないが、顎が外れるくらいまで大きな口を開けて吼えた。



「応えろぉおーーーーーーっっ!!!」




奥から迸る感情の濁流に飲まれる瞬間――――――

映写機の中にはやけに『白い男』が、映った。





















―――――――――パァンッ!!




「・・・・・・っ!」

頬に伝わった直接的な、物理的な痛みと衝撃に、はぱっと目を開いた。
一体何事かと思ってすぐに身体を起こす。


「何があった?」

「そっ・・・、惣右、介・・・っ!?」


それを聞きたいのはむしろこっちだ。
気がつけばそこはいつもと変わらぬ―――藍染の研究棟だった。あの夢のような空間から戻ったままの感情を抑えきれずに寝台の隣に
腰掛ける藍染を振り返れば、彼は一瞬何かに驚いたかのようだった。
だが彼はハッとした顔を瞬時に無表情に戻して、あくまでも冷静にを観察しなおす。


「・・・構成霊子の波長解析をしている最中、君が突然苦しみだしてうわごとを叫ぶものだからどうしたものかと」

「そっ、そう・・・か・・・。 す、すまぬな・・・・・・」

「悪い夢でも見たか」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」


何種類もの管で束縛された腕もそのままに、ぎゅ、と胸元を掻き毟る。


「・・・なんでも・・・・・・」


『ない。』
そう口にしようと唇には力が篭ったが、


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


先程の夢・・・とも思えぬ夢が再びぶり返してきて、何も言えなくなってしまった。

普段はどんな些細なことに関しても口を挟み、己の気持ちを脅迫に屈することも無くまっすぐに告げてくる彼女が珍しく言葉を濁す姿に藍染は
確かに違和感を覚える。
―――間違いなくは何かを『視た』のだ。
あれだけ瞬間演繹・把握が出来る聡明なのことだ。おそらくその速すぎる思考で彼女は自分自身に自制をかけている。
それに・・・先程こちらを見たときのあの『瞳』と『表情』。あれは尋常ではない。普通の魂魄であれば普通のそれなのであろうが、彼女の場合は
違った。


その感情は稀有・・・というよりかは無かったのだ。今の今まで。


無垢はいつまでも無垢のままではいられないということか。
それとも無垢は無垢が故に、学習せざる得ないのか――――――。

そこまで考えて自嘲する。そんな哲学的なことを考えて何の得になるのだ。
何を視たのか関係ない。興味を持たない。それは時間の無駄というものだ。ただ事実を把握すればいいのだ。


「・・・惣右介」


彼女の身体を構成する霊子の振動を自動的に記入してゆく装置がかすかに揺れる。一体何だと思って寝台に繋がれているを見やれば、
刹那、襲い掛かるかのような勢いで胸に縋り付かれた。


「お前は私の潜在する力を利用したがっているな?」


一体今更、この期に及んで何を。勢いを御しきれずにのけぞった身体を戻しつつ鼻で笑ってやることも考えたが、今は・・・の初めて
見る『表情』に釘付けになってそんな気分は毛頭起きなかった。
百戦錬磨の自分が無様にも「ああ」と応えるしかなかった。


「私が創り出した破面を、戦いの道具にしないと約束してくれ」

「・・・・・・・・・・・・・・・」


そうすれば力を解析させてくれるとでも言うつもりなのだろう、この女は。もとよりそれくらいの条件は、優しい彼女であれば
つけたであろうし―――実は目的はそこではない。

この女・・・の持つ力はどう考えてもただ破面を創造できることだけではない気がするのだ。それだけであれば完全不可避
である鏡花水月の力を「消去」することなど出来ないし、更には霊気そのものを振動させることも出来ない。あまりにも能力の
特性がかけ離れている。ならば、むしろの能力は別のものであると仮定したほうが自然の道理で、今までおこったありと
あらゆる結果を鑑みればの能力は『何でも出来る』能力のような気がした。あまりにもその結論は稚拙なものだけれども、
それでもその言葉以外にしっくりくるものはなかった。
故に、その力を搾取できさえすればいい。その力が何故生じるものなのか、そしてどこの核に起因するものなのかは把握できず
ともとりあえずは利用さえできれば十分だ。そうすれば成体の破面を創造することは諦めても、死神の虚化は可能だからだ。
それにもしかするとその力があれば、別の更に効率の良い、限界突破魂魄が創造できるかもしれない。そう考える。
それゆえにからの約束を、いとも簡単に快諾してやるのだ。



「・・・構わないよ」

「本当か!?」

「ああ。 創生した成体破面を私は、一切私利私欲の為に使わないと誓おう」


・・・意外だ。本来であればここで礼のひとつでも述べて涙する彼女であるはず。にもかかわらず何かまだ言い足りなさそうな
もどかしい、真剣な表情を固めたままだ。・・・まだなにか見返りを求めようとしているのか。


「その代わり君の――――――」

「ならすぐにでも、私の力を解析してくれッ!!」


鬱陶しそうに細められようとしていた藍染の茶の眼に、胸元にすがりつきながら深々と頭を下げるの姿が映った。
藍染は今から交換条件に差し出そうとしていたずばりそのものを自身から『懇願』されて、一瞬思考が止まる。

「願いばかり頼みばかりで卑怯なことも、ずるいことも分かってるつもりだ!
 だが――――――私は私自身の力を知って、虚たちを救いたい・・・・・・!!」

・・・・・・」

「惣右介、どうか頼む! 頼む・・・!」

ぎりりと強く握り締められる掌。白くなるまでに握られたそこにも無論、解析用の無数の管が突き刺さっている。派手に
動けば針は血管を傷つけてしまうことなど分かっているのだろうに、それでも今のにその考えはなかったようだ。
いたるところからぷっつりとした血液が滲み出してきて、その白い手に滑らかな軌跡を描いた。
先程見せた激情に震えているのか、それとも夢で見た何かに対し打ちひしがれて震えているのか。どちらか定かでは
ないが、とにかくこんなに狼狽したの姿を見るのは初めてで・・・何故か無性に『苛立ち』、『惹かれた』。




「・・・っ?」


徐に細い顎を片手で掴み、顔を上げさせる。唇をきゅっと結んだそこは、それでもかたかたと僅かに震えていた。


「君は・・・・・・―――お前は私の物だ。 私はそれを使わぬ愚者になったつもりなどない」

「惣右、介・・・・・・」

「もとよりそのつもりだ。 だから、そのような顔は止めなさい」


え、と短い声が上がる。・・・どうやら彼女はそう言われてはじめて己の呈していた感情を意識したらしい。
だがそれは藍染も同じで、その何かを尋ねるような声を耳にしてはじめて己の言葉の真意を意識する。



「・・・・・・見苦しい」



そのまま初めて生まれた弱みを投げ捨てるかのようにの顎を突き放す。


「・・・・・・・・・・・・」


寝台に強制的に戻されたは、しばらく無言だった。
しかしそれは藍染も同じで―――二人はそれぞれの感情の変化に頭を悩ませていたのだ。


(どうしたというんだ。 私は・・・)

の胸のうちにふつふつと何かが沸き立っている。あの虚が『堕ちた』という理由で身勝手に殺されたことがそんなにも心に訴えかける
ものがあったのか。

確かに不思議なことだが、自分の心は彼の心と重なって彼の感情が流れ込んできた。

そこには失望や哀別の苦しみ、そして肉体的な苦痛までもが混じっていたけれどもそれでもこの熱い気持ちはあそこにはなかった。そこから
察した結論は、この感情はあの光景を目の当たりにした己から生じたものなのだろうということ。藍染の快諾も気に掛かるところではあるが
彼は純粋に研究に自分の力を利用したいだけなのだろう。それよりも今まで無かったこの気持ちが気に掛かる。




(―――何故、はあのような表情を)

そして何故私は彼女のその顔を―――『怒り』に絆された顔に苛立ち、そして・・・心惹かれたのだろう。
夢の内容は後で彼女に聞くにしても、彼女が何を見たのかはおぼろげながらわかる。なにかしらのものが無慈悲に殺されたのだろう。特に
その「もの」とは恐らく、虚だ。
生まれてすぐに塔に幽閉されていた彼女が其処を破壊されてから、すなわち藍染が彼女を拾ってから唯一、彼女に関わったのは藍染、そして
あの身代わりの死神以外には虚しかいない。あの白鷺を殺した夜に、確かに彼女は虚に哀れみを覚えた筈だ。そして彼女は何らかの力をもって
破面化し、その幸福を願った―――この経緯から考えれば、あの虚、もしくはその他の虚が殺されたという可能性が一番高いからだ。

・・・元々魂魄を喰らい、人々にとって脅威でしかない存在である虚に肩入れするのは何故かはわからない。わからないが彼女は完全に虚の存在
を憂いている。「虚を救いたい」という願い―――今まであれをしたいこれをしたいという願いはあったものの、それらはすべて大した要求では
なかった。
大抵、庭の世話に関することであったり、料理の味付けや素材をどうこうしたいという些細なものだった。控えめなそれは世話になっている
という自覚が少なからずあるからであろうが・・・その彼女が迷惑を完全に顧みずに願ってきたのだ。それは今回、奇しくも藍染の願いと
合致したわけであるが、気持ち悪い。

何故彼女は・・・は虚などに同情している?どうしても自分がに作り出せなかった『怒り』という感情を生み出させたその要因は
一体どこにあって、誰によるものだ?

どこか自分のあずかり知らぬところで物事だけが急速に前進していってなんとも不気味で、そして予定が狂ったことよりなにより・・・苛立った。


に怒りの感情を―――負の感情を初めに植えつけるのは私だった筈だ)


そう、いつ試してみても駄目だった。
に優しい態度をとってきていざ真実を暴露して、刀を突きつけて脅迫しようとも、彼女の厚意を床に打ち捨てようとも、如何に残酷な仕打ち
を強いてきたとしても彼女はただ悲しげに笑うだけで、何の負の感情―――あらゆる憤怒、絶望、悲傷、落胆沮喪という感情―――があらわに
なったことはなかった。それらの感情を産み出せれば藍染の手のうちに堕ちる。負の感情とは人を衝動的に突き動かすものだ。つまりその感情
の発生源はその対象者の心の核に直結しているのだ。一体何に怒り、悲しむのか。其処のみ把握できればあとは藍染得意の獅子吼でもって
感情を自在に操り、いずれは対象者の行動すら操れるようになる。に対しての冷たい態度は無論王族を敵視する藍染にとっては軽蔑の意図
もあったけれどもそのような幼稚な感情で彼は動くような矮小者ではない。そう、あらゆる負の感情をに生み出させるためだった。
しかしどうしようとも彼女には生み出させることが出来なかった。ソレをまさか虚という不完全な存在がいとも簡単にさせてしまうなど。
己の矜持にかけて許せず苛立つところもあったが、しかしそれだけではどうしてもない気がして藍染は戦慄する。



激昂に染まったはこの世に存在する森羅万象全てをはるかに凌駕して―――妖美にして、絶美だった。


「・・・っ」


胸がざわつく。に負の感情を教えようとしていたのに、逆にこちらが教えられてしまうとは。
それも、よりによって性質(たち)の悪い――――――。


「惣右介」


本当の脅威は虚でも、死神でも、王族でもないのか。
投げかけられた声すら心に直に触れてきて、睨み上げるしか出来ない。


「ありがとう」

「・・・!」


怒りから冷めたの顔もしかし、この上も無く輝いていてその光でもって照らされる。
無手惨敗を喫しただけではなく、黒に染まりきった心さえも浮き彫りにするのか。



(・・・心の在りかなど、私すら知らないというのに)



瞬時冷静を張り付かせ藍染は無言のまま、の構成霊子を書き連ねた資料に目を落とした。









***




「何故ですかッ! 元柳斎先生!!」


怒号が一番隊隊舎に何回も反射した。
信用のもとにここに見張りの隊士はいない。それが幸いした。この状況では今にも殴りかかりそうな浮竹はすぐに退室を余儀なくされてしまう
だろうから。
バン、と机に両手をつきながら山本を睨むが、しかし彼はぴくりとも表情を変えようとしない。変わりに厳かに口元が動くが彼から聞かされた
言葉に浮竹は改めて肩を落とすしかなかった。


「実質被害者は未だ一名。 今回は偶発的に虚が死神に転じ破面となったやも知れぬという予測範囲は出ず、それに人工的に破面を生成したという
 確固たる証拠もない。 よって早急に対策をとる必要は無し」

「それが四十六室の判断だと・・・?」


恐らく師である山本も今回の件を問題視してはいるのだろうが彼は立場が立場だ。うむと短く肯定の頷きを見せると、それきり黙してしまった。


「『未だ一名』ではない! 『一名も』出てしまったんだ被害者が! いいや人数の問題じゃない・・・!
 人工的に破面を生み出すこと自体が摂理を逸脱している。 摂理を乱すことはいつしか世界に大きな歪みになって帰ってくる!
 それにそもそも、このような破面が増えれば魂の循環が乱れて、世界に魂魄が溢れかえり均衡が崩れる一大事になるんですッ!!」


言いたいことはわかる。だが・・・。そんな声が聞こえてきそうなくらいに空気は重く、そして静かであった。


「四十六室の決定は絶対である。 ・・・斯様な簡単なことも忘れよったか」

「・・・その決定が間違っていると言っているんです!」

「言葉を慎めよ、十四郎!!」

「・・・・・・ッ」



凄みを利かせた声を久方ぶりに耳にして、浮竹は思わず一歩引き下がる。確かに、自分は今上にたてをついているのかもしれない。
だがしかしこれは尸魂界・・・いや、ひいては現世を含めた世界を憂いてのことだ。先刻も述べたとおり、一名が犠牲になった
からだとかそんな陳腐で稚拙な理由ではないし、そもそもそんな理由で四十六室が動くとも思わない。

問題なのは摂理の法則を破った存在がいるということなのだ。

もともと死神の職務のなかに魂の均衡を保つということも入っている。その役目を定義したのは四十六室なのにそこが暢気に
構えている場合か。



「・・・・・・っ直接、掛け合ってきます!」

「!? 十四郎・・・十四郎ッ!!」



おそらく事の重大さが分かっていないんだ。
浮竹は師に強制的に押さえ込まれる前に駆け出して、一直線に四十六室へと向かった。



















「護廷十三隊、十三番隊隊長の浮竹十四郎です! 先日の人工破面創成についての決定に少々異議がございます!
 どうか、ここを開けてください!!」


幾重にも張られた分厚い結界に守られた扉を年甲斐もなくなりふり構わず叩く。正攻法では閉鎖的な四十六室が応対してくれるのに
何日要するか分かったものではない。故に少々強引ながらこのような手に打って出たのだ。
一瞬でもいい。一瞬でも四十六室の裁判官に直接話しかけ、訴えられる機会さえあればきっと完全に意見を変えることはできずとも
何かしら動いてくれるはずだ。彼らとてひとつの魂魄。命を脅かすことになるであろう脅威をそのまま野放しにしておくわけがない。

何度もこりずに叫び、叩いてきるとついにギイと重たい音を立てて中から戸が開いた。しめたと思って、ここぞとばかりに開けられた
狭い面積に身体をねじ込んだ。無論戸を開けていた秘書と思われる死神は浮竹を押し返そうともがくが、彼もここで負けるわけにはいかない。
まだこの先には十三もの障壁が硬く議事堂への道を閉ざしているのだ。しかし―――押し問答を繰り返していると意外にもすんなりと道が
開かれてゆく―――大きな音を立てて、障壁が一枚一枚、開けられてゆく。・・・何か気味の悪いものを感じるがしかし今はそんな
勘ぐりをしている場合ではない。
そのままずんずんと力に身を任せて法廷の中央まで進むと、円状に取り囲む四十六人の裁判官に対して叫び放った。


「人数の問題ではないのです!! これは、遍く世界の摂理法則を乱したという一大事に――――――」


だが。


「分かっておるよ、浮竹十四郎」


浮竹の正面に座っていた裁判官が、彼の言葉をさえぎる。その声は演技がかっていて、どこか笑っているかのようだった。


「確かに今回、死神が破面になったということは問題だ。 これが続けば世界の魂魄数の均衡は崩れて、魂が溢れかえってしまう。
 摂理を超えた存在をこの世界が容認していればいつぞや、理の側から大いなる罰を受けるやもしれん」

「そ・・・っそれが分かっていらっしゃるなら、何故!!」


いやにゆっくりとした、またもや芝居がかった―――まるでなにか幼子に言って聞かせるかのような物言いに苛立ちを隠し切れずに
浮竹は叫ぶ。


「これが続けば、我々尸魂界の役目を果たせなくなる。 おおそれは問題だ、一大事だ、未曾有の危機だ!」

「・・・・・・」

「これが続けば・・・これが続けば、な」


何が言いたいと睨んでいた浮竹だったが、その言葉で悟った。



「一名故に・・・何の対策も講じぬと・・・?」



あくまでも症例が一件であるかぎり、彼らは決して動こうとはしないのだ。



「もとよりそう言っているつもりだが。 ・・・・・・はて、総隊長殿はそうお伝え下さらぬ碌々たるお方だったか。 甚だ遺憾じゃのぉ」

「ッ!!」


浮竹の頭にカッと血が上る。確かに彼に怒りを覚えてここまでやってきたが、それよりも浅慮のためにここまで来てしまったことの重大さを
改めて気づかされて、熱い激昂の後、冷や水をかけられたような感覚に見舞われる。急激に下がった感情の温度の変化についてゆけず無言で
立ち尽くしていると、丁度右斜め後ろに控えていた裁判官が徐に言葉をかけてきた。



「我々は君の部下の復讐のために存在しているわけではないんでな」

「・・・ッ」



その追い討ちのような一言に周囲からは笑いが起こる。ここにいる四十六人はそんな腐りきった冗談で笑うような人物ばかりなのか。
浮竹の怒りを燈した瞳に今度は真っ黒な絶望の色が写る。



「まあ、復讐云々は置いておいても、魂魄均衡が崩れるのはいささか不穏当である。 ・・・またそのような事態になった時は
 君の部下の首でも一緒に持ってきたまえ」


何も言えない―――いいや、言ったところで、この性根の腐りきった死神達に解ってもらえることなどない。危険が自分達の身に
直接的に降りかかるまでは梃子でも動かないのだろう。
浮竹は戦慄する。そんな様子もかまわないのだろう。むしろ心地よいと心の底から笑っているのかもしれない―――再び目の前にいた
裁判官が舐めるような目つきで彼を見つめながら、試すようかの口ぶりで話しかけた。


「――――――さて、許可なくここに立ち入っただけの甲斐はあったかね?」

「・・・・・・・・・!」

「罪状は完全禁踏区域への無断侵入及び決定済議題への異議陳述!
 中央四十六室は護廷十三隊十三番隊隊長、浮竹十四郎にこれより十日間の謹慎を命じる!!」


やられた――――――。


山本からかねがね伺っていたことだが、何かと四十六室の決定に反駁する京楽や自分を四十六室はあまりよく思ってはいない
という。今回は彼らにとって日ごろからの憂さ晴らしもさることながらなによりも五月蝿い羽虫を黙らせる絶好の機会になったのだ。
そうか、だからあんなにもあっさり障壁が開いたのか。十三の障壁を開くということを面倒を嫌うこの場所がしたという事実に隠された
真意を、あの時に見抜くべきだった。


「我々の決定に再議は無い。 ・・・己がした罪の重さをとくと味わい反省するが良い。 以上。
 ――――――出てゆけ!!」


ははははは・・・と湧き上がる嘲笑の嵐が頭のなかでぐるぐると循環して浮竹の足元をぐらつかせる。
しかし、そう彼らの言うとおり何も出来ないのだ。彼らの決定は絶対で覆ることは無いのだから。
唇を血が滲むほどに噛み締めて後ずさり、そしてそのまま再び十三の障壁が開けた屈辱の道を通って、浮竹は十三番隊へ進路を取った。





















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*第五十四話でした。いかがでしたでしょうか。

が十二番隊に拘束されていた時(番外編「冥加者」参照)もそうでしたが四十六室をどうしてもこう・・・
 悪いイメージで書いてしまうのは私の悪い癖です。なんででしょうねぇ・・・命令が絶対とかそいうところに
 起因しているのかも。
 浮竹さんがいじめられててなんだかかわいそうです。でも確かに、たったひとりが犠牲になったところで組織は
 動きませんよねぇ普通。でも魂魄のバランス壊しちゃうと確かにあの世界では困ったことになりそうですよね。
 でも四十六室は相手にしてくれません。むしろ「普段からうるさいからこのさい黙らせちゃおっと」的な軽い
 ノリであしらっちゃいます。

 結果浮竹隊長は自室での謹慎を命じられてしまいます。業務は勿論出来ません。
 

 そして主人公()と藍染サイドにも変化がありました。
 これはもうもしかしたらアレアレアレ??な藍染さんですが純粋に自分が出来なかったことが他人―――しかも虚
 なんていう下等種族―――には簡単に出来てしまうというところが大きな要因になっておりますので。笑
 無垢のかたまりともいえたに生まれた初めての負の感情。これは藍染さんも言っていたように大きな変化です。
 心の核に通じるような原因が彼女のなかにもあるという事実。いや、あるのか、それとも、生み出されたのか。
 藍染さんは以降、その2点で悩みます。そしてという魂魄の感情を理解しようとし始める。そうすれば利用しやすく
 なるというもくろみも勿論、ありますが。ありますが・・・もうちょっと違う目論見もある・・・かも。笑


*さて、今回まででおぼろげにと浮竹の接点がお分かりいただけたのではないでしょうか。
 これから三人は一体どうなってゆくのか。ご応援いただけると嬉しいです。
 ではでは。




6:46 2010/11/04 日春琴
6:11 2011/01/18 加筆修正