第五十九話「こうして僕たちは仮面夫婦になった」



思えば――――――。


この時から、違和感に気付き始めていたのかもしれない。
という魂魄の異常な能力』ばかりに、派手で燦然と輝くそれに目を奪われて発見が遅れてしまったのは事実だが―――
この時から、いや―――もしかすると彼女に怒りを感じ始めたその時から既に、私は彼女に対して違和感を抱いて、そして読み取っていた
のかもしれない。
あの時だってそうだった。私は、お前を理解するためにこういう風に書物を漁ることに耽っていた。流石に当時は中央四十六室をこうして
殲滅させてまで調べることはしなかったけれど。

お前を、お前という人物に、という魂に、という心に、存在に――――――焦がれて焦がれて、仕方なくて。


「藍染隊長、すんません―――雛森ちゃんたちの潰し合い、失敗しましたわ」

「ああ、そのことか。 別に、構わないよ」

「あっれれ、えっ? えっ? お叱りありません? ボク、てっきりみっちり扱かれると思うとりましたわ」

「瑣末なことだよ」


そう。当面の問題は内部を乱すに乱して、朽木ルキアの処刑を速やかに行うこと。そして崩玉を手に入れ、『彼ら』を創成することだ。
・・・もう彼女が創り上げたような完全な破面など、創れなどしないだろうけれども。それでも創りたい。零ではない可能性にかけてみたい。
そうして編成した破面の軍勢で、つまらぬ世界などいとも簡単に握りつぶしてやる。

の創ろうとした楽園を。もう今は亡き、万象高潔なる存在へ、楽園の再演を捧ぐ―――。
非平衡の淘汰、理の遙か向こう側、完全に隠されてしまったお前。それでもこうして、私の行動にはお前が滲んでいたのだ。


「これから起こり得る事象総てに比べてみれば。 ・・・目的は、もっと別のものである筈だからね」


掴むことすら忘却してしまったけれど、もう忘れなどしない。
平衡が非平衡を再び翳らせてしまうより、逸く。
非平衡は間も無く、平衡へと摩り替わる。
私が、替える。
他の誰でもなく、この私が。
太陽が月へと摩り替わるかのような、当たり前の事象のように、自然なまでに、まるで呼吸をするかのような軽々しさで。


「まァ、・・・分かりました。 じゃあ、ボクは休憩入らせてもらいますよ。 藍染隊長も、書庫に篭るのも程々にして下さいよ――――――」




























「・・・・・・・・・、―――――――――」




もう一度。

もう一度だけ、貴女の手を掴むことが出来たら、その時はどうか―――――――――・・・・・・。











【流星之軌跡:第五十九話「こうして僕たちは仮面夫婦になった」】


ドンドンドン・・・!

ドンドンドンドン・・・!



―――扉を、――――――扉を叩く音が、する。
藍染はまどろみの心地に彷徨っていたが、その音の異変に急に意識を浮上させた。いや、正確には『音の異変』ではなく―――『音がする異変』
と形容したほうが正しいのかもしれない。何故なら扉を何者かが叩く音など、するはずもないのだから。
一体何事だと思って身なりを整えて、階下へ急ぐ。すると案の定、庭側へ通じる裏ではなく表の扉が無遠慮にも叩かれていた。万が一のことを
考え、息を殺しながら霊圧を探ってみるがしかし、微塵も感じることはなかった。探索機能が衰えているなどということは絶対にない。とすれば
この感覚は――――――。

「おい! おおーい! 誰かここにいるのか!?」

姿を隠しながら外の様子を伺ってみる。窓越しではあるが扉を叩いている者は男で、身なりからして明らかに一般の魂魄だと悟る。

「俺は隣村の自治警邏隊の隊員である! ちょっと話が聞きたい、開けてくれないか!?」

・・・どうする?

一瞬迷うが、ここで下手に無視を決め込んで彼に噂話を広げられたら困る。幻覚というものは実態を見られたあとはその効果を発揮しないものだ。
彼が実際見たものを変更することは出来ない。それに聞くに彼は警邏隊だという。だということは自治のためにここに調査に来たという可能性が高い。
それはそうだろう。外には怪しい研究用の機械がごろごろと転がっているのだ。其の上この大きさの研究棟だ。目立たないというほうがおかしい。
藍染はそのまま扉に向かい、錠を外した。

「うおっ! 開いた!」

改めて姿を見て、藍染は静かに焦る。


(何故、一般魂魄がここに入ってこれた?)


しげしげと、いぶかしむ様に中を覗こうとする岩男を涼しい顔で迎えながら、自分の疑問にすぐに答えを見出した。


(遅かった、のか――――――)


未だ原因ははっきりとは不明だが、最近の虚の来訪率から探った結果、完全催眠が解けかかっているのではないのかという結論に辿りついたこと
があったのを、藍染は思い出した。その結論が正しいのであればいつかこの土地にかけている催眠も解けてしまい、この場所が露呈されてしまう
という事態になりかねない。そう予測したのにも関わらず、そしてすぐにその原因であろうにまつわる総てを調べていたのにも関わらず、
手遅れになってしまった。

だが―――この場所が明らかになったとしても、ここで上手くやり過ごせればさして問題はない。

問題は、流魂街の僻地に護廷十三隊五番隊副隊長藍染惣右介の研究棟があるという事実を明るみに晒されるということ。それが護廷十三隊に伝わった
ら―――特に、すぐに伝わるのは隊長である『あの』平子だ。疑いどころか、直接的に策謀を見破られることも考えられる。最悪の事態だ。
だとするのであれば、裏を返せばこの研究棟を有しているのが藍染惣右介であるという事実さえ暴露されなければいいのだ。


藍染の瞳が、静かに細められた。


「・・・一体何です?」

「『一体何です?』じゃあ無ぇ! 俺は、ここの地区の自治警邏隊の隊員、右松五郎左衛門と申すっ!」

「はぁ、」

「それにしても、ここは戦争の後それはそれは厳重に封鎖されて焼け野原になったはずだがちょっと名残が残ってたんだなぁ。
 しっかし、こんなさびれたところに立派な建物があるなんて知らなかったよ。 しかも周りには見たことも無ぇからくりが沢山あるし・・・。
 最近俺らの村では妙な怪談が流行っていて、それを調査しに来たんだが、ここはいかにも怪しいな。
 こんなところで一体何をしてるんだ!」

さて、どうしたものか。
偽名を使うことも考えはするが、こんなに疑いを掛けられていては何か証拠を提出するように求められることはまず間違いないだろう。
今すぐに五郎左衛門とやらに完全催眠をかけて偽名を信じ込ませることも可能だし、証拠となるものに完全催眠をかけたとしても上手くやり
過ごせるだろう。最も手っ取り早いのはここで彼を殺してしまうことだが、警邏隊という組織立っているものに所属しているそうだから
おそらくそれを実行するのは危険だ。警備中ということは彼の仲間は当然彼が向かった先を知っているだろうし、そこから帰ってこない
となればこの土地を怪しむことにより一層拍車をかけるだけだ。

・・・だが、どうやって斬魄刀を見せる?

「おい、何とか言ったらどうだ! 名前すら名乗れないのか? ますます怪しいぞ。 ・・どれ――――――」

不味い。
研究棟の中は見られてはいけない。おそらく一般魂魄に研究の内容は理解できないだろうが問題なのはそこではない。問題は、満破面の
検体である虚をそのまま生体漬けにしている試験管等を見られることだ。一般魂魄でもそれに何か異常さを感じることは間違いない。
だがここで扉を閉めては逆に怪しまれる。・・・試験管は幸か不幸か、研究棟の奥のほうに設置されているからこの距離ではぎりぎりの
ところで見えはしないか。
そう、それよりもどのようにして刀を見せるということに思考を割かねばならない。


「へぇぇ、あんた学者かい? 凄ぇ書の束だなぁ、おい」


再度、舐めるかのようにじっとり顔を見られる。出来るだけ柔和な顔を装い、とりあえず偽名を名乗ろうと口を開いた。

だがしかし――――――。







「おい――――――」

「!?」







眠たげな女の、しかしはっきりと聞こえてくる澄んだ声―――――――――信じられない不遇に、藍染の瞳は最早、焦りを隠し切ることは
出来ずに、一気に背後を捉えた。





「惣右介、真昼間から一体何をそんなに騒ぎ立てているのだ。 それより・・・なあ、笄の代わりにしていた草が切れてしまって―――」



しまった・・・名を――――――!

頽廃しきったこの地に鳥が訪れることなどめったに無い。風も止んでおり、周囲に彼女の声を隠してくれるものなど無い。辛うじて遠い
地で蝉がけたたましく鳴いているがここまでには遠く及ばない。それよりも昼であろうがとっぷりと満たす静寂に、彼女の透き通る声は
響いた。
怒りに固まる藍染を無視して、そのまま立っていた五郎左衛門なる男は再度彼の顔を見回して、そしてなにやらピンときたようだ。


「そう、すけ・・・? そう、す・・・。 ・・惣右介・・・?
 ああ、その顔、その声!! 間違ェ無ぇ! あんた、藍染惣右介だ! 日酉戦争を収めてくれた護廷十三隊の五番隊の席官さん!」




――――――詰んだ――――――。

これで退路が完全に塞がれた。塞がれてしまった。壊されてしまった。
いとも簡単に、無邪気に――――――何も知らない、知ろうともしない、このという気味悪い女に――――――!

ぎくりと固まった顔をしてすぐさま柱に隠れるが、何をしている逆だ!そんなことをすればなおのこと怪しまれてしまうというのに。
もう駄目だ、今更遅い。遅すぎる。・・・手遅れだ。

「・・・して、その別嬪な女の人はどなたで? それに何故隠れているのです?」

なるべくしたくなかったことだが、この際仕方が無い―――。とこの魂魄など、命の天秤にかけなくともどちらを優先させるべきかなんて
決まっている。決まりきっている。警邏隊とやらがこの研究棟に攻め入ってくるまでに、この場所を完全に放棄して他の地にでも逃げ延びて
やり過ごす・・・そうすればなんとか、護廷十三隊にこの研究棟が藍染惣右介の所有物であるという情報が流出するという最悪の事態だけは
避けることが出来るだろう。

藍染の瞳に底冷えするかのような暗い、光が燈る。


「・・・右松殿、そちらでは暑いでしょう。 こちらへどうぞ・・・」

「あっ、ややっ、大丈夫ですって! これで報告も出来ますし、研究の邪魔しちゃあ悪いんで」


――――――それは困る。帰り際切り殺すことも考えたが、完全催眠が解けかかっている今、誰に目撃されるか分かったものではない。
屋内で速やかに処さねばならない。


「いえいえ、折角こんな僻地へいらっしゃったのです。 それに日酉戦争のことをご存知なのですね?
 でしたら是非、その後のことをお聞かせ下さい」

「えっ・・・お? んー、そうか、そこまで言うなら・・・」


藍染の唇が薄く歪む。
疑いもしない男はそのまま入り口をまたいで、中へと入る。・・・さて、ここまできたらあとはいつ実行するかだ。ごく自然な時間に
安心しきった時に一気に。身に起こったことを自覚させる余裕も、声を上げさせることもなく。
他に誰も見ていないことを念入りに確認しながら、扉を閉めた。

・・・念のためを見やるが、己のしてしまった事の重大さに気がついているのか、一切口を開こうとも動こうともしなかった。
その様子が不自然だというのに・・・まだ無垢性を脱却しきっていないのか。が嘘を使えるようになるのは途方も無く難しいこと
なのだと心の中で皮肉り嘲笑った。

「あっ、そうか!」

藍染に促されるままに席に着こうとしていた五郎左衛門が、突如大きな声を上げる。そしてなにやらそのままそそくさと、藍染の横を
通り過ぎる。一体何をするのだろうと見ていると、なんとそのまま扉を開けるではないか。
これはいけないと思って、思わず藍染は声を上げる。


「右松殿、一体どうなさった・・「いやっ、邪魔しちゃ悪いって!」


なにやら居心地悪そうに、バツの悪そうに、挙動不審になりながら―――藍染達の心のうちも知らないまま信じられないことを彼は
口にするのだった。





「あんた達、夫婦(めおと)なんだろ!?」





「 「 え 」 」





扉を背にしていた藍染も、遠くで棒のように突っ立っていたも、あまりのことに素っ頓狂な声を上げていた。





「だってよぉ、笄がどうだとか言ってたし、そちらの奥方の慣れた様子もそうだ! なぁんだ。 そいつぁ失礼仕りました!
 ・・・んっ・・・? でも確か席官さんにはまだ妻はいなかったはず・・・?」


ろくに頭が働かないまま五郎左衛門の話を聞けば、日酉戦争が終結した後、彼は藍染に興味が湧き彼のことを色々調べたそうだ。
その時にその情報を知ったらしい。

再び訪れた窮地――――――だが、今の状況は先程とは打って変わって打開しやすくはなった。
五郎左衛門の放った衝撃の一言からある一つの策を見出して、藍染の瞳は再び、冷たいそれに戻った。



「・・・・・・はは、いや、ばれてしまいましたか」



柱に張り付くようにしていたは驚きのあまり、何の思惑があるのだとろくに考えることも出来ずに藍染の同行を、息を殺して見守る。



「彼女は高貴な身分の一人でしてね。 一方、私は護廷十三隊の副隊長に就任したばかりです。
 彼女の家が若輩者の私を認めてくれる訳もなく、しかし我々は――――――」

「ほうほうなるほど、・・・そんでもって、でも、好き合ってるから気持ちを抑えきれずに駆け落ちしたんだな!?」


―――なんだ、この男。人情話になると嫌に反応も勘も良い。だが今の状況に限ってそれは好機だ。
藍染は得意の嘘をそのまま、しれっと綴る。

「そう・・・故に、彼女の家は今彼女のことを血眼で捜しているのです。 ――――――そこで右松殿、貴方に特別な頼みがあります」

「ははは、大体、想像はつくぜ」

「それなら話が早い。 ・・・このことが護廷十三隊に分かってしまうと今の身分が剥奪されてしまう。 私は―――・・・
 藍染惣右介は、妻との生活を・・・漸く手に入れたこの掛け替えの無い幸福を、護りたいのです。
 だからどうか、私達がここに住んでいることは報告しないでいただけますか」


この男、人情話になると鋭い反応を見せることから判断するに恐らく情に篤い者なのだろう。・・・ならそこを刺激するような話を作れば
操作し易くなる。瞬時にそう判断した。
だがなかなかどうして男は首を縦に振ろうとはしない。警邏隊ということだったから、責任問題に発展することを恐れているのか。


「確かに、俺も席官さん―――違った、副隊長さんには感謝してるよ。 見逃してやりてぇが・・・しっかしよぉ、一応これ仕事なんだよなぁ。
 ・・・・・・村の奴らに大見得切っちゃったし」


さあ、どちらだ。これで、それでも報告するのであれば鏡花水月が刃を剥くし、報告しないのであればそのまま帰還することが出来る。
まさか今現在自分の命が大きな岐路に立たされていることなど知る由もない五郎左衛門は、うーんと頭を悩ませた。だがすぐに、何か良い案を
思いついたようで、藍染に向き直る。


「そうだ! じゃあ、何か夫婦の証拠を貸して下さいよ! そうしたら適当に名前をつけて、上に報告できるしよっ」


それは良い提案で是非とものってやりたいものだが、夫婦の証――――――か。だが生憎夫婦の証と呼べるものはここにはない。元々道具でしか
ないのために用意してやったものなど無いに等しいし、あるとすればそれは日用品といった必要最低限のものだ。何か宝石や貴重品など
与えたことはない。
だが、ああ、そういえば・・・先程彼が勘違いしていたものがあったか。藍染は思い当たる。それは笄だった。だがしかしが先程述べていた
ようにあの笄は初めて創成した満破面に飲み込まれた際に砕け散ってしまって今ここにはない。


「・・・一つ、お願いがあります」


だがそれだとしても、要は結局「渡せば」いいのだろう。その時期が少々遅れようと、その理由が正当のものであれば何の問題も無いはずだ。


「おう? そいつを聞くか聞かないかは別だけどよ」

「警邏屋敷の方には、私が藍染惣右介であるということを伏せてくださいますか?」


しばらく唸って、五郎左衛門は縦に首を振った。


「それはよかった。 ・・・生憎ですが今、先も彼女が言っていたように笄を修理に出しているのです。
 修理が終わり次第、警邏屋敷のほうへ私自らが赴きますのでそれまで待って頂けますか」

笄を砕いてなくしてしまったなど本当のことを言えば、なぜそんなに大切なものを壊してしまい、あまつさえ紛失してしまったのか言及される
ことは想像に難くない。その理由を考えることも考えたがわざわざそんな面倒ごとを背負わずとも、こう言ってしまえば信じざるを得ないだろう
から、先手を打つ。

「おう、分かった。 それに・・・俺の周りでアンタの顔を知ってるのは俺以外に警邏屋敷のダチ一人だけだからな。 安心しろよ。
 あっ、勿論そいつには事情を話しといて口止めしといてやるからよ!」

案の定、五郎左衛門は快諾してくれた。それに今の口ぶりからいって彼はこちら側の味方になってくれているようだ。それならば彼を利用しな
がら己の身の潔白を証明し、見せ付けることも出来る。そうすることが出来れば・・・完全催眠が解けてゆこうがそうして己の存在を
『力技で隠せれば』問題無いのではないか。新たな解決策の糸口も見つかって、思わぬ僥倖に藍染の心のうちはふっと軽くなった。
藍染は五郎左衛門に礼を述べると、すぐに警邏屋敷の場所を教えてもらう。そして何事も潤滑に、にこにこしながらなにやら満足げな様子で
再び扉から出てゆく彼の背中を見送った。

「そいじゃ、待っております! あ、村の奴らに大口叩いちまったからなるべく早いと助かりますぜ。 ・・・と、それとな、藍染様よ」

今のと藍染の状況を全く知らない―――知る由もないが―――五郎左衛門は帰り際に、
「そういう頭の固い連中を相手にするときは、もう先に御子を作っちまえばいいんだよ。そうすりゃ彼女を大切に思う御家っちゅうのも家族
 のことを考えて手が出せますまい」
と薦めてきた。

・・・―――なんとも下世話で、下劣で、愚劣で、この上なく余計なお世話だ。耳打ちされた藍染はそれを聞いてしまったことに激しく嫌悪感
を覚えて思わず心の内部がざわめき立つ。だがしかし、表向きはあくまでも苦笑するだけに留めて、彼を送った。










―――バタン。







無機質な音を立てて再び扉は閉まった。ため息すら吐かずにうつむく藍染の様は、に未知の恐怖を与えた。
一体何を言われるのだろう、一体何をされるのだろう。一番やってはいけないことをしてしまったのだ。研究棟の場所が何故分かってしまった
のかは置いておいて、彼の名前を言ってしまったことはまずい。この研究棟を所有しているのが完全に藍染惣右介という人物だと、そして更に
一番恐れていた、護廷十三隊五番隊副隊長がこの研究棟の所有者であるということを暴露してしまったのだ。
今まで小さな口約束は破ってきたことはあれど、こういった大きな、いわゆる暴露されると致命的になるような約束は決して破ってこなかった。
それなのに今、故意ではないとしても簡単に破ってしまったのだ。何かをされないことは絶対に無い。在り得ない。

言葉の暴力。それとも身体的な暴力か。

段々と近づいてくる藍染に確かに恐怖と―――謝罪の念が湧き上がってくる。



訪れるであろう衝撃に、は思わず目をぎゅっと瞑った。



「―――――――――っ!」



案の定、髪を思い切り引っ張られる。その力についてゆけずに首が一瞬変な方向へと捻じ曲げられるが、それはそこでぴたりと止まった。
次なる痛みは一体どこに訪れるのだろうか。身を硬くして、息を殺して、彼の出方を待つ。

しかし、次なる衝撃はいつまで経っても訪れることはなかった。

何故――――――?

それとも、もしかすると自分が考えている以上の「罰」を与えようと何か考えているのか・・・そのままでいると何かに興味を失ったか
のように藍染は握り締めていたの髪を不意に解いて拘束から解放してきた。
いよいよ来る―――次なる、暴力が。瞼を閉じた真っ暗闇の恐怖のなかで、は痛みに耐えるために奥歯を噛み締める。


「・・・何をしている」

「・・・っえ?」


予想だにしていない言葉が聞こえてきて、思わずはぱっと目を開ける。先程まで目の前に聳えるようにして立っていた藍染はもう既に
そこにはいない。そういえば先程聞こえてきた声も少し遠い場所でしていた―――脳内でそう考えて判断するより早く、周囲を探った。
するとやや遠くでなにやら支度をする藍染の姿が映って、もうの頭の中でも思考が追いつかなかった。

何故だ、何故―――怒ろうとしない・・・?

それとも、ここで怒らないだけであって後に怒りを受けるのであろうか。だがしかしそう考えてみても後にする利点を感じられなかった。
確かに今恐怖を感じているし、恐怖を感じているときにこそ罰を与えねば矯正の心理的な相乗効果は薄れてしまう。そんなことに気が
つかない藍染だとは到底思えなかった。なら何故。考えれば考えるほど尚更疑問が生まれる。


「何をしている? 聞いていただろう。 ・・・笄を買いに行くんだよ」

「・・・・・・・・・」

「折角、初めて―――『外の世界』に出られるんだ。 嬉しくはないのかい?」

「・・・・・・!」


の瞳はそう言われて初めてあるものを捉えて、揺れる。
あの藍染が、先程の者が出て行った直後に表の扉の錠前を掛けていなかった―――。
庭に出れる裏の扉はそうでなかったが、表の扉は直接他の村や場所に行けるために彼がしっかりと管理していたのだ。慎重な彼であれば
五郎左衛門なる者が出て行ったあと、扉を閉めるだけではなくすぐに施錠してしまうだろう。しかし彼は閉めるだけでそれをしなかった。
それは無論、すぐに出てゆくためだろう。再びすぐに出てゆくのに、またいちいち面倒くさい施錠をするわけがない。
ということは・・・最初から藍染は何の掛け値なしに、笄を買いに行こうとしていたということになる。
それに、危険性を孕みながら自分も連れて行ってくれるのか。別に藍染自身が適当に見繕って買ってくればいいだけのことではないだろうか。


何もかもが不可解すぎる。


それら謎の行動を総て悪い方向で考えた場合、理解が出来ない。
そこから導かれる可能性は、――――――今現在、が期待する甘い望みの方向で考えれば、納得がいくものである・・・ということ。


「ああ・・・だが、」


胸のうちに明るい陽光が差し込んできたを放っておいて、しかし藍染は錠前をやはり掛けなおしてしまった。


「その前にお前のその口調と名を、変えておかねばならないな」


まあ、あの男は男の約束というものに篤いらしいし、そんなに急くことでもないか――――――そう冷たく微笑みながら、藍染は再び
研究棟の中ほどへと戻ってくる。そしてそのまま書が多量に保管されている部屋へと入り込んでしまった。


「・・・・・・・・・・・・」


静かになった研究棟。彼に拾われた直後であればこの静寂を、何と称したのだろうか。
――――――恐らくは、不気味だ、と・・・称しただろう。
だが今は違う。先程感じた感覚が正しいとするなら、もし、万が一、そうであるなら・・・。




甘い期待に、今少しだけ、浸っても良いだろうか。




「・・・・・・嬉しい、・・・惣右介――――――」





嬉しかった。外の世界に出れるという事実よりも、出してくれようというその気持ちが――――――。
自惚れでもいい。それでもいいから。
きっと彼の思考は自分の予想よりも遙か先を行っていて、あとでどんな仕打ちを受けようが、ただ今だけはこの余韻に浸っていたい。

後で、後で・・・どんなに残酷な報いが待っているのだ・・・そうだと、しても。

――――――いや、・・・待っているに違いない。

だから期待などしてはいけない・・・のだ・・・。

言い聞かせる。

伸ばした手をどこに向けていいのか、分かったときなど今まで一秒たりともなかったのだから。

どうせ裏切られるのであれば、最初から期待などしなければいいのだ。

言い聞かせた。

そしてひりひりと未だに痛む頭皮から流れる髪を、一人ぎゅっと握り締めた。




















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*第五十九話でした。うおお、なんだろこれ、初めて藍染が歩み寄ってくるシーンなので私自身が書いてて違和感です。

*五郎左衛門はとんでもないことを言ってくれちゃいましたね。
 「「え」」の時の顔、すっごく絵で描きたいです。特に。笑 多分、(゜□゜)ってような顔だと。笑
 まじで(惣右介めっちゃ怒ってるし)そんな笑えない冗談ややややめて下さい的な心情なのです、あそこ。笑
 しかも帰るときも余計なことを言ってくれちゃって。でもポーカーフェイスを気取るしかない藍染。書いてて面白かった、いやしかし。

*冒頭は、ちょっとルキア奪還篇に話を戻してみました。実はこれ、入れる予定は全然無かったんです。ですが最近の最終話書きたい病が
 発症してしまったようで、あんなんになってしまいました。最初は詩にしようと思っていたのですが、いつの間にやら台詞も加わって
 ただの小説に。笑
 しかもなんかギンがお茶目です。「雛森達の潰しあい」は間違えなく原作のあの改竄された藍染遺書を託された雛森と日番谷との戦い
 のことを指しています。ルキアの処刑前日ですね。そして処刑当日はこの物語の大きな転機となりますので、ギリギリの時間軸で
 書いてみました。おお、怖い。笑
 ちゅうか、要が全く出てきてないですね。笑 でも彼は離反者のなかでも・・・空気のような・・・←

*さて、仮面夫婦としてこれからやっていきそうな二人。破面が関わってくるだけに仮面夫婦、というわけではないですよ勿論!笑
 まあ確かに完全催眠などに頼らずとも、そうやって隠蔽し続ければOKなわけですからね。
 ただ、この事件が浮竹と二人を結び付けてゆく結果に―――なるかも。←かもかよ

*次回はようやくのときに関わっている死神のうちの一人が出てきます。
 そう、あの坊ちゃんですね。最近すっかりギャグキャラ化しているあのお方ですね。笑
 ちょっとですが、しっかりと関わってきます。

 それでは!




5:53 2011/01/06 日春琴