第六十話「名の軋音は痛く、甘く」


正午、六番隊隊舎――――――。
きびきびと指示を出す声が狭い仕事場にきんきんと響いた。
凛としたその声の持ち主は朽木白哉―――後に六番隊隊長になる彼であった。

そこかしこで『なんでまだあんなに幼い子どもに指示されねばならないのだ』とか『貴族はやはり貴族か』などという陰口が聞こえて
来るがそんなことを気にしている場合ではない。

白哉の耳底に、今朝の祖父の言葉が反芻してくる。

『それでは行ってくる。 まあ何事も無いと思うが・・・・・・しっかりと留守を頼むぞ、白哉』

まあそんなに意気込むなと労ってくれた厳しく畳まれた皺に、優しい笑みを浮かべてくれたがそうは言ってもやはり緊張するものは
緊張してしまうのだ。何しろこれが初任務となるのだから、逆に力まないほうがおかしいというものだろう。
六番隊隊長朽木銀嶺は現在現世への大型出張に向かっている。夜には大体の仕事が終わるだろうとのことだったが、その間この隊を
任されたのだ。本来であればそういう時にこそ、副隊長が隊長の代理を勤めるものなのだが生憎、副隊長―――白哉の父でもある
朽木蒼純は現在床に臥している状況だ。このじめじめとした夏の気候は彼に合わないのだろう。
無論、銀嶺は代理の者を考えもしたが代々六番隊の重要な役職は世襲制になっているのがこの隊のならわしだ。まだ白哉は若いが
早熟で実力はある。ここで少し彼に経験を積ませてやってもいいだろう。そういういくつもの経緯があって、現在第十席である
白哉がこの隊を取り仕切ることになった。だが勿論、九席以上の席官はそれを良しとしない。何故下っ端にこき使われなきゃいけ
ないのだと普段からの愚痴もそれに織り交ぜて口々に彼を罵った。

だがそんな瑣末なことは相手にしない。大事なのは己の心ではなく、この隊をきちんと正常に働かせるという大儀だ。だから多少
思うところがあったとしても私情は挟まない。


「まだ伊藤小隊は帰還しないのか?」


先程までさして彼に気を遣うでもなく堂々と不平を漏らしていた隊士にそう聞けば、


「ああ、奴ならさっき煙管吹かしに行ってましたよ」


しれっと言われて流石の白哉もこれには落胆した。まず帰還してから報告もさておき先に休憩に入るなど―――。それを知っていた
うえで何の注意もせずに見逃した目の前の隊士にも腹が立つがまずはその大元を叩いておかねば。とりあえず彼に礼を述べてから
休憩所へと踵を返した。

しいんと静まり返る廊下をばたばたと怒りの篭った足音が響く。顔は常に冷静を気取るがやはり細かい所作には漏れ出てしまうようだ。
特に今は休憩所になど誰も入る時間帯ではないために其処への廊下はより一層音が響くのだ。
ようやく休憩所の扉が見えてきた。白哉の歩く速度は一層速まって、ついに戸に手をかけ一気に開く。

そして案の定、紫煙を上げてのんびりしている伊藤五席を発見し、怒鳴り散らした。


「伊藤第五席! 貴様一体どういうつもりだ! 報告もなしに休憩に入るとは言語道断・・・!」

「うっわやべッ、見つかっちまった――――――」

今にも刀を抜きそうな白哉の青筋立てた剣幕にさすがに彼も恐れおののいたらしく、座っていた木製椅子を倒しながら慌てて立ち上がった。
だが、その次には逃げ出す様子もなく、どことなく様子がおかしい。

「おい、伊藤五席聞いているのか!? 伊藤――――――」

しかし白哉が何を言っても、伊藤はただそこに固まるだけで其処からびくとも動こうとしない。その不審な行動に、彼は伊藤に近寄った。









「―――――――――たっ、助けて・・・!」








何?








微かだがはっきりと聞こえた。彼の助けを求める声を。
一体何から助けろというのだ。一瞬猜疑の瞳でもって、伊藤の顔を見やれば何か恐怖に固まった顔をしていた。だがそれでも一体何なのか
分からない。そのままさらに距離を詰めると――――――突如伊藤の胸から刀が一本、飛び出してきた。

「ッ!?」

危ういところで脊椎反射でもって白哉は一歩後退する。一体何だと思ってその刀を見つめていれば、後ろから貫かれたであろう伊藤は
そのまま意識を失い、だらりと中心で支えている凶器に身体を預けた。
間違えない――――――何者かの脅威が、彼の後ろに、居る・・・・・・!


「ココかァ? 確かに・・・美味そうな魂魄がうじゃうじゃごちゃついてるぜェ」


生憎今は通常業務中で刀は所持していない。なれば鬼道で。目の前でついにずるりと伊藤を支えていた刀は抜かれて、白哉は意識を詠唱へと
集中させる。
だが、その時―――。


「きゃあああぁぁあーーー!」
「・・うぐぅおああああッ!」

「!?」

隊舎の方角から悲鳴が数個聞こえてきた。切迫・逼迫し、恐怖に震えているその声は、敵襲されたものと最早瞬時に判断した―――
―――伊藤のように。

ということは何者かは集団で今ここを襲撃している?

そう、一瞬気が反れたときだった。




「目の前がガラ空きだぜぇぇえ坊ちゃんんん!!!」

「―――――――なっ、ぐ・・・!!」


どん、と身体がぶつかった。ブスリと鈍い感覚が左腕に走る。
やがて影から出てきて己を攻撃した者の姿を見て、驚愕した。
彼は確か――――――第七席の藤元という男だ。今朝方、十番隊隊舎へと書類を受け取りに行っていた彼が一体何故。

そして何故――――――胸に大きな孔が空いている?

これではまるで・・・!

――――――白哉はやがて遅れてやってきた激痛に脳がぼやけるなか、必死に考えを巡らせた。






【流星之軌跡:第六十話「名の軋音(きしみね)は痛く、甘く」】






一方其の頃、十三番隊隊舎――――――。


ドンッ!


『人工破面創成対策本部』と太い墨で書かれた木製の立て看板を入り口に立てれば、ぶあっと埃が舞い散った。予想外の出来事に、げほげほと
咳をしながら海燕は浮竹を嗜める。


「ちょっと隊長ォ! いくらそんなに嬉しいからって・・・! ゲホッ、ゲホッ」

「あぁ、すまん! いや、こんなに埃っぽいとは思ってなくて」


まったくもう隊長は気分が乗るとすぐこれなんだからなぁと思いながら、改めてその看板を見やる。昨日何回も書いては削り、書いては削りを
繰り返したせいでいくらか身が細くなってしまったがそれでも堂々立派な達筆で認められていた。海燕がしげしげと見つめていると、視界の端で
浮竹も同じように何やら感慨深そうに見つめているのに気がつく。だがその思惑を汲み取ってあえてなにも言わなかった。



今日はあの直訴から丁度十一日目。つまり、浮竹の謹慎が解かれた日なのである。
浮竹は今日から通常業務に戻るがしかし、一度忠告を受けたからと言って何の行動も起こさない彼でもない。この十日間で彼は人工破面―――
人工的に創られた彼らを浮竹は『墮破面(デヘネラード・アランカル)』と称している―――を調査する本部をひっそりと立ち上げる準備を
していたのだ。そして満を持して謹慎が解かれた今日、行動を本格的にしだすというわけである。だがしかし一方で四十六室の言うことも確かで、
まだこの症例はたった一件に過ぎない。不用意な情報の漏洩で周囲を混乱に陥れてもまずいと思い―――また、また彼らに行動していると知れたら
何を難癖つけられるかわかったものでもないため―――できるだけ水面下で、十三番隊独自の編成を組むことにしたのだ。故に、この墮破面の件に
関しては聞かれるまでは一切極秘にすることにした。・・・ある一部の者に伝えることだけを除いては。


「さて、まずは情報収集からかな」


今まで外部からの情報は謹慎のために聞けなかったので、今から調査を開始すれば同じような事例があちこちで複数起きているかもしれない。
最初は浮竹一人で立ち上げようとしていたこの対策本部も、この十日間の間でほぼ半数以上の十三番隊隊士が参加していた。今も中を見やれば
大げさには出来ないからとこじんまりとしたあの襤褸納屋で、身を寄せ合って彼らは資料を整理していた。まあ勿論、通常の業務もあるために
交代制で何人かが居るということになるのだが。
だが夏真っ只中なのに皆文句も言わないでひっきりなしに働いてくれている。その様子に胸がはちきれんばかりの幸福感で満たされてゆくのを
感じ同時に―――絶対に犯人を突き止めてやると、彼が融けて逝った空に誓った。




「なっ、何ですって!?」




ふと、納屋の中で働いていた女性隊士の下に地獄蝶がひらひらと舞い降りてきた。―――慣れた様子だから、きっと彼女の蝶なのだろう。
しばらくその様子を見ていると、その女は所狭しと広がっている資料を踏まぬようにそろそろとしながら、浮竹のところに急ぎやってきた。
一体何だと思って顔を見やれば、明らかに何か情報を掴んだという瞳をしていた。


「隊長! 先日、虚に襲われて亡くなった筈の流魂街一般魂魄の漁夫が、最近になって生き返って現れているとの目撃情報です・・・!」

「なんだって!? そっ、そんなまさか・・・いくらなんでも早すぎるだろ」

海燕はまさかこんなに早く情報が入ってくるとは思わず、思わず声を荒げた。どうせ流言蜚語の類だろうとあしらおうと鼻で笑ってやるが、
一方その隣で構える浮竹の表情は非常に真面目で、まさかこんな空言を本気にしているのかと少しばかり疑った。
だが浮竹はそんな海燕の胸のうちを知る由も無く、逸る心を抑えて、続きを促す。


「場所はどこだ?」

「ば、場所は・・・南流魂街第三地区『水端(みずは)』――――――海に面した村です。 そ、そして更にこの情報、墮破面である
 可能性が高い情報が入ってます」

「もったいぶってないで教えろよ」

「しっ、志波三席は黙ってて下さい! ・・・ごほんっ。
 ・・・その生き返った者は、尾が魚のようでいてしかし足は二本生えていて、腕は異常発達していて・・・とても良く虚に似ているそうです。
 まるで、虚の仮面が取れて大きさを縮ませただけのようだ、と・・・!」


それを聞いて、浮竹は『間違えない』と判断した。
八峰の件で知っている。摂理を犯した者の纏う独特の不気味さを。最早第六感的な判断でしかないが話の端々からあのぞっとするような不気味さ
を感じ取ったのだ。
浮竹はそのまま慌てて草履を引っ掛け直すと、急ぎ門へと向かう。



「あっ、ちょッ! 隊長!?」

「すまん海燕! ちょっと聞き込みに行ってくる! 隊務のことはお前に一任するからしっかりやっといてくれよー!」

「ええぇッ!?」


急に仰せつかった大役に目を飛び出しそうになる。ちょっと待ってくれ、それになんの護衛も着けずに単独で行動するなんてかえって
そっちのほうが怪しまれるじゃないか。
そう思って呼び止めるが、彼の姿は最早そこに無かった。



「こ、こんな時に瞬歩なんて使わないで下さいよ・・・」


大事なときに体力使い果たしてまた倒れても絶対に看病なんてしてやりませんからね。海燕はそう吐き捨てながら、仕方なく本隊へと合流する
ために対策本部を後にした。




あっという間にしんとなった対策本部―――『いってらっしゃい』と残された女隊士はもう其処にはいない浮竹に手を振る。
彼女はこの対策本部に協力して本当に良かったと今、畏敬する浮竹の役立てた幸福を噛み締めていた。後に、この本部に所属することになった
時に聞いたが、八峰の本当の死因は戦死ではないという。虚に飲み込まれ、娘を思うが故に破面になったのだと。だがしかしその手助けをした
犯人がいて、其の者が彼を破面にしてしまったと。それは理に反する行為だ。確かにその娘に再び会うことは出来たけれども理を超えてしまう
行為は死神の理念と真っ向からぶつかる行為だ。それを容認してしまえばいつか理側から歪みを突きつけられるかもしれない。
娘に再び会えたことは幸福だろうがしかし、理を超えてまで手に入れる幸福は・・・本当の幸福などではない。


八峰はあの戦いで虚に食われて死に、そして娘は自害をして死んだ。それが理が定めるあるべき結末の姿だ。それを捻じ曲げた先に待っている
ものなど、きっと、不幸だ。浮竹が、融合した彼らを処罰した悲劇のように――――――。


それに元々、我々死神はこの世界の魂の調節者としての役割を持っているのだ。それを乱すようなことは即ち、罪だ。
そう、聞いた。現場は目撃しなかったが納屋でこっそりと働き続ける浮竹を見て、どれほど悲惨なものだったのかを悟ったのだ。確かに浮竹は
幾千もの戦場を駆け抜けてきたし、見てきたであろう。厳しい判断を迫られる時もあったかもしれない。悲惨な状況など飽きるほど見てきた
だろう。
だが一方それでも哀しいくらいに他人に優しい。
そういう大きな器を持てるのは、間違えなく切り替えが上手いからであろう。正しい正義をしっかりと身体の中心に持っていて、それに反する
現象が起きたのであればきちんとその芯と話し合って、そして厳格なまでに行動する。


―――その彼が、あれほどうろたえていたのだ。


普段から彼女は浮竹のそういう雄大さとか男らしさに惹かれていたし、尊敬していたけれども、今回の一件でなおのことその思いが膨れ上がった。
誰よりも優しいのに、いやだからこそ・・・身を窶してゆく隊長を少しでもいいから支えたい。
そう思っていた矢先―――先の報告を放っておいた地獄蝶が持ってきてくれた。


(少しは役立てたよね・・・? 私・・・)


先程の浮竹の嬉しそうに駆けてゆく様子を思い出して、彼女はふふと一人ほくそ笑む。そして、いくらか弾んだ調子でもって再び離れた納屋に
戻ろうとしたときだった。
何やら先程浮竹が出て行った門から入ってくる死神の姿が見えた。


「・・・?」


よく見てみると彼は書類を持っているようだ。
ああ、そういえば。彼女は思い当たる。確か正午過ぎに六番隊からこの前の大規模虚討伐の件についての報告書が運ばれてくるのだった。
ここでまた報告書を受け取って、先に自分が処理してしまえばまた浮竹は喜んでくれるかもしれない。

嬉々として、彼女はその死神へ走って行った。


「報告書配達、お疲れ様ですっ」


腕章を確認すれば確かに刻まれた六の文字。流石六番隊、きちんと時間通りに仕事も持ってきてくれるなと感心しながら受け取りのための
書類を胸元からだして、確かに渡しましたという彼の判を貰うために差し出す。


「六番隊、藤元第七席ですね。 ありがとうございま――――――」


だが判の代わりに彼女が貰ったのは、書類ではなかった。



「え・・・・・・?」



刀が刺さっていた。

己の胸には、迷うことなく斬魄刀が一本、刺さっていた。



嘘――――――。


何が起こっているのか判断できずにそう思っているうちにそれは抜かれ、体勢を崩す前にこれでもかというくらいに、何回も袈裟切りを
喰らう。もう既に胸の一突きが致命傷になっているのにも関わらず、執拗に、何度も、何度も。まるで意識を失うまで何度も苦しみを
味あわせるかのように。
彼女が激しい痛みのなかで記憶したのは、二つのもの。
もう浮竹の役に立てないという絶望と、甲高く笑う男の人間離れした声。



 何故。

 一体何が、起こったの?

 一体、

 いったい・・・




何度も心の中でそう繰り返しながら、彼女の目の前はついに己の血で真っ赤に染まって、潰えた。









***






「違うそこは『〜なのか?』じゃあない。 『〜なの?』が一般的な口詞だ」

「あっ、ああ、そうだった・・・すまぬ」

「―――――――――・・・・・・」

「すっ・・・・・・、、、・・・・・・・、ごっ、ごめんな・・さい・・・?」

「・・・正解」


ハア、とわざとらしい大きなため息を吐いて藍染は次なる文書に手を伸ばした。

今はの口調を一般的な娘が話すような口詞に直す練習の真っ最中である。先日の五郎左衛門の件があってからは外へ出るために
その口調を変える特訓をしていた。
理由は単純明快。無論、一般的な娘はこのような口調で話さないからである。少しでも怪しまれたら言い訳が苦しくなってくるし、
そもそもあまり虚偽を吐かないに越したことは無い。少しでも厄介ごとを減らすために勉強しているのだ。幸い即理解力は備わっているので
ここ何日かの猛特訓で大分普通の口調になってきてはいるもののやはり気が緩んだ瞬間に本来の口調に戻ってしまう。
普段話すことを意識していない分、話し言葉を意識すればするほど気疲れしてきてしまう。特に間違えれば藍染の機嫌は途端に悪くなる。
一見、他人が見ればその微妙な感情の変化に気付くことはないだろうが何日も彼と過ごしてきたにその変化は最早日の翳りのように
自然に感じ取れるものになっている。

お前は自分からは何も出来ないただの道具なのだからせめてさっさと慣れろ。・・・そんな声が聞こえてくるかのようだ。


「次はこの本を口詞で言って――――――」

「ちょっ、ちょっと待ってくれ・・・!」

「何かを聞いて欲しい時も口詞にしないと聞かないと言った筈だよ」

「うっ、ぐぐ・・・、・・・・・・。 ちょ、ちょっと待って・・・よ・・・?」

「何だい、夏?」

「・・・・・・・・・・・・」


―――今度は大きくがため息を吐いた。やれやれ、と心の中で項垂れた。


「確かに口調を変えるのは・・・分かる。 けど、その・・・」

「その?」

「その・・・名前まで変えなければいけないの・・・?」


「のか?」と思わず喉まで出掛かって「か」をなんとか飲み込む。
一応正しい口詞のはずだが、そう訊いても藍染は何やら黙ったままだ。


「私の名前・・・なんて名前、知ってる人はいないと思うけど」

「・・・・・・・・・・・」


「ぎりぎり惣右介の名前は知っている一般魂魄はいたけれど、それは本当に一握りだ・・・っで、しょ?
 そんななかで禁書にでさえ記されてるか記されて無いかも分からない不貞子の名前なんて、知ってる人なんていないと思う・・・けど」


しばらくそのまま沈黙が満たす。
先のように間違った言葉を使う、すなわち本来のしゃべり方で話しかけても藍染は反応してくれないが間違いはしなかったと思う。
自分のしゃべった言葉を焦り巻き戻しながら確認していると、唐突に彼は投げ捨て突きつけるかのように切り出した。


「万が一知っている者が居たらどうするつもりだい? 実際、私が藍染惣右介であるということを知っていた魂魄が存在する事例はあったんだ。
 可能性は零じゃあない」

「そっ、それは・・・」

「それとも何だ、お前に嘘が吐けるとでも? ――――――笑わせてくれる」

「うっ・・・」

「大体、こんなことになったのは一体誰の所為だ。 自分の胸に手を当てて考えてみるといい」

「・・・・・・・・・」

「お前の行動を決めるのは私の役目だ。 お前は何も言わず、感じず、考えず、ただ言われた儘に行動すればいい」



矢継ぎ早に心にぐざぐさと突き刺さる言葉を容赦なく飛ばされて、は何も言えなくなってしまった。



「いいかい、兔に角――――――お前は・・・君は、ではなく、夏だ」



夏――――――それは、が藍染に拾われたときに吐いた咄嗟の嘘の名前だった。あの時はとにかく王族とばれることを防ぎたくて
必死に名前を考えた。だから深い意味もないし、大して思い入れも無い。それを思い出した藍染は偽名を名乗ることを提案し、実際先程
からのことをそう呼んでいる。
なんだかにとってそう呼ばれることは気持ち悪い、というよりかは居心地が悪かったのだ。単に呼ばれ慣れない名前で呼ばれるから
であろうか。何だかよくわからないけれども、とにかくくすぐったい。


「それとも・・・そんなに顔も見たことも無い親に付けてもらった名が惜しいのか?」

「・・・・・・・」

「『零の桃源郷―――桃源郷などお前には存在しない』。 王族の居住するような天壌無窮極楽安寧なる地はお前には皆無い、と。
 そう言われているんだ。 なんとも大業で明け透けな皮肉の名―――そんな名に、お前は未だにしがみ付いているのかい?
 だとしたら、無様だな」

そんなに言わなくてもいいじゃないか。内心ではそう愚痴る。
だがそう思う一方で、藍染の言っていることは分かった。確かに王族は、両親は・・・自分をただの道具としか思っていない。いや、
道具と思うだけならまだしも憎しみや侮蔑すらその名には篭っていた。傍から見れば美しい名ではあろうが、そこに隠されている真意は
藍染の吐き捨てた通りで。

『産みたくも無いのに、道具として産んで「やった」』と・・・そういう声が聞こえてきそうな、なんとも皮肉と憎しみに満ち満ちた、名前。

だが、その名前が失われることに確かには抵抗を覚えた。あまり考えもしないで思いついた夏という名だったが、という名に
こめられた真意よりかは全然ましな気がする。確かにという名の理由を知れば知るほど、悲しい。負であるよりいっそ零の名前のほうが
としても心地いい。
だが、確かに反する気持ちもあったのだ。


「何故だ?」

「えっ・・・」


しばらく考え込んでいたが、静かな声に僅かながらだが怒りを感じ取って、は思考を中断して藍染を見やる。


「何故―――そんなにも其の名に拘るんだい?」

「そ、惣右介・・・・・・?」


先程まで開いていた本は不恰好に閉じられている。獲物を狩るかのような獰猛な瞳を絶対零度の眼光に滲ませて見下してくるその様子は
・・・どことなく焦っているように感じた。

何か、何かしゃべらなくては。
追求はもっと激しいものになるだろう。そう思っては考えが纏まること無しに口を開いた。


「きっと、その名でお前に呼ばれてたから、だな」

「何・・・?」

「確かにお前が言っていた名前の由来は正しいと思うし、そう自覚すればするほど、悲しい。 そんな名前ならいっそ無くなってしまえと思う。
 けど・・・。
 けど――――――」


不思議だ。藍染の焦るような様子を目にしてからというものの、考えは全然無いのにも関わらず、すらすらと言葉が出てくる。
まるで泉から言葉が自然と湧き出てくるように。今まで何らかの考えを演繹させてから話してきたことが嘘のよう。


「それでもその名で惣右介は私を呼んでくれた。
 その記憶は、・・・お前に『』と呼ばれた記憶は、とっても幸福に満ちているもの・・・。
 だから、きっと、この名を手放すのが惜しいんだ」


きっぱりと、まっすぐに、正面から見つめて。

怒りを滲ませるような眼を向けてくる惣右介に私のこの小さな幸せが伝わればいい――――――そう思って、は笑った。
しばらくの顔を探るようにして値踏みしていた藍染はじっとしていたが、ふと興味を失ったかのように瞳をそらし、再び分厚い本を広げる。


「全く・・・仕方が無い―――二人きりの時だけは、でいい。 但し外では一切、夏と名乗ること。 ・・・いいね?」


途端、の顔がパッと明るくなる。
まるで向日葵が一斉に開花したかのようなまぶしいそれを、一瞬、藍染は忌々しそうに睨みつけた。


「ありがとう、惣右介! 代わりと言っては何だが、絶対に午後までには覚えるからなっ!」

「―――――――――」


しいんとした痛いほどの沈黙に、は「あっ」と短い声を上げる。そして、バツが悪そうに言い直す。








「午後までに、ちゃんと口詞、覚えるから・・ね・・・?」









正解――――――なんとも不愉快にくぐもった声だった。





















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*60話でした。つい先日もう50話ですかとかいっていたのにもう60話ですよ。初雪草篇だけではもう26話目ですね。
 早いものです。いや、自分どんだけ篇の心情描写してなかったんだよ!って話ですが。
 まあそこは加筆修正で大幅改造をしますのでお許しを・・・!

*さて、そんな60話はまたもや転機が結構。藍染とのこのやりとりの心情的な面は今回あまり描写しませんでしたので
 次回に多分すると思います。というかしなければ藍染のあの焦りの理由が分からなくてなんか薄っぺらい人になってしまう。
 藍染は己の感情だけで行動するようなちっぽけな人間ではないと思うんですよね。だからこそそうじゃないんだよっていう
 描写が欲しい。笑
 
*今回はこの連載のテーマでもある「名前」にちょっと触れられたかと思います。
 これ以降下界では「夏」という名前変換無しの偽名になりますが、どうかご容赦くださいませ。大丈夫、大切なシーンでは
 きっと「」のままですから!うん!

*そして予告どおり白哉、出てきましたね。過去篇にもあったように、今の白哉より落ち着いてはないのかなぁと思っているので
 あのようなちょっとツンツンした性格にしております。まあそれでも感情に突っ走りまくるのは彼らしくないので、ちょっとした
 厭味は飲みこませてみせたり。
 だけど六番隊、大変なことになってきちゃってます。笑 しかもあの第七席の藤元とかいう隊員は十三番隊までやってきてしまった
 ようです。あらあら大変。浮竹隊長早く戻ってきてー!って感じですね。

*次回は心情描写からかな。基本思い付きで書いているので必ずしもそうなるとは限らないんですが。ですが上記しましたように
 藍染の心情は書くつもりです。
 そして・・・次回からはついにと藍染のお買い物です。様、初めての下界進出。笑

 どうなるんでしょうか。お楽しみに。












8:35 2011/01/15 日春琴
4:11 2011/03/25 加筆修正