番外編「春嵐」
もし
このまま この世界に
君を 繋ぎ止めておけたなら
【流星之軌跡番外編(短編集)@:「春嵐」】
陽は暮れ、ようようと月も輝いてきた。
それは生きとし生ける死神に対しての、終業の合図でもあり、同時に、彼女との面会の終わりを告げる合図でもある。
「おーい、ー」
そろそろ帰る時間だ。しかし、浮竹には必ずすることがある。
それは、彼女に別れの挨拶をすること───。
いつも一人でいる彼女が、明日を思って泣かないように。
「、ー?」
どうやら自分が仕事に熱中していた間に、気遣っては別の部屋に移動したらしい。いつも配慮にかけない彼女の行動としてはありがち
なパターンである。しかし、いつもならすぐに見つけられるのだが、どうも今日は見つけられない。
「おーい、、ー」
はて、どこに行ったものか。浮竹は髪をぐしゃりと掻き、改めて開け放した部屋の中を眺めてみた。
自分以外の足音はしない、静寂たる空間。
────ザァァ……
今まで仕事で気付かなかった。と、数少ない窓を捜して外を見てみると、やはり外では雨が降っていた。
不思議なものだ。
今日はあんなに晴れて、春一番が吹いていたのに。
「…あ」
そのまま視線を横にずらして見ると、ある人物が目に入った。
ここには自分としかいない。間違えない、彼女だ。
「こんな所にいたのか」
「あ……」
小さな扉から庭に出ると、はいけないことをしたような、罪悪感に満ちた顔をしていた。
しかし、彼女のいる「白鷺郭」は何重にも霊圧を遮断する白障壁が囲んでおり、まず人目に触れることはない。
が、それでも、彼女の良心には響いたらしい。
ふ、と浮竹は笑った。
「良いさ。ここはお前の家。庭くらいいつも出れば良い。……ちょっと小さいけどな」
「………」
は何も言わず、こっくりとただ頷いて微笑んだ。
「だがな…。いくら障壁の中とはいえ、この雨だ。濡れるぞ?…って、もう遅いか」
月明かりの下でもわかるくらいびしょ濡れな彼女に、苦笑しながらもこれ以上濡れないように、と自分の羽織りを被せてやろうと、
浮竹は手を伸ばしたが、はそれを言葉で遮る。
「…雨が優しかったから」
「え?」
「雨が……綺麗で、優しくて……。だから」
そうか、これは春雨──春特有の、雨嵐。
なるほどその風の勢いは激しく雨も同様だが、それは同時に、雨期には見られない優しさがある。この雨風にしなやかに祝福されて、新芽
は芽吹くのだと、今更当たり前の事実を自覚した。
「だからどうしても、庭に出たくて。夜だから、大丈夫かなって……」
止めていた手を再度動かして、彼女の肩に羽織りを掛けてやる。
すると、は身動ぎをして遠慮がちに
「結構です」
と抵抗してきた。
「駄目だ。風邪ひくぞ?」
「そんなこと言って……。十四郎様こそ駄目です!只でさえお体の調子が優れませんのに、風邪なんて召されたら大変です!
一大事です!」
「おいおい……」
隊長しか持つことが許されない白羽織りが二人の間でぎゅうぎゅうと往来している。
「駄目ですーっ!」
「……そりゃ、俺が明日来れなくなったら困るからか?」
「なっ……」
意表をついた隙に、彼女にすっぽりと羽織りを被せてしまうと、当の本人はしくじったというような、悔しそうな表情で睨みあげて来た。
「……それでも良いから……お願いですから……着て下さい……」
彼女もまだ、戻る気はないのだろう。
「こうしてれば、暖かい」
まるで自分の娘のような彼女の、春雨に祝福された肩を抱いて。
「全く頑固なんだから……仕方ないですねぇ」
「お互い様だろう?」
「ふふっ……そうかも、しれませんね」
こんな嵐の中に繰り出す自分達であるならば、もうすこしだけこのまま、優しい雨に打たれて───。
強かに濡れたその日、二人に新風が吹いた。