番外編「遺書」
束縛から 逃げてみたい
そんな気がしたんだ
守られる立場から 逃げてみたい
そんな気がしたんだ
けれども
そんな 浅はかな自分に
この世界は、いつでも海のように、暖かいから
守られる立場から 守る立場になりたい
悩める日も 全て あの丘に
仕舞って
そして 貴方は
あの蒼を 忘れないで
人は誰でも、「自分の存在があやふやなものだ」なんてことは、嫌だと思う。
いや実際、自分がそういう立場になったら、嫌だ。
だから、言わないことにした。
それに、自分達「護廷十三隊」の悪しき「都合」まで露見するのは少々、目を逸らしたいこと───。
―――だから、言わないことにしたんだ。
【流星之軌跡番外編(短編集)A:「遺書」】
あれは、寒椿が咲き撓る季節のことだった。
「ねぇ、十四郎様」
ここに来て、十数年になろう彼女――尸魂界北流魂街80地区「更木」に、何のとも、誰のとも知れぬ輩の血にまみれて捨てられ
ていた彼女。
今や自分たちが拾ってきてからそこそこ時間も経過し、最初の、極度の人間恐怖症というものは薄れて、誰にでも打ち解けて
快活に会話をするようになってきた。
それにつられてなのか表情も暗いものから、明るいそれになって――血塗られていた服は箪笥の奥底にしまい、自分が設(しつら)
えた白梅紋様の小袖を着ている。
その小袖の、美しい控えめな浅葱の色彩が、視界にずいと映った。
「・・・ん?ちょ、ちょっと待ってくれ」
今はその少女――との面会の時間である。
この面会の時間――面会、といっても、要はの行動を見守る時間に過ぎないだけであって、特に何をすることもない。
だからこのように、机に向かって、いつも持病のせいで出来ない書類整備等、小椿たちがわざわざ持ってきてくれるそれらを片付けている。
配慮が行き届いている(おそらくこれは彼女の天性なのだろう)彼女は、普段ならこの間は大人しくしていてくれるのだが、今回は
何か特別な理由があったのか、珍しく話しかけてきた。
自分としても単調なデスクワークに飽き飽きしていたので、気分転換に話に乗ることにしてみた。
「・・・っよし、と。で、何だ?」
「あの、十四郎様」
きりり、と畳の上で正座を正して見上げてくる彼女に、思わず浮竹は少し身構えてしまう。
「教えて下さいませんか?」
「何をだ?知っていることなら教えるが・・・」
浮竹は、総隊長であり、自分の師でもある元柳斎からの世話役、教育係にも命じられている。
将来我々にとって「好都合」な存在になりうる彼女に、学術を備えることは何ら無駄ではないだろう。いや、むしろ有意義なのだ。
そう告げられ、それならばその役には自分がと買って出た。
まぁ、その時点で自閉的だった彼女が唯一懐いていたのは彼だけだったし、それに格段信用が置けないというわけでもないので、元
柳斎はその提案を許可した。
そしてそれ以来浮竹は彼女が知りたがったこと、全てに答えてきた。
の、だが、しかし―――。
「・・・私の出生について」
神妙な顔つきで尋ねてきたかと思えば、それか――。
いつか来る質問だとは思えど、それには答えられなかった。
「それは無理だ」
渋い顔つきで彼女にそう「答え」る。がしかし、彼女がそれで納得するはずもないだろう。
何か理由がなければ。
「な、何故ですか?」
「だから、言ったろう?お前は北流魂街80地区「更木」に捨てられていた孤児だったんだ。孤児のお前の――過去を、赤の他人の俺が
どうして知っているというんだ」
「それは・・・」
彼女は言葉に詰まった。確かに理屈は通っている。
確かに――孤児である自分の過去を、この男が知っている筈はないのだ。
しかし――。
「でも、なら何故私を拾って来たのですか?」
「それは――偶然任務先で・・・捨てられていた、孤児だったお前が、その・・・可哀想で」
「嘘・・・嘘よ」
やはり、言い難い事実があるのだろう。
視線を気まずそうに逸らそうとする彼の行動に気が付いて、益々は彼に詰め寄った。
たとえこの牢獄内であろうとも、覇朔があろうとも、正直、実直一番な彼の内心は簡単に推測できる。
「はぁ・・・。何故、嘘と言えるんだ?」
「だって、「隊長」である十四郎様は戦争孤児なんて今まで幾度と無く見てきたはずです。その十四郎様がわざわざ私を拾ってくださる
でしょうか?それに、この待遇もそうです」
「待遇?」
は、そのストレートの黒髪を大きく揺らしながらうんうん、と大きく頭を振る。
「拾われたときから変に思っていたんです。少しくらい霊力があるとはいえ、ただの孤児なのにこの破格の待遇。それに、反逆の意思はな
いとしても解除されない閉鎖空間――全てが、何だか何かを隠しているかのようで。だから――」
「だから、一番に近しい俺が全てを知っている、と?」
「はい。絶対そうです。というか、そうとしか思えません」
の良いところは、何事に対しても真面目一直なところだと思う。
しかしその反面――痛いところを理論的に全て突いてくることも確かだった。まぁ、そんなところも彼女の良いところなのだが、今回ばかり
は参ってしまう。
こんなことになるなら、あのまま仕事に集中しておくべきだった。
浮竹は大きなため息を漏らしてから、また机に向き直る。
「ちょ、ちょっと。答えて下さいよっ」
「あーっ、もう、だから駄目なもんは駄目なんだって」
後ろ背に手をひらひらと振れば、怒声が白亜の部屋に鳴り響く。
「『駄目』っ?『駄目』って言いましたよね!」
「う、む?ん、あっ、あー・・っ!そうだったけな?いや違うと思うぞー、ははは」
「嘘!言ったもの!この両の耳で確かに聞きましたよ!」
あちゃー、と、には見えぬように机に向かって顔を顰めた。
「『駄目』ってことは、つまり何かやっぱり口止めされているんですね!?総隊長殿か、どなたかお偉方に・・・。まぁそんなことは後から
でも良いんです。ほら、教えて下さい!」
「・・・・・・・・・・」
そう尋ねてみるが、背中は何も語ろうとはしない。
その変わりに部屋を、カリカリと彼が書類をこなす音が満たしている。
「何故、私の出生を教えてくれないのですか?」
「・・・・・・・・・・」
「自分の親を知りたいと思うのは・・・そんなにいけないことなんですか?」
「・・・・・・・・・・」
「そんなに・・・・・・私は、罪人なのですか・・・?」
声音が段々落ちて行き、やがて暗鬱とした、くぐもった声で彼女は言うのだった。
「そんなに・・・・・・私は皆さんにとって不都合な存在なんですか・・・・?」
「!」
「そうであるなら、そう言ってください。もうこれ以上、聞いたりしませんから・・・・・・」
”迷惑な、厄介な存在なら、いっそこの世界から消えてなくなってしまえばいい”―――。
拾われた直後から、恩義の重圧の影で思い続けてきたその闇に包まれた思いが、また這い上がって彼女を狂わせようとしている――
浮竹はそれはない、と大きな怒声も込めて彼女にまた向き直った。
「それはない・・・それだけは、決して」
「・・・っ」
「お前は、俺達にとって大事な存在なんだ」
今はまだ、彼女の処遇は決まっていないが、近い将来、恩義に忠実な彼女は絶対に自分たちの戦力、要になるだろう。
それに、そうならないにしても――彼女の存在は、きびきびと動く自分たちの心を癒してくれていた。
その思慮深い、優しい勘繰りで、いつしか小さな相談相手に、そして良い安らぎの場になって、心を癒してくれていた。
だから、不都合な存在だなんて思ったことはない。
「お前の過去を教えるのは無理、だが・・・これだけは、信じてくれ」
「・・・」
「お前の存在は、俺達の光なんだ。だから――そういう、悲しいことを言うのはやめてくれ」
そして、彼女の肩を優しく抱いて改めて思う。
なんて華奢な肩なのだろう。
それがまるで彼女の存在そのものを表しているかのようで、このまま自分が少しでも力を込めたら壊れてしまうのではないかと危惧した。
そうして暫くしていると次第にの荒げていた動悸が、おさまってくるのがわかった。
「・・・もう、いいです。分かりましたから・・・」
す、と浮竹の胸にそっと手を置いて、身体を引き離す。
浮竹ももう大丈夫かと、ゆっくりと身を引いた。
「お仕事、してください。おとなしくしてますから」
「ん、ああ・・・」
急に冷静さを取り戻したかのようには奥座敷に戻っていった。ただし、今度は浮竹に背を向けて。
「・・・」
また、浮竹の仕事を進める音だけが部屋を満たしはじめる。
そしてそれからその日、二人が会話を交わすことは無かった。
*****
「え?十四郎様が?」
「そ。だから今日は僕が来たってこと」
翌日、面会に現れたのは浮竹ではなく、その親友であり、またを知っている数少ない人物のうちの一人である京楽だった。
彼によると、自分が来た理由は浮竹の持病が悪化して寝込んだからだという。
別に今までこのようなことが無かったわけではないが、昨日が昨日という日だったのでは虚を突かれてしまった。しかし、その反面
少なからずその事実に安心してしまう自分がいて、何だか複雑な気持ちになる。
しかし、それも無理はないだろう。
彼女自身まだ真実を隠されていることに納得がいったわけではないのだから。
「そう・・・ですか」
「あれ、何だかいつもと違う反応だなぁ。もしかして・・・喧嘩でもした?」
この男は気さくな死神で、いい人物なのだが――どうも、同属嫌悪というものが働いてしまうのか、は彼が少々苦手だった。
自分が他人の心を覗ける分、覗かれるのは嫌なのかもしれない。いや、ただ単にパーソナルスペースが強いだけなのかも知れないが。
「別に・・・ただ、私が無理な相談を持ちかけただけですから」
「あれれ、またそうやって浮竹を庇う」
「・・・庇ってなんかいません」
「いーや、庇ってるね」
「いーまーせーんー」
「だって、喧嘩してもそうやって自分が悪かったって自分を下げるでしょう」
「・・・」
言われてみればそうなのかも・・・。
しかしそう自覚した途端、何だか悔しい気持ちになってきて、は近くにあった座布団の端を握ってなお一層口を噤んだ。
「なにもそこまでアイツ庇んなくてもいいのになぁ」
「・・・」
「もっと自由になれば良いのに。ちゃんはちゃんなんだよー?」
そうは言えど・・・。
そこまで自分が自分に正直なら、きっとここまで悩んでいないだろう。もっと楽に生きていけたかもしれない。
しかしこれが、紛れも無い自分なのだ。
浮竹に縛られている――綽約(しゃくやく)たるその束縛に、縛られている自分こそが――。
そうなると、自覚すればするほど、自分が非力に思えてきて尚一層悔しくなる。
「いやなんというか、本当にちゃんはアイツが好きなんだね」
そう・・・なのだろうか。
あんな事実の少しも教えてくれない死神が、自分は本当に?
いつもだったらどうだったかは分からないが、少なくとも今はそんな感情は無かった。むしろ怒りの方が先行していて――。
しかし、だからといってその八つ当たりの先として京楽を選ぶのはあまりにも酷すぎるような気もした。仕方が無いので、近くにあった
物品を睨んでいると――。
ある一冊の本に目が留まり、そうだ・・・と、ある事を思いついた。
「ねぇ、春水様」
「あぁもう。いつも言ってるでしょ、『春水』でいいって。水臭いなぁ。僕とちゅわんの仲じゃないかー」
「海って、一体どのようなものですか?」
ああ、はい無視ね・・・。
一瞬自分の腹心の顔が頭を過って、これはもう脈なしかなと諦めた。
「海・・・?」
「はい」
『春水、気をつけてくれ。は自分の過去を知りたがってる』
海――。
その言葉を聞いてピン、と京楽の頭の中で一つ思い当たった。
海といえば、現世で人間発祥の地という位置づけがされている、ものだが――。
(いや、それは考えすぎかな)
『彼女は自分の知りたいことに対して、常に高いものを求めている。どんな方法で聞いてくるかわからない。くれぐれも抜かるなよ。
彼女にもし過去が割れたら――正直、どうなるかわからない。俺達も、もしかしたら、この世界も――』
昨日浮竹から今日の面会を依頼された時にくれぐれも内密に、と交わした言葉が嫌に過る。
もしかしたら、もしかするのかもしれない。
京楽は近くにあった手すりに寄りかかり、遠めで彼女の瞳を見つめた。
「どうして、海について知りたいんだい?」
「私、書物で読んだんです。海は広くて、大きくて、暖かい・・・まるで第二の大地のようだ、って。そんな素晴らしいところって、
どんな世界が広がっているんだろうな、って思いまして」
「書物?ちゃんってそんなに活字中毒者だっけ」
「・・・」
そう探るように尋ねてみれば、はぷう、と頬を膨らませた。
「あーどうも、すみませんね。読書好きな、女の子らしい女の子じゃなくて」
「ははは、そんなこと言ってないさ」
これは予想外な反応だ。
少しでも自分の素性を知ろうと、そのきっかけになる「海」たるものを知りたがっているのであれば、落ちついて反論してくるだろうと
思っていたのだが――。
「偶然、そこらへんで埃を被っていた本に軽く目を通した時、その記述を発見したんです。題目とかは綺麗さっぱり忘れちゃったんですけ
ど、感動したのか、妙にその記述だけ記憶に残っていて・・・」
「・・・」
「やっぱり、海って綺麗なところなんですか?それとも、物?全世界よりも大きい?」
「おいおい、全世界より大きかったら入りきらないじゃないか」
「あ、そっか・・・そう、ですね。うーん、だとしたら尸魂界よりも大きい?」
「・・・そっか。ちゃんは・・・知らないんだもんね」
この様子からいって、まずなにか下心があって訊いているのではないようだ。
「はい。・・・あ、ほら。私、外へ出たことが無いので・・・」
「・・・だ、ね」
そうだ。
彼女は拾われてここに来てから、この部屋から外へ一歩も外へ出たことがないのだ。いや、たとえ本人がそう望んだとしても、監視役であ
る自分たちがきっとそれを許さないだろう。
彼女は存在が特別な故に、事情を知るもの以外に見せてはいけないのだ。
だから、彼女はこの、彼女の霊圧を遮断する白亜の障壁の景色しか知らない。
その色は元々「白鷺郭」とは名ばかりの牢獄だったことをまざまざと彼らにみせつける。
周囲を見渡してみれば、白、白、白――唯一ある窓から見える障壁の色までもが白で、これはこれで一種の壮美かなと思っていたが、思えば
なんと殺風景な部屋なのだろうと京楽は眉根を寄せた。
確か自分の部屋に、酒飲み友達から良い絵画だと譲り受けた海の絵があったはずだ。
京楽は、に「少し待ってて」と微笑むと、嬉々として自室へと踵を返した。
「はい。有難うございます―――」
しかし京楽はこの時気付いていなかった。いや、知る由も無かったのかもしれない。
彼女が本当は強い反抗心の元に、偽っていたということを。
そして、彼女が目にした本が、彼女を手招いていたということを―――。
>>>Next Page