番外編「遺書」

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”魔の書物に魅せられた人間というのは、すなわち書物の魔に魅せられた者のことであり、現世では過去にこの一種の霊魂が問題に・・・”

つまらない。
全くといっていいほど、つまらない。

”只、魔自体が直接虚というわけでもなく、現在では現世にて発見され、尸魂界に厳重封印されている。しかし今回の問題点は・・・”

昨日丸一日病床で療養したからといっても、体全体がまだ気だるい感覚に襲われている。そして何よりも、一昨日のとの論争・・・。
いつも大人しかった彼女なのに、あの話題になると急にしつこく迫ってきた。
彼女なりにあれは譲れない問いかけだったのだろう。


だが、教えるわけにはいかない。教えられるはずがないのだ。


病み上がりなうえそんなことを考えてしまう頭にとって、書類の文字は何の意味も成さなかった。
ただ、目に映って心で空ろに反響しては、頭まで行き着かずにそのままどこかにいってしまう。

”問題点は、この書物は現在行方不明であるということだ。我々は危険性を重々認知、封印していたが去年春暮れに原因不明の消失・・・”


(全く、上も何やってるんだかな)


浮かんでくるとしたら、只相手を批判する声しか浮かんでこない。
ああ駄目だ、どうしても集中出来ない―――と、つと浮竹が時計を見た時―――。


―――ボーン・・・ボーン・・・


との面会の合図の鐘が一人の雨乾堂に鳴り響いた。


「・・・・・・はぁ」


浮竹は重苦しい息を肺から吐き出すと、その重い腰を上げて用意をし始めた。











「失礼。面会に来た」
「あら、まぁ・・・浮竹様。お体の調子はもう良ございますか?それに・・・よく・・・」



白鷺郭に向かうと、いつものように玄関の門のところで専属の従女が笑顔で迎えてくれた。ただ、何だか今日のそれはどこかそわそわ
している気がする。
ああ、大方、一昨日のとの喧嘩のことを気にかけているのだろう。


「まだ彼女は子供だ。親に反発することくらいあって当然じゃないか」
「は、はぁ。確かに、そうですけれども・・・。いえね、浮竹様が気に病んでいらっしゃらないかと・・・」


ほほ、と冗談めかして従女は笑う。


「はははっ、そんなの気にかけてないさ。全っっ然!微塵もっ!これっぽっちも気にかけてないぞーっ!」
「は、はぁ・・・・・・。それならいいんですけども・・・」
「俺もそこまで子供じゃないさ。からかわないでくれよ。ははは・・・」


妙に大きな声で笑いながら浮竹は従女の横をすり抜けて、引きつった笑みを浮かべて彼女のいる最奥の部屋に向かう。
彼の後ろでは、従女が大層心配そうに見つめていた。


******


「ふんふんふ〜ん・・・♪」

今日は昨日に比べて空には雲ひとつない快晴が広がっていた。
そんな日は思わずこう、川沿いのなだらかな崖に寝そべって、鼻歌でも歌いながら転寝したくなる。
といっても、最早しているのだけれども・・・。

(こんなところ、七緒ちゃんに見られたらまたこっぴどく叱られちゃうなぁ・・・)

ああでも、仕事なんてほうっておいて、今はこの日差しに抱かれていたい。
暗鬱とした気分を切り替えるかのように、そのままごろん、と寝返りをうつと、目の前には蝶が止まっており、そういえば、と京楽はふと
過去を思い出した。


(そういえば・・・懐かしいなぁ。今みたいにこうやって、昔授業を良くサボったっけな・・・。で、ばれそうかな、ばれないかなって時
にいつも浮竹から連絡が入って・・・)

『おい!春水!お前、今どこにいるんだ!?』

(そうそう・・・まだ使い慣れてない地獄蝶を、授業に戻るようにっていうつまらないおこごとに使ってたっけ・・・)

そんなことを思い出しながら、今度は目の前に舞い降りてきた蝶に手を伸ばしながら微笑みを浮かべた。

「まだあの頃、二人とも若かったなぁー」

しかし、手を伸ばして触れようとすると蝶はひらり、と寸でのところで彼の手から逃れてしまった。その計算したかのような動きはまるで、
何かの意思があるかのようで・・・。


「ちょちょっ・・、あーん、もう、逃げないでくれよー。迷子の迷子の蝶々ちゃんvあなたのオウチは何処でちゅかーvv」


しかしその蝶が逃げようとすればするほど彼は意地でも捕まえようと、逃げる方向へ手を右往左往させる。
と、その蝶から聞きなれた男の声がハッキリと聞こえた。


『おいこらっ、笑むな、触るな、捕まえようとするなっ、気色悪い・・・!――俺だ、浮竹だ!』
「えーっ」
『『えーっ』じゃない!ええい、話を聞かんか!』
「やれやれ、噂をすればなんとやらだ・・・ああ、今日も僕に自由な時間はないよ・・・」


あーあ、がっくりした、とでも言いたげに、そのまままたごろんと、今度は浮竹の地獄蝶に背を向けるように気だるそうに寝返りをうった。
が、しかし、すぐ後ろ背に怒号が響く。


『話を聞け!』
「あーもう、なんなのー」


どうせまた仕事をしろ、だとかお前のしなかった仕事がまたこっちに回ってきたとかいうお小言なのだろう。簡単に予想できてしまうのが
嫌で、目を閉じながらヒラヒラ、と投げやり気味に手を後ろにいるであろう蝶にむかってふる。


「仕事なら今からやろうと・・・」
がいなくなった!』
「え―――」


閉じていた瞳をパ、と開けて、火急の知らせに流石の京楽も今度は起き上がって蝶にバッと向き合った。


「どういうことだよ」
『それはこっちが聞きたいことだ・・・。朝、従女が飯を持っていった時はちゃんといたらしいんだが、その後俺が面会に白鷺郭に行った
後にはもういなかったんだ。どこにいるかなんて・・・』


あんなに外に出ることを、あまつさえ郭の庭に出ることすら気にかけていたちゃんが、何故――?
きっと相当な理由があったに違いない。
京楽は隣に置いてあった笠を被り、すくっと立ち上がる。


『お、おい。何だ?行き先がわかるのかっ?』
「ああ、おそらくは―――海」
『海?』
「昨日、ちゃんに海について聞かれたんだ。『海はどういうところか?』って。でも彼女、外に出たことがないから、せめてその絵でも
見せてあげたくて――絵をあげた」
『でも何故海なんだ?海なんてここの近辺にあったか?』


早々とまくし立てる浮竹に、京楽は落ち着いて答える。


「海には人間の真理がある―――きっと、ちゃんはあの部屋に置かれてた書物からその記述を発見したんだ」


その言葉を聴いて、浮竹ははっとした。
は自分の出生をひどく知りたがっていた――おそらく、海に行けば、その真実が何かわかるのではないかと踏んだのだ。
京楽の言葉から、彼女は大方昨日彼に「自分が外に出たことが無いから、せめて海というものはどんなものか見せて欲しい」と、彼の優し
さに付込んでそのものを知ったのだ。

あれだけ注意していたのに、油断した―――。


く、と浮竹は唇を噛んだ。


「後悔するのは後からだ。誰か悪い奴に発見されて彼女の素性が誰かに割れてしまったら――ただごとじゃないぞ」
『・・・』


しかし、どこにいる?
ここ近辺には海はない。巧妙な彼女だ。もしこれが計画的なものだとしたら、それくらい彼女は下調べしていたいただろう。だとしたら、
どうやって彼女は海を、そして自分たちは彼女を見つけ出すつもりなのだろう?
答えのない問いかけを自分の中で何度もしてみるが、それはただ自分の不甲斐なさへの怒りへ転換されるだけだった。
そのまま当ても無く、気分を紛らわすかのように周囲の物品を見回してみる。

と――あるものに目が留まった。
それは、先ほどまで自分が片付けていた報告書――魔の憑いた本についての報告書だった。


『春水。は確かに、書物からその記述を発見した、と言ったのか?』
「え?あ、ああ。確か、そうだった。活字少女じゃないよねってからかって、一応真理を欲しがって海を知りたがっているんじゃないって
ことを確かめた時に言ってたからな」
『そうか――』

突然、浮竹の声が沈み、こわばったそれになった。
一体どうしたのかと、京楽は蝶に尋ねる。

『もし俺の予想が当たってるなら――もっと最悪な事態になっているかもしれない』
「何だって?」
『現世で問題になっていた”魔に憑かれた書物”が、こっちに保管されていたはずなんだが、今は行方不明なんだそうだ』
「おいおい、待てよ・・・?それ、聞いたことあるぞ。・・・確か、その本は霊力のある者を魅了する力があって・・・その者が欲しがって
いるものに変化しておびき寄せて―――霊力を食らう虚―――」
『その通りだ――』


それならば合点がいく。
何故が地図にも載っていない海へ行こうと決心したのか、そして、さっきから漂っているこの邪気――。
これを辿れば、必ず彼女にたどり着ける。

ザッ、と浮竹は立ち上がり、その場を後にしようとする。地獄蝶も同時にこちらに帰還するように操った。
すると、


「行くのか?」


後ろ背に、そう問いかけてきた。


『無論だ』
「そうか、なら―――」


そして、落ち着いた声音で言う。


「気をつけた方がいい。何故ちゃんがわざとらしく、お前さんが来る前に出て行ったと思う?彼女ほどの頭なら、昨日僕が帰ったあとに
でも上手く脱出法を見つけてすぐ海へ向かったはずだ」
『・・・?』
ちゃんにとっては真理がどうのこうのというよりも、お前に反抗したって、その証拠の方が大切だったってことだよ。そして・・・
彼女はきっと、待ってる――許されることを。唯一無二の、お前に」


これは最早自分の介入できる話ではない、と京楽はくるりと背をむける。
浮竹はその友の意思を汲み取ると、


『わかった。肝に、命じる――』



そう一言だけかみ締めるように言って、ついに踵を返したのだった。




******


海というものがある


大地は全体の多くが海によって支配されており、それは静寂と混沌に包まれている


それはまるで人間のようだ


永劫変容していくなかでの命の育み、そして消失


全てが美しく、蒼く、優しく循環する


この形容はまさしく原理であり


海から人間は生まれるという


よって、海には全世界の人間の真理があるのだ


それに死神の魂も例外ではない


記憶も何もかも、全ては海が知っている






は走った。
ただただ、海を目指して、しかし誰にも見つからないようにひっそりと、林を、森を、獣道をぬけて、走って、走って――。
海が本当にどこにあるかは分からない。
この古びた書物から判断すると、最早正確な位置など分からないものかもしれないのだ。
しかし、何故か書物に記されてあった地図に確信を抱いて、足は止まらない。

もう草履はとっくにぼろぼろになり、足は泥まみれになり、ついには無数の切り傷までして血を滴らせていた。
乾いたそれのうえからまた傷をつけてなお紅い鮮血を流してでも、彼女はただ走った。まるで陰鬱な自分の彼への気持ちを振り
払うかのように、自分への戒め、罰かのように――。


「・・・・・・」


そうしているうちにやがて、気持ちの良い柔らかい風が吹いてきた。同時に何だか鼻をくすぐるような塩気のある香りが漂ってくる。
これは何なのだろう、とは状況を確認するために林の開けている場所に移動した。
そして、足を砂に踏み入れた瞬間――。


「・・・・・!」


彼女の目の前には、蒼くて輝いている水の空間――海が広がっていた。


「これが―――海・・・・・・」


沖には深遠なる藍、浅瀬には玉(ぎょく)のような透き通った蒼、そしてそれらを包み込む眩いばかりの光――なんと美しい光景であろうか。
美しすぎて、はここは天国なのではないかとまでも錯覚する。
それほど、この光景は美しくて――まぶしかった。


『おいで・・・おいで・・・』

「え?」


突然ふと、近くからそんな声が聞こえて、は身を硬くした。


もし、誰かに発見でもされてしまえば、十四郎様たちの立場が危うくなる。

「・・・っ!」

思わずそう思ってから、は頭を振って足を控えめに踏み出した。


(何をまだ私は考えてるのよ・・・っ。十四郎様には一度、頭を冷やしていただかないと・・・)


しかし、遠慮がちに恐る恐る進む自分に気がついて、また嫌気がさしてきた。
もう、と、今度はしっかりとした足取りで声のする方向――海へ向かった。



『おいで・・・おいで・・・』
「あ、貴方は・・・誰?何処にいるの?」


ついに浅瀬のところで声が一番大きくなった。
ここに声の主がいるという予想はあっているだろうが、どうも姿が見つからない。霊圧を隠しているのかと思って周囲を見渡せど、何者か
の姿はなかった。
おかしいな、と思ってもう一度前を見てみると――目の前には巨大な人間と魚の形を混ぜたような物が覆うようにして立っていた。
その物の胸には巨大な穴―――間違えない、虚だ―――。


『くくく、我が怖いか』
「・・・!」
『ひひ・・・』


自分には霊力があるとはいえ、その使い方など微塵も知らない。
の顔がみるみるうちに蒼白になっていくのを楽しむかのように、その虚は目をいやらしく細めた。


『お前が求めてここまでやってきたというに、何ゆえ恐れるか』
「だ、だって・・お前は・・・ほ、虚・・・」
『真実を知りたくてやってきたのだろう?』
「っ」
『違うと言うか?』
「・・・・・・」


違・・・わない。けど、きっと、それだけじゃない。


たしかにそうだがしかしは、自分の中にまだ渦巻いているある感情を認めたくなかった。
ただ、浮竹に縛られている自分に嫌気がさして抜け出したその無邪気な反発からうまれた、寂しいという感情など――。
それを認めたくなくて何も答えられずに虚を睨んでいると、待ちくたびれたのかその時虚は意外な提案をしてきた。


『教えてやっても良いぞよ』
「え・・・っ」
『お前は自分の出生を知りたくてここまでやってきたのであろう?それを教えてやっても良いといっておるのだ』
「!」
『どうじゃ、ん?』
「・・・っ!」


ぬるり、と虚の巨大な手が伸びてきて、の顎を持ち上げ、撫でた。


『ひひ、気丈じゃの』
「・・・っ」


は唇を噛み悲鳴を押し殺して必死に虚をなお一層睨む。そして、それから、悔しそうにうめいた。


「教えて・・・。私の、出生について―――」
『いひっひっ・・・んくっくっくっくっく・・・死神が自分の過去を知りたい、とな・・・んくっく、良いぞよ、良いぞよ』


力に屈服し、何も出来ない自分が不甲斐なかったが、それ以上に複雑な気持ちで彼女は抵抗できずにいた。そして、その虚はの顔を舐
めるようにして見たあと――口をガパッと開けた―――。


『ただし――貴様の魂を食ろうてからなあっっ!!!』
「―――!!」


周囲の水が虚とを取り巻くかのようにして逆巻いて、そのまま物凄い勢いで虚の口が迫ってくる。
騙された――そう思ったときはもう遅かった。



次の瞬間、彼女は己の身体を突き刺す痛みに襲われた――。



ーっ!!」


最後に走馬灯のように、浮竹の声がしたのは、気のせいだったのかもしれない。














ザン――――――!!



ああ、遠くで悪魔の悲鳴が聞こえる。


『ヴ、ナァ・・・っ!?キ、貴様ハ・・・ウグゥ・・・な、何者・・・っ!!』


「私はこの少女の監視官だ」


ぼんやりと、懐かしい声がする。


『ひヒ・・・知っテオる、知っておるゾ・・!貴様はこの娘ガ憎んでいた死神ジャろう・・っ!』


「・・・・・・」


『我が幽源書を手に取ったコヤツの手から伝わってきてたゆえな・・・ひっひっひ・・・。諦めろ、この娘は貴様を憎んでおる』


「それがどうした」


『な・・・。コヤツを救おうとしても、貴様と再び手を取り合うことはないぞ・・・!!』


「ふふ・・・お前に何が分かるというのだ」


『ひっひ・・・!愚問を!貴様よりこの娘の心を知っておるわ・・・!コヤツは貴様を憎んでいる・・・!何も教えてくれない、貴様の
ことを、深く、深く!!』



視界は真っ赤で、目に血が入ってよくは見えないけれど・・・目の前に庇うようにして立っているのは――。
白い、この世界で限られた人物しか着ることを許されていない、隊長の証。
その背には十三を戴く――。


「貴様如きに何が分かるという!?彼女の喜びも、悲しさも、孤独も、背負っている業までも!全て!!―――貴様は分かったというのか!!」


珍しい・・・怒声をあげているのは、十四郎様――。


『ひぃ・・・っ!』
「滅せよ―――」


霊圧が一気に上がって――轟音とともに、の肢体の上に虚の血が降り注いだ。
そしてその後、意識が遠のく彼女の耳に虚の断末魔が何度も反響した。



『キ・・キサ・・・マは・・・ッ、ガフ、な、ナニ・・・モ・・ノ・・・・・』


ふわり、体が浮く感じがした。


「私は護廷十三隊、十三番隊隊長浮竹十四郎―――この娘の、親だ―――」


(ああ、この人は本当に――)


っ!大丈夫か!?」


揺すられて、やっとは目を開けられた。
周囲に広がっているのは先ほどまでとは違い、鬱蒼と茂った林の中だったが、目の前に映るのは紛れも無く求めていた人物がいて――。
その存在は、この世の何処よりも、安らぎだった。


「今、春水に言って卯ノ花を呼んだからな・・・?もう大丈夫だからな?お前は何も心配しなくて、いいからな・・・?」


どこまでも、悔しいくらい優しい貴方に。


「十四・・・ろ・・さ、ま・・・・・・・・・ごめん・・なさ・・・い・・」


罰に締め付けられた肺から、愚かな気道を通して言葉を述べて。


それでも浮竹は笑った。
優しく、優しく、優しく、どこまでも悲しく。




まだ、私が真実を知れる時は当分来ないのでしょう――。




しかし、それはそれでいいのかも知れないと、は思った。
本当に知りたかったのは、何よりも自分の存在価値だったのだから――――。






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